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馬鹿正直な心療内科医が、何を起こしたかという話 ③

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 「Zさんは、何か先生に伝えたいことがあると思うよ」

 カンファレンスで意見をもらった私は、いそいそと夕方の病棟に向かった。そこで、ちょうどZさんに行きあった。
「あ、先生。ちょうど良かった。ちょっとお願いがあって」
 Zさんは嬉しそうにこちらにやってきた。
「実は昼に散歩してたら、遠い親戚のおじに久しぶりに会って。検査とか、これからの話を一緒に聞いてくれるって言うんだ。もう一度説明してもらえないだろうか。明日の午後とかどうかな」
 私としても渡りに船であり、翌日再度話し合いをすることとなった。

 その当時、心療内科の面談は他の科と同じく、病棟の面談室を利用していた。面談室は、机ひとつと椅子が4つくらいある小部屋で、私はいつも入り口に向けてビデオをセットしていた。
 普段通り、Zさんを呼び込む。親戚の方は少し遅れてくるとのことだった。録画を始め、前回の面談の流れを確認していたところ、ノックの音がした。「おじ様」が到着されたようだった。

「失礼します」
 「おじ様」は体格のいい黒いスーツの2人連れだった。「あ、2人だったのか」と思いはしたが、コロナ禍以前は診察室いっぱいに家族が説明を聞きに来る時代だったから、あまり深く考えなかった。私がどうぞ、と呼び入れるとおじ様方は真正面に構えられたビデオカメラに一瞬怯んだようだった。

「恐れ入ります。面接はすべてビデオに撮らせていただいています」
「え、あ……はい」

 戸惑いつつも、おじ様2名は着席された。その時、おじ様のスーツの裏地が見えた。真っ赤な裏地には、豪華な錦鯉が刺繍されていた。
 さすがの馬鹿正直も、このおじさん2名がどういう職業か、すぐにピンときた。それと同時にもうひとつ大事なことを思い出した。

 Zさん、天涯孤独の身の上だったな。

 つまり、この方々は、「そういう身内」の方なのだなと納得した。けれど、私の馬鹿正直は、違う角度に発揮されていく。

「職業で態度を変えてはいけない。いつも通り、実直に説明せねば」

 便宜上、おじ様A、Bと呼ばせていただく。おじ様Aの方が年配で、偉い方のようだった。おじ様Bはやや硬い顔つきで、あまり話はしなかった。
 私はいつも通りおじ様方に名乗り、席に着くように促した。その際、おじBが懐からICレコーダーを取り出し、机に置いた。

「先生も撮ってますけど、いいですか」
「構いません。どうぞ」

 むしろ録っておいてもらう方がよかろうと即許可をして、面談を開始した。

 Zさんのニーズは何だろう、と私も一晩考えていた。Zさんは検査を希望している。けれど、それは侵襲性が高く、異常が出る可能性はほぼゼロだ。それを望む理由はおそらく、医療的なケアを出来るだけ受けたいということだ。
 現時点でZさんはある症状を訴えているが、それに対する医学的な所見はない。症状がつらいことは理解するが、いつまでも入院は継続できない。
 現時点で理由ははっきりしないが、Zさんは退院に消極的で、公的サポートの申請も希望している。公的サポートのためには、ある程度客観的な検査所見がなければいけない。
 つまり、「異常所見が欲しくて、検査を受けたい」Zさんと、「医学的に不要な、侵襲性の高い検査を施行したくない」私がぶつかりあったのが、前回の面談の概要だった。

 面接では冒頭から、Zさんは検査を希望してきた。「こんなに症状があるのに、検査しないのは不当だ」というのが、Zさんの弁だ。
「コイツもこんなに言ってるし、先生、検査したってくれや」
 おじAがぐいっと押し込むようにZさんの肩を持つ発言をした。
「私も必要があれば、検査したいと思います」
 私は改めて、検査の目的、内容を説明し、どうしてそれが現在のZさんにとって不要と考えるかということを伝えた。
「大事な身体に、深く針を刺す検査です。それを、そう簡単に『じゃ、検査しましょう』という方が、私には無責任に思えます」
 これは私にとって幸いなことだが、おじ様方は大変真剣に話を聞いてくださった。それ故、私も今までと違う提案をした。
「ですが、それはあくまで私の意見です。Zさんが検査したいという気持ちもわかります。どうしても希望されるなら、その科にご紹介はします。ですが、検査するかどうかはやはりその先生の判断です。それを了承いただければ」
 私は医者として、その検査をすることは納得がいかない。しかし、他科では比較的よく施行される検査だ。ここで経験が浅い3年目の私が頑なに「必要ない、やらない」と言うことは、Zさんも納得がいかないだろう。
 だから折衷案として、「他科に紹介(但し、検査施行するか否かは、担当医の判断)」ということにした。
「え、でも、それだったら……」
 Zさんは何らか食い下がろうとした。それを止めたのは、意外なことにおじ様Aだった。
「俺はこの先生の言ってることが正しいと思う。この先生は、ちゃんとZのことを考えてくれている
「そう言っていただけると有難いです」
 私も掛け値なしの笑顔で答えた。
 
 かくして、面談は折衷案に落ち着き、私は3人を面談室から送り出した。部屋を片付けながら、遅ればせながら私の中でZさんに対して、沸々と怒りが湧いてきた。

30にもならない女だし、何人かで脅せば検査すると思われてたんだな……私は真剣に考えていたのに

 どちらにしても、このビデオはカンファレンスに出すだろうし、その時にこの怒りは整理しよう。そう思いはしたものの、気持ちはおさまらない。
 そんな私の様子を目に留めたのは、病棟師長さんだった。朗らかで面倒見のいい師長さんは、何の気なく、私に声をかけた。
「あら、先生。お疲れ気味?」
「あ、しちょーさーん、きいてくださいよぉー」

 そして、私は面談の一部始終を包み隠さず話した。馬鹿正直に。

 「……あもう先生、その話、心療内科の上の先生はご存じ?」

 話し始めとは打って変わった青い顔で、師長さんは問うた。そこでようやく私も「あれ、これもしかしてあかんヤツだったのかな?」とうっすら気づいた。

「……たった今終わったところで、まだ誰にも言ってません……」
「記録はあるの?」
「全部このビデオの中です……」
「先生、すぐに連絡して。これは大事件です

 師長さんもすぐ何処かへ連絡をはじめ、私も慌てて医局に戻った。

 話の全貌を聞いた医長の先生は、「珍獣を見た」ような顔で私を一瞥した後、「大丈夫だったの?」と聞いた。
「別に危害はありませんでした」
「ああ……とりあえず、このビデオ預かっていい?」
 素直に機材一式を渡した私に、「追って沙汰が下るので、待機するように」と指示が出た。

 今となっては事の重大さはわかるのだ。
 客観的には「20代女性研修医が、患者および患者家族と名乗るヤ◯ザ2名と長時間個室に滞在していた」、「そもそも病棟にヤ◯ザが侵入した」事件であるし、更に私は、「治療方針の決定が拗れた結果、脅しにヤ◯ザを呼ばれた研修医」である。
 それは色んな意味でビデオを吟味しないといけない案件であった。

 その後、私は病院の事務方の偉い人に呼ばれた。そこで医長同席のもと、改めて事情聴取をされて、「いろんな患者さんがいるので、くれぐれも気をつけてください」というようなことを言われた。
 上の先生方にも指導はされたと思うが、ポンコツゆえに指導は毎日のことだったので、何を言われたかあまり覚えていない。

 ただ、まだ記憶に新しいことがある。
 歳を経て私が結婚する際、ご列席いただいた当時の准教授が、このエピソードをあげてこう仰った。
「彼女の美徳は、馬鹿正直なところです」

 その美徳を胸に、私は今日も診療に勤しんでいる。

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