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馬鹿正直な心療内科医が、何を起こしたかという話 ①

 本当は小説の続きとか、大事なメールの返信とかあるんだけど、実は今豚の角煮を下茹でしているもので、台所を離れられない。
 そんなところで真面目な話も考えにくいので、私が若き日にやらかした愚かな話をしようと思う。

※ 患者さんの疾患については、今回まったく触れません。

 医者になって3年目の出来事だったと記憶している。初期研修を終え、心療内科医としての第一歩を踏み出した私だが、まぁ、苦労した。
 心療内科研修の真髄は、

「自分がどういう性格傾向で、どういった思想、偏見をもち、治療にどんな影響を与えるのか」

というのを徹底的に思い知ることにある。(と思う、多分)
 それを把握しないと、治療者として患者さんとの間に起こっている事象を俯瞰して考えられない。故に、自分の特性を知ることは心療内科医になる大切な修行のひとつだ。

「……あもう先生は、何でも素直に信じ込み過ぎだね」

 ある日のカンファレンスで、指導医は私にそう告げた。
 そもそも心療内科にお越しの患者さんは、葛藤を抱えている場合が多い。即ち、患者さんの表出している言葉は本人が意図していなくても「裏がある」のだ。
 つまり、目の前で展開されているやりとりの奥に、「本来は何が起こっているか」を読み取らないといけない。
 それを疑いを知らぬ医者3年目、あもうは悉く見落とす。けれど、指導医の先生方はすぐに「コイツ、読み取れてないな」と気づく。何故なら、あもうの特性は「馬鹿正直」だと共有されているからだ。
 馬鹿正直な研修医の利点は、ただひとつ。「診察現場で起こっていることはそのまま報告してくるので、方向修正しやすい」という点だ。報告するたびにびっちりと修正されることを繰り返し、研修の日々が続いた。

 そんなある日、ついに私はある事件を起こす。

(肉が茹ったので、また次回。)

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