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「無自覚なキャバクラ療法」を繰り出していた心療内科研修医が、気づきを得る話【前編】

 また、心療内科研修時代のおバカ案件が衆目を集めてしまった。

 更に私を労うリプライに対し、実際に指導医から受けた台詞を付け加えたことで、若干ご心配と誤解を産んだ気配も感じている。

 しかしこの一連のやりとりは、ユーモアを絡めながらも至極心身医学として必要な遣り取りであったことを、今回はお伝えしたい。
(まあ、きっかけは医者としても心療内科医としても未熟だった私が、大ボケをかましたことであることは間違いないです)

※患者さんの個人情報に関しましては、「機能性腹痛の高齢男性患者さん」以外に私もほぼ記憶はない状態ではありますので、文脈を変えない範囲でフェイクを加えていることをご了承ください。

 「機能性腹痛」というものがある。
 これは、端的に言えば「胃や腸などの消化管が、動き過ぎたり動かなすぎたりして、お腹が痛くなること」を指す。そして、内科学界隈で今ホットなトピックのひとつ挙げられる「脳腸相関」が示すように、人間の消化管はストレス負荷によって容易に動きがおかしくなる。
 難しい話ではなく、「試験前に下痢をする」「職場のパワハラ上司のせいでみぞおちが痛い」とか、そういったもの含めて機能性腹痛と称する。

 心療内科に受診する患者の主訴として、腹痛は珍しくない。なので、心療内科初学者として、私は入院患者を任された。

 Bさん。70代男性。
 15年前に十二指腸穿孔、6年前に大腸癌に対して手術を施行。1年前より臍周囲を中心とした機能性腹痛が出現。腫瘍の再発を疑い、下部消化管内視鏡検査を施行するも異常なく、炎症反応も上昇を認めていない。排便はあるが、水様便を繰り返すなかで、「このまま悪い病気なのに見つけてもらえず、自分は死ぬのではないか」と不安を訴えが続くため、消化器内科から心療内科受診を勧め、病態精査目的に入院となる。

 Bさんは「どこにでもいるお爺ちゃん」といった感じで、聴取した心理社会的背景もあまり複雑なものではなかった。消化器内科から腫瘍や炎症といった器質的疾患は除外されているので、当科で行うのは機能性疾患に対する検査および鑑別と、病態仮説の構築、そこからの治療方針の決定だ。
 心療内科研修2年目の私は、率直に思った。

「あ、今回の患者さんはわかりやすそうで助かったー」

 1週間後、この若手はカンファレンスで上級医たちからの「オロカモノを見つめる半目」に曝される。
 よく考えたら、そんな簡単な症例が大学病院の心療内科に入院してくるわけがない。甘い見立てのまま、入院治療を開始した。

 Bさんの検査は順調に進み、2度の手術にともなう癒着から腸の一部の動きが不安定になっていることがうかがわれた。腹痛の部位も検査所見と一致し、原因もはっきりしたのでBさんに結果を説明した。
 心身症の治療において、「病態仮説の共有」は大きな役割を占める。これは「あなたの症状はこういうことが原因で起こっている」ということを、患者・医療者の双方が納得する形で共有する作業になる。この時点で私がBさんについて立てた病態仮説は、以下のとおりだ。

腹部手術によって腸管が癒着し、食物残渣が留まりやすい箇所が発生
→ 慢性的・間欠的に腹痛がおこる
→ 腹痛に対する不安感が増悪
→ 不安感にともない腸管蠕動運動が不安定になる(※)
→ よけいに腹痛が続く
→ 病院に行くけれど、「異常なし」と言われる
→ 「本当は悪い病気を見落とされているんじゃないか」と不安になる
→(※)に戻る 

「こんな風に、Bさんの腹痛はこんな感じに悪循環しているわけです」

 午後のカンファレンスルームで、画像を見せながらBさんに病態仮説を説明した。Bさんは頷きながら熱心に聞き、私はBさんとの間に安定した医師ー患者関係を築けている感覚を得ていた。

「Bさんは、『何か悪い病気があるのではないか』とご心配のようですが、現時点で癌は再発していませんし、他の悪い病気もないようです。
ただ、確かに食べたものが貯まりやすい場所はあるようですから、腸の動きが悪くならないようにお薬で調整していく必要があります。残りの入院期間は、その治療を行っていきますね。
何か、今の時点で質問はありますか?」

 Bさんは一拍黙った後、「……悪い病気じゃなかったなら、良かったです」とおずおずと返した。そして、画像の一点を指さしながら私にこう問うた。

「つまり、私の腸はここが少し通りにくいんですね」
「そうですね。でも、お通じはあるので詰まっているわけではありません」
「この狭い部分は、手術で治りますか?」
「……難しいでしょうね。そこを手術で治しても、結局また別の場所がくっついてしまう可能性はあります」
「つまり……私の腹の痛いのは、一生治らないということですね」

 やや蒼褪めた顔でBさんは続けた。
 なるほどそう来たか、とこちらも一拍置いて、強いて余裕を持った笑みを返した。

「決して、一生治らないわけではないです。どうすれば、その痛みが楽になるか、一緒に考えていくのがこれからの治療です」
「治るんでしょうか……実際、さっきから腹が痛いんです」
「! 気づかずにすみません。お部屋に戻りましょうか」

 Bさんの発言に一転、病室に戻った私は、彼にベッドに横になるように促した。
「つらかったら無理には良いんですが、お腹を診察していいですか」
 Bさんの了解を得て、腹部診察に移る。聴診、打診、触診と続けながら、最後に痛むという臍周囲を触る。
「やっぱりそこが痛いです……」
 頭の中で先程の画像を思い浮かべながら、だとすればこうすれば楽になるかと反時計回りに腹部をマッサージした。数回のマッサージでBさんの痛みは和らいだようだった。
「先生、楽になりました」
「それなら良かったです。こうして貯まっているものを押し流すと、楽になるかもですね」
 『腹部マッサージは有効』と、頭のカルテにメモしながらふとBさんの床頭台に目をやった。そこにはインスタントコーヒーの小瓶が置かれていた。
「Bさん、コーヒーお好きなんですか?」
「ええ、ここでは粉で飲めないのでインスタントですが」
「なるべく温かいものか、常温の飲み物を飲まれるのがいいです。その方が腸の運動にいいですから」
 『温かい飲み物も勧めた』と脳内カルテ記載を続け、私はベッドサイドを後にした。

 これが、あんな話になるとは、このときはまったく想像もしていなかった。

 その後、消化管運動調整薬や整腸剤、少量の抗コリン薬を処方しながら、Bさんの治療は続いた。心理検査では不安が強く、性格傾向としては客観性に乏しく、誰かに指示をもらう方がうまく動けるようだった。
 入院後1週間が過ぎようとする頃、私は若干の違和感を覚え始めていた。
「お加減はどうですか?」
「えぇ……今日もよくありません」
「……そうですか」
 客観的に観察していると、Bさんの腹痛は改善しているように見えた。けれど、私が腹痛の有無を尋ねると、決まって「調子は良くない」と返ってきた。そして、腹部診察の後には症状は改善することを繰り返していた。

 ある日の面接が終わった後もBさんは腹痛を訴え、診察した際に彼はしみじみとこう言った。
「先生の手は、魔法の手だな……」
「きっと、Bさんにも同じように出来ますよ」
「いや、先生のようには上手くいきません」
 エンパワメントの言葉はBさんに届かず、病室を去ろうとしたその時、
「あ、先生」
 不意に呼び止められて振り返ると、コーヒーの瓶を持ったBさんの姿があった。
「一緒にお茶でも飲みませんか」
「……せっかくですが、この後も仕事があるので」
 当たり障りのない断りをいれて、その場を後にした。

 これは、まずい。
 いくら新米心療内科医でも、それくらいはわかった。関係性が適切ではない気配は理解したが、この時点ではまだ「何が、どうまずいか」を言語化できる力量はなかった。

「……まあ、良くなってそうだし」

 不都合な真実からやや目をそらしながら、カンファレンスの日を迎えることになった。

【後編に続く】


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