見出し画像

『夏』の人を診て、人生の四季を知る【N教授とのおもいで】

 このポストは、胃瘻や「DNARの意味/意義」といったTLの流れに投じたものだったけれど、それとは角度の異なる話をしたい。
(※ 患者さんについては文意を損ねない範囲で、改変を加えています)

 丈(仮名)さん、70代男性。
 心療内科研修に入って間もなく、私が受け持った患者さんのひとりだ。
 丈さんの主訴は「下肢の痛み、脱力感、痺れ、全身の筋肉痛」。この主訴とは裏腹に、実際に丈さんは介助なく数㎞を自分で歩く。公園で懸垂するのが日課で、他の同年代の男性より闊達と生活している。
 けれども、本人曰く「歩きにくい」。脊柱管狭窄症の加療歴もあるため、整形外科に受診。改めて精査を受けたが、『特記すべき異常なし』。脳神経系の問題かと、脳神経内科でも検査をされたが、そちらも『年齢相応』の返事。ついに、日本有数の整形外科医の診察も受けたが、積極的な加療の余地はなかった。

「こんなに歩きにくいのに、異常がないとはどういうことだ」

 困った丈さんの繰り返される訴えに、医療者側も困り、結果的に心療内科に紹介受診となった。
 初診カルテには丈さんの「心療内科を受診させられることが、心底不本意である」という記載がある一方、「こうなったら徹底的に調べてもらいたい」ともある。
 さて、担当するのはまだ三十路にも至らない医者、あもうである。

「先生、どうぞよろしく」

 日に灼けた笑顔で、丈さんは頭を下げてくださった。こうして、心療内科での入院精査が始まった。
 そもそも、丈さんの「歩きにくさ」の正体がわからない。だから、まずは詳しい病歴の聴取とともに、「歩いている動画」を撮る。これは、本人の主観的な訴えを共有することが目的だ。
 丈さんは歩いた。難なく歩く。病棟の階段も上った。手摺も持たず、客観的にはスムースに上っていく。1階から目的の病棟まで上りきり、にっかりと丈さんは笑った。

「もっと上がったっていいですよ、先生」

 この人、何のために入院したんだっけな、と最初に思った瞬間だった。
 しかし、丈さんに当該の動画を見せると、顔が曇った。

「私は、こんな小幅に歩く男じゃなかったんです」
「もっと胸を張って、『誰にも負けんぞ』という気概で歩いてきました」
「こんな貧相な歩き方では、故郷にも帰れない」

 丈さんは、某地方の小さな島の出身だ。父親を早くに亡くし、そこから16歳で街に出て就職し、弟妹5人を支えてきたのが自慢だ。

「会社で若い奴が困っていたら、いの一番に上役のところに乗り込みました」
「納得がいかないことは、裁判で争ってでも勝ちを獲りにいきました」

 いきいきと武勇伝を語る丈さんを見ていると、なおのこと「この人、何しに入院してるんだっけなぁ」と思わなくはなかった。けれど、実際に診察した結果、下肢の痛みやしびれはあり、それを押して無理に歩き続けてきた結果、慢性的な筋・筋膜性疼痛があることがわかった。

「何で、痛いのに無理して歩いたりしたんですか」
 私の問いに、丈さんは至極真面目に答えた。
「だって、先生。整形外科の〇先生は、一流の名医だ。その先生に私は診てもらった。その〇先生が『丈さん、何処も悪くない。筋力を落とさないように、歩いてください』と仰った。だから私は、懸命に歩いてきたんです」
「でも、適度に筋肉を休めないと。ずっと痛いままだとよけい歩きにくくなりますよ」
「だったら先生、その加減というのを教えてくださいよ」
「毎日どれくらい歩いてたんですか?」
「12000歩は歩いてたな」
 充分過ぎる運動量だ。ひとまず、クールダウンと筋肉を休めるケアが必要なことの共有が必要だった。

 そして丈さんはしきりと、「早く治さないと」と口にした。その理由を尋ねた私に、彼はこう答えた。

「近いうちに島の家土地をきちんと整理したい。そのためには足をきちんと治して一人前としてみてもらえる形で整理を頼みに行きたい」

 なるほど。丈さんが歩容や姿勢にこだわるには、「弱く見られたくない」という思いがあった。けれど、年齢が年齢だ。限界があるのではということを、私はカンファレンスでポロリと口にした。
 それを聞いたN教授は、ひとつ頷いてこう語りはじめた。

「この人は、人生の『夏』が長かったのだろうね」

「人生には四季がある。春夏秋冬――子ども時代の春から、青年期の夏を迎え、秋の蓄えをもって老いていき、やがて冬を迎える」
「この人は、ご年齢から言えばもちろん『冬』の時代だ。でも、この強く生きてこられた。16から働いて、強い者にも立ち向かっていく勇気ある生き方をされてきた。言わば、『夏』の時代を謳歌してきたんだろうね」
「でも人は、ずっと『夏』では生きられない。それは親を看取るとわかる。強かった親父も、やがては冬枯れの木のように亡くなっていく。ああ、いずれは自分もこうして老いていく、弱っていくんだなと学ぶ。そうして、自分の死を受容する準備をする」
「この人は、早くにお父さんを亡くしているね。そうすると、ロールモデルがない。人がどうやって弱っていくのか、見たことがない。こういう人は、ときに『夏』に取り残されてしまう。そしてある日突然、自分が『冬』の只中にいることに放り出されたように感じる」
「そこで心療内科に辿りついた人だということを、わかっておくといいね」

 『夏』の人。
 それは丈さんのイメージにぴったりだった。そして、『冬』に戸惑う不安な気持ちの一端が、ようやく共有できた瞬間だった。

 この教えを受けてから、人生の四季を意識するようになった。それは必ずしも年齢通りではなく、人それぞれ、与えられた季節を生きている。

「うまく枯れるのは、案外難しいものだからね」

 N教授の笑みを含んだ声が、今も胸に残っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?