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かわいい、セクシー、女性らしい、そしてハイヒール

三越伊勢丹の靴試着サービス「YourFit365」で試着を楽しんだ結果、とんでもなく素晴らしい靴(自分比)に出会ってしまった。
試着した時の感情は言葉にならなかったのだけど、手に入れた感動をじわじわと感じるうちに言葉がいろいろ浮かんできました。

今回はお買い物記録というより「女性らしさ」について書きたくて筆を執りました。
人によって考え方はさまざま、私のコンプレックスも満載でお送りしますので、ちょっと嫌かもと思ったらUターンしていただき、無理のない範囲でお付き合いいただければ嬉しいです。

まずは楽しいお買い物記録を

来年の春、このご時世下では初めて友達の結婚式に参列することになりました。
でもドレスは5年ほど前に買ったものしかないし、靴は弔事にも使える黒のパンプスしかなく、今の気分とは少し違います。

足元は多少華やかでも、ブランドものでも、「花嫁さんを引き立てるゲスト」としての許容範囲は広いはず。
それにおしゃれは足元からとも言うし、良い靴を履くことで全身がおしゃれに見えるはず。
ドレスはレンタルで支出を抑えつつ、この機にとびきりいい靴を買ってしまおう!
履くのがつらいほど痛い靴は嫌だから、計測してプロの力を借りよう!
そう思って、伊勢丹新宿本店でYourFit365を申し込みました。

当日は機械で足のサイズを計測した後、もう一種類リクエストしていた普段履きの靴を先に試着しました。
靴のプロが私のサイズを近くの店員さんに次々と指示してくれるので、自分から声をかける必要がなくて本当に楽でした。
一通り普段用の靴を楽しんだあと、いよいよラグジュアリーコーナーでお呼ばれ結婚式用の靴を見ることにした、

その3店舗目で出会ってしまったのです。

最初に別のブランドで試着した青い靴が素敵で、最初は青い靴を試着していました。
でも、たまたま店頭に展示してあった同じデザインの色違いが自分のサイズだったので、試着させていただいたのです。
9cmヒールの赤いパンプス。

DOLCE&GABBANA レインボー パンプス レース ブローチ


履いて鏡を見た瞬間、これまでに見たことのないセクシーな自分が映っていました。

青い靴も華やかかつ爽やかで素敵でしたが、赤い靴を履いた私はそれ以上の衝撃を受けてしまったのです。

ほぼ心は決まりかけていたものの、その日は何も買わずに、一晩置いて再度赤い靴を試着させていただきました。
元々7cmくらいのヒールを探していたこともあり、同じ色とデザインの6cmヒールも履いてみましたが、やはり9cmヒールが美しい。
それになぜだか9cmヒールの方が、かかとが抜けず足に合う。
会場の外では別の靴に履き替えればいいんだし、どうせ高いお金を出すなら実用性は無視してとびっきり美しいほうの靴を買おう、と決めました。

求めていたセクシー、ここにあり

運命の靴を最初に履いた時にたった一言浮かんだ「セクシー」という言葉。
元々は嫌いな言葉です。

直接言われたことは本当に少ないですが、女性同士で褒め合うならまだしも、お付き合いしていない男性に言われたら(幸い言われた経験はないものの)きっとセクハラと思うことでしょう。
セクシーという言葉から思い浮かぶ見た目は、露出度が高く、ボディラインをくっきりと見せる、自身の性的魅力をアピールするスタイル。
偏見丸出しですが、他人の欲望を刺激することで自分の価値を上げようとしている、媚びたあざとい人のように感じ、品がなくていやだと思っていました。

でも、鏡に映っている自分の姿を見た瞬間、嫌いだったはずのセクシーという言葉がポジティブな感覚として浮かびました。
これが私の求めているセクシーだ」と。
この靴は、自立していて、自由で、女性であることを心から喜び楽しんでいる人が履く靴だと直感的に思ったのです。

ドルチェ&ガッバーナのデザインのインスピレーションには「シチリアの強い女」がある。それはセクシーで強い女性像であり、これがドルチェ&ガッバーナのセクシーなデザインへとリンクしている。セクシーなデザインに加えて、その軽やかでシンプルなデザインは世界中で多くの支持を得ている。

ブランドが打ち出しているコンセプトは「自由の肯定形。偽りのない表現に、かつてになく都会的な感性が加えられ、型にとらわれずそこから脱却した洗練のスタイル。」

https://www.fashion-press.net/brands/62

型にはまった女性らしさから脱却して、自分らしく自由に生きるセクシーで強い女性。
靴を履いた瞬間にブランドからのメッセージを受け取れたのだと気づき、こっそり目に涙を溜めながら、最寄り駅から家までの道を歩きました。

「女性らしさ」と私

私は、花柄やフレアスカート、ウエストマークしたXラインの服など、いわゆる「女性らしい」ファッションが好きです。
大人になってからはピンクにも抵抗がなくなりました。

好きなファッションテイストを表現できる言葉は「女性らしい」の他にもあるのではと思ったこともありますが、あまりしっくりこなくて「女性らしい」「フェミニン」という言葉を心の中で使い続けていました。
他の言葉では表しづらいニュアンスがある気がしていたのですが、それが何なのかはよく分かりませんでした。

一方、「女性らしい」という言葉には複雑な思いも抱いています。

女性だからと見下されたくない

一行上のタイトルと逆のことを言っているようですが、私は女だからという理由でナメられることが少ないです。
自分の気が付かないところで不利な扱いを受けたことはあったのかもしれないけれど、直接的にナメられて嫌な経験をした記憶には思い当たりません。

周りの環境には恵まれていたと思います。
生まれてこの方都市部に住んでおり、男性が問答無用で偉い価値観の中にはいなかったこと。
女二人姉妹の家庭、親戚も女性が多く、「女はこうあるべき」と強制されることの少ない環境で育ったこと。
さらにこれまで勤めてきた会社も、女性だからと不利な扱いをしない環境。
とても幸運だったと思います。

でもそれだけではなく、自分の性格も影響しているのだと思っています。
小学校中学年~高校までは真面目で近寄りがたい優等生キャラで通してきたので、自然とそういう雰囲気が出ているのかもしれません。
おそらく外見もそういう雰囲気で、スーツ要素のある真面目な服は似合うのだけど、似合いすぎて真面目になりすぎてしまいます。
自分としてはそう見せたくないのに、地味なバリキャリ風になってしまうのです。(似合うって難しいね)

また、第一印象はおとなしそうに見られがちですが、芯が強いと良く言われます。
幼いころからなんでも自分でやりたがる負けず嫌いな子だったらしいので、元々気の強さは備わっていたのかもしれません。
一緒に仕事をしたお姉さんから「武士」と言われたことがあります(笑)

女性だからという理由で低く見られたり、嫌な思いをさせられたり。
自分自身の実感としては少なくても、他の人のそんな経験談を見ると「いまだにそんなことする人がいるのか」と悲しくなります。
私は性別など関係なく、他人に下に見られたりナメられるのに腹が立つ人間です。
だから「性別」という、基本的には自分で変えようのないことを理由に見下すのはなおさら許せない気持ちになります。

もしも自分を見下してくる人がいたなら、そんな怒りでそっと跳ね返してやりたい。
普段は隠していても、実は鋭い牙を持っているつもりです。

「女性扱いされる人」への嫉妬

女性というだけで低く扱われることに苦しまずに済んだことは、とても幸運なことだと思います。
とはいえ、自分にないものはうらやましく見えるもの。

女性だからと見下されることが少ない代わりに、女性としてちやほやされたことも少ないです。

女性扱いされる人が正直妬ましかった。
その感情を認めるのには時間がかかったけど。


子供の頃からおしゃれには興味があったけど、自分で好きな服を選んで買うようになったのは、大学に入ってからでした。
RayやCancamを買い、雑誌に載っているような可愛い雰囲気の服を安いお店で買い、ファッションを楽しんでいました。
髪を染めたし、メイクもしたし、ピンクの服や小物も買ったし、彼氏もできた。

でも、表面的な見た目が変わっても、彼氏ができても、
生まれ持った外見的特徴や性格を変えるのは簡単ではありません。

私は所謂「モテる」「女の子扱いされる」女子ではありませんでした。

「女性らしい」人は、いつも綺麗で、目がぱっちりした笑顔の素敵な人。
でも、私は笑顔を作るのが下手だった。
ぱっちりした二重ではなく、奥二重に太くて濃いつり眉。
どれだけ服をかわいくしても、かわいくなりきれなかった。

とはいえ、かわいい服も若さでねじ伏せることはできたし、クールで大人っぽいキレイ系なら似合うのは悪くないと思っており、自分の外見を本気で嫌っていたわけではありません。
それよりもコンプレックスを強く感じたのは、内面的な「女性らしさ」の方でした。

「女性らしい」人は、異性や目上の人を自然に立て、思いやりがあり気が利く人。
なんやかんやでモテること、女子力が高いことには価値がある。
女らしくしろと直接的に言われなくても、テレビ、漫画、雑誌、そしてネットを通して恋愛至上主義的な価値観に触れるうち、いつしかその価値観に染まっていました。

そんな「女性らしさ」を真に受けて飲み会でお酒を注いだり、サラダを取り分けたり、頑張ろうとしたけど疲れる。
弱みを見せるとか、甘えるとかが可愛いとは言うけど、どうやったらいいのかよくわからない。

相手の懐にすっと入り込める器用な人がうらやましい。
けど、私にはそれが苦手で、できなかった。
内側には青春時代に確立してきた「真面目で近寄りがたい優等生」の私が、他人に流されることを良しとしない我の強い私がいました。

女は若くて美しい方がいい、従順な扱いやすい女がいい、女は愛嬌、みたいな考え方は全部嫌いです。
女性らしいと形容される服が好きなくせに、典型的な婚活ファッションは絶対着たくないと思っています。
「○○ウケ」だの「モテ」だの、好感度重視のファッションを着ることを受け入れられない。

人に好かれることを大事にする生き方が悪いと言いたいわけではありません。
自分にはできないからこそ、人に好かれようと努力できる人・自然と他人の懐に入れる人は尊敬します。

「女性である」というだけの理由で求められること。
でも私には難しかったこと。
それが私の嫌いな「女性らしさ」であり、ドロドロとした劣等感の塊なのだと思います。

とはいえ、かわいいは好き

私はお絵描きや人形遊びが好きな、「女の子らしい」子供でした。
小さい頃は割と目立つタイプでしたが、周りが見え始めた小学校中学年くらいから、周りの反応をすごく気にするようになり、無意識のうちに自分にたくさん制限をかけてきました。

母の目を気にして、真面目で上品な良い子でいようとした。
本当はもっと心を開きたかったのに、同級生の目を気にして恥ずかしくて、嫌いだった「地味で真面目な優等生キャラ」を崩すことができなかった。

クラスで目立つ子の言動や流行りに流されるでもなく、かといっていじめられることもなく。
周りの目を気にする自分と、周りに合わせない自分が両立していた青春時代でした。

地味で真面目な優等生キャラの私は、仲のいい友達の前以外では心を閉ざし、女の子らしい要素を出さずに自分のキャラに徹していました。
スクバのキーホルダーやガラケーのストラップは控えめ、暖色系のアイテムはほとんど持たず、制服以外ではスカートを履かずに過ごしていました。

でも、好きだったイラストの世界には自由が広がっていました。
内気で人に話しかけることができなかった代わりに、自分を表現する手段だったイラスト。
中性的~少年漫画的な絵柄の友達が多い中、私は少女漫画寄りのかわいい絵柄で通していました。

当時の自分は身に着けることのなかった大きなリボンやレースのついた服や、憧れの制服だったチェックのミニスカート。
イラストの中の女の子にはたくさん着せていました。
認めたくはなかったけど、中高生になっても変身モノの女の子のコスチュームや変身バンクはときめく存在でした。

大学に入って高校までの知り合いがほとんどいない環境になり、自分のキャラをリセットできてからは、赤文字系の服を買って着るようになりました。
ミニスカートも、ピンクも、レースや花柄も、自分のお金でなら遠慮なく買えました。
当時流行っていた小花柄のコンビネゾンにカンカン帽の西野カナコーデも着たりしました。

本気で苦手だった、他人に話しかけることも少しずつ克服することができ、高校までよりは明るい性格になったことで友達も増えました。

その後、先述のモテの問題にぶつかるのですが、ある意味他人に心を開くことができたからこそぶち当たることのできた課題ともいえます。
心を閉ざしていたころは、他人に好かれたいなどと真剣に考えることはなかったので。

私にとって「かわいい」「女性らしい」を表に出すことは、自分の好きに素直になり、世界に心を開くことでもあるのだと思います。

私が求めていた「女性らしさ」

好きに素直になり、世界に心を開く意味での「女性らしさ」。
つい最近までは「かわいい」「きれい」「華やか」「上品」と表現できるイメージで女性らしさを表現してきました。
しかし、今年転職したことをきっかけに、表現したい自分像に少し変化が生まれます。

小さなチームのリーダーとして責任ある立場を任されるようになり、以前のように控えめで一歩引いた態度では気持ち的にやっていけなくなったのです。
これまでは無意識のうちに女性らしくないと遠慮していた、積極的に前に出ること・自分の中の「強さ」を表に出すことが必要になってきました。

今年はファッション面で大きな買い物をいくつかしましたが、ファッションによる強さの表現は自分の大きなテーマだったように思います。
でも、モード系やロック系で戦うつもりはなかったし、キャリア系に振れるのも違う気がしていました。

そんな中で出会った赤いパンプス。

あの赤いパンプスを履いたとき、私が求める女性らしさが直感的に分かった気がしました。

自立した強い大人の女性としての魅力。
誰かに媚びるのではない、自分目線でのセクシー。
社会が求めている(と思っていた)か弱い「女性らしさ」に囚われて自分を抑えつけるのではなく、強い面もひっくるめて女性に生まれたことをそのまま肯定し、女性であることを楽しみたい。

誰かのためではなく、自分のために「女性そのもの」を纏いたい。
女であることを、自分であることを、素直に肯定し喜びたい。

世界に心を開き、友好的になることからさらに一歩進んで、男性的とも思われそうな自分の個性をも「女である自分」の一部として表に出していきたい。
私が求めていた「女性らしさ」とはつまり、「自己の開放」と同じことなのかもしれません。

もし、1年1セットの服で生きるとしたら

お金もTPOも全て無視して、1年1セットの服で生きる妄想をするならば。
妄想の世界の私は、きっとこの靴を履いていると思います。

妄想の世界なら、どんな靴を履いていても足は疲れたり痛くなったりしないし、靴が汚れたり傷つくこともない。
ヒールの高さなど関係なく、この靴を履いてどこまでも歩いていける。

現実には、あのパンプスに合う服は一着も持っていません。
きっとこれからも、ヒールの高くない歩きやすい靴で暮らしていくのでしょう。
高いヒールは歩きづらいし、大事な靴が汚れたり傷つくのは嫌だから、普段履きはせずに部屋に飾る気持ちで買いました。

でも、たとえ機能的に普段履きは難しくても、本心では華やかで美しいパンプスを求めていたのだと気付きました。

頻繁には履けなくても、せっかく買ったからにはお呼ばれ結婚式以外にも履く機会を作りたいと思っています。
そして、心の中ではあの靴をいつも履いている女性であり続けたい。
背筋をシャンと伸ばして、自分自身である喜びを味わっている、そんな人になりたいと思います。

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