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棟方志功展:民藝と藝術、あたたかな祈りの世界

近現代を代表する版画家、棟方志功の作品がずらりと並んだ豪華な展示。
会期の終わりも近づく中、滑り込みで見てきました!

この展示の存在を知ったのは、ファッションブランド・yeeの秋冬服のお披露目会に伺ったとき、当日ご一緒したささめさんと、ブランドのテキスタイルデザイナーであるスギサキさんが民藝好きで盛り上がっていたことでした。
棟方志功(以下、棟方とします)については名前を知っていた程度。
しかし、お二人を夢中にさせる棟方って、民藝って、一体どんなものなんだろうと興味が湧き、ぜひ行きたいと思っていたのです。

◆展覧会情報◆
生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ
会場:東京国立近代美術館
会期:2023年10月6日(金)~2023年12月3日(日)
公式サイト:生誕120年 棟方志功展 (munakata-shiko2023.jp)

一部の作品を除いて写真OKだったため、スマホでパッと撮った写真ですが載せながらお送りします。
下書きは当日にざくっと書いたのだけど、記事を上げるのが会期過ぎてからになってしまった……もっと速く書けるようになりたい。


青森・東京~棟方志功の原点と変化

展示はおよそ年代順に並んでおり、棟方の生涯を作品から辿れる構成。
初期の頃は油絵を描いていたというのは少し意外でした。
版画を始めたばかりの頃から図案的なデザインは美しいものの、その後の作品と比較するとこぢんまりとして可愛らしい印象。
絵葉書や手ぬぐいとして使いたい感じではありますが、芸術作品というよりデザインといった方が近い。

そんな棟方の作品は、民藝運動を推進する柳宗悦との出会いにより変化を遂げていきます。
手仕事のあたたかみを感じる、躍動感のある作品。
仏教や神道をモチーフにした版画が一気に増えていくとともに、棟方の作風として続いていく彩色方法もこの時期に始まっていきます。

個人的に印象に残ったのは、そのころの棟方の年齢。
年表によると、版画の道に定めたのが29歳の時、柳宗悦に出会ったのが今の私と同じ33歳の時だそう。
なんとなく30歳くらいって、迷いやブレがなくなってある程度自分を確立できる年齢な気がしている。
(脳が完成するのも30歳くらいというし、3つ下の妹も同じような実感を持っていたので多分そうなんだと思う。)
そんな時期に生き方を決めて人生が動いていった棟方のことを思うと、今何者でなくても遅いことなどないし、また今の時期って人生のターニングポイントとして大事な時期なのかもしれないとも思って少し勇気が出た。

展示を見進めていくと、作品のキレ、躍動感はどんどん増していきます。
この中で私が特に好きな作品が『基督の柵』です。
この作品に至るまでの展示は、民藝運動の影響を受けた仏教モチーフの作品が多かっただけに、キリスト教も題材になるのかとびっくり。

柳宗悦が手がけたという額装も相まって、まるで現代アートのようなかっこよさ。
全体的に直線の印象が強く、温かみはあるもののビリビリと電流が流れてきそうな作品です。

富山時代、そして世界へ

戦争を経て、疎開先の富山での作品へ。
富山時代の作品は、以前よりも明るく自由で可愛らしい雰囲気でカラフル。
またこの時期には、黒の面を残したまま白で線を彫る新たな表現も生み出していきます。

輪郭線を残し、線の内外を彫り込んで図像を表していた棟方にとって、それは大きな発見であった。輪郭線の内外を彫って白い面をあらわす場合、彫り線は自ずと見えなくなる。結果的に自ら作業した痕跡は透明になり、何もしなかったところが図として残る。しかし、黒地に白い線を彫れば、筆の動きと同様、彫刻刀の持つ手のストロークがそのまま描線として残る。

展示内解説「疎開地から恩人へ」より

このスタイルが「棟方らしさ」をより完成に近づけ、戦後、東京に戻った彼の作品は世界へと羽ばたいていきます。
これまで培ってきた作風、技術は受け継ぎながらも、題材はより幅広く進化。
宗教色はそれ以前よりは薄れ、海外の文化や現代的なものにも影響を受けた作品が増えていきます。

晩年になると公共空間に作品を提供することが増え、作品自体は線がそぎ落とされていく。
この変化に、晩年に切り絵作品を多く残し、教会をプロデュースしたマティスを思い出します。
それぞれ重ねた人生は違えど、芸術家が、ひいては人間が老いて辿り着く境地って、国を越えて共通するものがあるのかもしれないなんてことをふと思った。

後半で特に印象に残った作品は、『花狩頌』。
戦時中の作品は国の方針に沿ったものをどこか嫌々作っているように見えたのだけど、疎開以降の作品は明るさや自由さを取り戻したよう。
特に『花狩頌』はモノクロの作品でありながら、色があふれているように見える。

削り花の矢を天に向かって放つアイヌの儀礼に発想を得た作品。(中略)騎馬人物の手から弓矢は省かれており、棟方は心で花を狩るという平和の祈りを込めたという。

『花狩頌』キャプションより

その前の展示で戦時中の作品を見ているからこそ、実感を持って平和を祈っていることが分かる。
花がいっぱいなんだけど、ただのどかで平和なだけの作品ではなく、やはりここに込められているのは祈りなんだと画面から伝わってきます。


展示を終盤まで見ていく中で、一つの疑問が生まれます。
「世界のムナカタ」になった棟方の作品は、民藝といえるのだろうか。

展示を見終わってから、民藝の定義について調べてみました。

民藝品とは「一般の民衆が日々の生活に必要とする品」という意味で、いいかえれば「民衆の、民衆による、民衆のための工芸」とでもいえよう。

「民藝」の趣旨―手仕事への愛情 | 民藝とは何か | 日本民藝協会 (nihon-mingeikyoukai.jp)

柳らに見出され、研鑽を積んできた時期の棟方の作品は、「民衆」である彼が「民衆」の祈りのために作ったとも捉えられそうで、確かに民藝品の定義に当てはまるものだったのかもしれない。
しかし、世界の美術展に出品され、版画とはいえ大量生産することを前提としない唯一無二の作品を作るようになった時、それは民藝といえるのだろうか。

定義にこだわる必要はないのかもしれない。
題材が変わろうと、作品に唯一性が備わろうと、棟方の作品は棟方の作品であり、手仕事のあたたかみがあることは変わらない。

藝術と民藝(あえて『藝』の字で揃えてみる)の境界はどこにあるのかという問いは、アートとデザインの違いはなんなのかという問いとも近しい気がする。
その違いを突き詰めていくのは興味深いことでもあるかもしれないし、意味のないことなのかもしれないと思ったのでした。

人となり

展示の最後は、棟方の写真や自画像の展示を通して棟方自身にも触れていきます。
丸眼鏡は、それを見るだけで棟方と分かる、まさに抜け殻。
内気そうな若者から、愛嬌ある笑顔や自画像へと変わっていく様子に、これまで見てきた作品を重ね合わせながら、彼の人生を想像していく。
チャーミングな笑顔を見ると、確かにこの人は、世界的なアーティストになってもなお、温かくどこか親しみのある作品を彫ったのだなと納得できる気がした。

おわりに

民藝という言葉自体は知っていたけれど、作品としてしっかり見たのは今回が初めてでした。
正直歴史の勉強として「民芸運動」という言葉を見ても何のことかピンとこなかったけど、作品を見てその背景を知ると興味が湧いてきました。
特に、藝術と民藝の境界はどこにあるのかという問いについてはこれからも考えてみたいし、もっと知りたい。

小型の作品の中で個人的に気に入ったものを2つ載せて、この記事を締めたいと思います。

(作品名を控えるのを忘れてしまいました)
願はくは 空に人工衛星の 翔る日に生きてあらばや 谷崎潤一郎
画面の真ん中に大きく彫られているのは仏の姿なのだけど、短歌の内容からこれは人工衛星だと認識する。
伝統的で宗教的なもので、現代的で科学的なものを表現するのが面白くて、印象に残った。

獅子文六『バナナ』
特に右側の「バナナ」の字だけのやつが、文字の形や間隔が絶妙でお気に入り。

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