大竹伸朗展で新たな力を手に入れる
大竹伸朗さんという芸術家、そして東京国立近代美術館で開催されている「大竹伸朗展」を知ったのは、11月頭に行った直島旅行でのことでした。
何となくアートは好きだと思っていたけど、現代アーティストの名前などろくに知らなかった私。
直島で出会った作品を通して、その突拍子もないカオスな世界に惹きつけられました。
アート巡りの締めに大竹伸朗さんの作品の一つである銭湯「I♡湯」に入浴しに行ったとき、たまたま目に入ったポスターで知った「大竹伸朗展」。
結局会期末近くの訪問になってしまいましたが、旅先での思いをようやく果たすことができました。
直島で作品を見た時から知識をアップデートすることなく、展覧会の情報を事前に仕入れることもなく行ってみたら、
それはもう、層の厚み・エネルギーがものすごく、圧倒されてしまった。
予備知識なしに作品を見て考えたこと・感じたことを率直にレポートしたいと思います。
展覧会にて
やってきました東京国立近代美術館。
美術館のサイネージと交差するように、「宇和島駅」の文字が飾られています。
これも大竹伸朗さんの作品なのだろうな、でも予習してないのでどういうことなのかさっぱりわからない。
とりあえず中に入って一通り展示を見ることにしました。
展覧会の全体を通して写真撮影OKだったので、この後も写真を交えながらお送りします。
考えるな、感じろ
会場内では、一つ一つの作品にタイトルや解説はついていません。
あるのは、作品群ごとに分けられたテーマの解説文のみ。
そのテーマもはっきりと区切られるものではなく、それぞれの展示室がゆるやかに繋がり、回る順番も自由度が高いです。
(実際は専用アプリをダウンロードすると作品のタイトルや制作年を見ることができます。私は入口にあったQRコードを華麗にスルーしてしまったため、その場で確認することは諦めました。
でもそれがかえってよかったように思います。
先入観なく、ただ作品たちに圧倒される体験ができました。)
そんなわけで、ヒントがほとんどない中、とりあえず作品を見始めます。
制作年もばらばらに展示しているようで、これが本当に一人の作家なのかと思うくらいに様々な雰囲気の作品が並びます。
作品を見ても、何を思い考えて作ったのか、作品にどのような意図があるのか全く分からない。
それぞれの作品に思いや意図はあるのだろうか、ないのだろうか。
私が真面目に考えようとする意味などないのではないか。
そんなことを思いながら最初の方の展示を見ていきました。
(展示室の切り替わりに登場する解説文や、映像コーナーで上映されていたNHKスペシャルの番組を見て、あらかじめ意図やテーマを持って創っているわけではないのだと知りようやく腑に落ちるのですが、それはもう少し後の話。)
なんのことやらよくわからないけど、いろんなモノが暴力的なほどに重なった作品たちは強烈なエネルギーを放っている。
それは大竹さん自身のエネルギーであり、作品に使われたたくさんのモノが持っているエネルギーである。
その両方がもつ「記憶」が層となることで生まれる強烈な表現を感じていきます。
生命を連想する
個人的に心に入ってきたのは、夢/網膜のシリーズで展示されていたピンクの色調がメインの作品。
作者自身は何かに見立てたわけではないと思うけど、私には胎内の世界に見えました。
遠い過去の、普段の意識下では思い出せないような、生まれる前の記憶。
それが夢の中の現実と非現実が混在した記憶と重なり、入り交じり、あのようなイメージになる。
…なんてこともありえるのかもしれない。
私は、芸術鑑賞に正解はないと思っています。
作者が何を思って制作したのかからは離れて、見る人が勝手に作品に意味を見出すのも、見出さないのも自由だと思う。
言葉のように解釈の範囲が狭いモノでさえ、人により受け取り方は違います。
非言語表現ならなおのこと、受け手の解釈はバラバラになる。
でもその幅の広さ、懐の深さがアートの良いところだな、などと考えていました。
スクラップブック
全体を通して好きだったのはスクラップブックです。
展示室のほぼ中心にあるスナックのような小屋の立体作品。
その中には巨大なスクラップブックが鎮座しています。
何の知識もなく見ても、これが作者にとって重要なものであることが理解できる。
さらに先の展示室を進んでいくと、ショーケースに大量のスクラップブックが並んだコーナーも。
頭の中を覗き見ているような気持ちになって楽しくて、直感で好きと思ったものをいくつも写真に収めました。
スクラップブックって、自分の好きなもの、興味あるものの写真などを切り抜いてそのまま貼り付け、集めていくものだと思っていました。
ただ単に「切り取り→貼り付け」していくイメージです。
しかし、大竹伸朗さんのスクラップブックはただのネタ帳ではなく、それ自体が作品となっています。
パーツごとに複数の人の写真を切り取ってコラージュしたり、
写真の上に描き込んだり、
好き放題に色を付けたり、
紙ではないものを貼り付けたり。
(飲みさしのカプセル薬のシートが貼り付けられたページが印象的でした。何年前の物か分かりませんが、薬が劣化して危なそうな色になっていました)
スクラップブックって、こんなに自由でいいんだ。
見たもの聞いたものすべてが大竹さんの地層になっているんだ。
そう思いました。
これも見た者の勝手な想像ですが、普通の人なら見過ごしてしまうような些細なことも大量に解像度高くインプットされていくことにより、あのような作品が生まれるのかなと思いました。
インプットしたこと一つ一つには意味やつながりはないかもしれませんが、そういうものが大量に蓄積され、自身の内側で様々な形に変わっていく。
記憶できる量には限りがあるし、記憶の形は刻々と変化する。
だから創作という形で、アウトプットしないといけない。
自身の内側にあるものを放出する意味でも、モノに宿る記憶を媒介する意味でも。
創作をしなければ生きていけない、生粋の芸術家。
それが大竹伸朗さんという方、という印象を受けました。
とにかくハイカロリーなので
それぞれの作品が持つ圧倒的な情報量とエネルギーにやられ、半分くらい見たところでかなり疲れてしまいました。
情報の洪水に耳鳴りがしてくる。
それでも作品を軽く流すのはもったいないし、会期末までにもう一度行けるか分からないので、無理しない程度に真剣に見続けます。
1階の展示を全て見終わった後、やっと終わった・・・!と思ったらまだ2階があり、なかなか頂上に着かない山登りのような気持ちになりました。
さすがに疲れたので、2階の展示室を見る前に映像コーナーと常設展(大竹伸朗展の半券で入場可能)で休憩。
2階はワンテーマのみでそれほど量は多くなく、なんとか最後まで見きりました。
はあぁ、大ボリュームだった・・・!
あとでネットに上がったインタビュー記事を読んだところ、5回くらいに分けて見てほしいとご本人がおっしゃっていて、確かにその通りだと。
全部見るには体力が必要だし、行くたびに新たな発見がある展示なのではないかと思います。
大竹伸朗展に行くなら、元気な時をおすすめします。
展示を見て強い刺激を摂取した後は、現実世界のそこそこカオスな場所に行ってもたいしたことなく感じました(笑)
大竹伸朗展を見終わって
全ての作品を見終わったらエネルギーを大量に消費した感覚になり、無性にパフェが食べたくなりました。
パフェといえばご存じのとおり、アイス・生クリーム・フルーツなど、いろんな食べ物が層状になった大ボリュームなスイーツです。
まさに大竹伸朗展に行った日のおやつにぴったりではないか。
そう思い、帰る途中に立ち寄った昔ながらの喫茶店。
注文したパフェは、すまし顔で軽くいけそうな今風の感じではなく、私の胃袋のキャパからすると暴力的な量・かつ昔ながらの甘さのバニラアイスが使われており、胃もたれしそうになりました。
(大き目のカップアイス一つ分くらいだと思います)
このずっしりくる感じが作品とリンクして、大竹伸朗展に行った日のおやつとしてこれほどのものはないなという気分になりました(笑)
帰ってからも眠くて眠くて・・・夜はたっぷり9時間熟睡したところ、
翌日、めちゃめちゃ精神が元気です。
テンションが高い浮ついた感じではなくて、自分の中の層が分厚く、中身が詰まったことによりちょっとの事では壊れにくくなったような感覚。
ふと漫画の悪役が言いそうなセリフが思い浮かびました。
「この強大な力に耐えられるかな?耐えることができたなら、お前はさらに強くなるだろう」
アートによる強い力を取り込んだことで、自分が強化され、新たな力を手に入れた気分です。
あれだけの大量のエネルギーを扱い放出して、ひたすらに創作を続ける大竹伸朗さん。
本当に物凄い人だなと、そのパワーを間近で感じることのできた展覧会でした。
あのエネルギーを出し入れするのは常人にできることではない気がするけれど、インプットとアウトプットを繰り返し、理屈だけでは語れない何かを生み出せるような人に私もなってみたい。
感性の豊かさは繊細さ、弱さと結びつけて考えがちだけど、使いようによってはとてつもない強さに変換することもできるのかもしれない。
自分のなりたいの解像度が少し上がった気がします。
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