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振り返り①

今日、私が「引き寄せの法則」「宇宙理論」に出会うきっかけから、実際体験したこと、今現在についてお話をする機会をいただきお話しした

ただ、話すことが得意ではないので自分で何をどう話したかよくわからない
30分という限られた時間では、簡潔にお話しできなかったなぁ・・・・

でも、「そんな私でOK」だ 「どんな自分もいていい」のが「宇宙理論」
「どんな時もどんな自分も自分が1番好きでいればいいのだ」

「自分の1番の友達であり理解者は自分」

今日のインタビューでいろいろと話しているうちに、ふりかえりをしてみようと思ったので書いてみる(すでに投稿した内容と重複する箇所もあるが)


☆21年務めた会社を辞めたわけ


派遣ではあったけど21年という長い期間を同じ会社で勤務できたことは本当に感謝している 長く従事した「秘書」という職業もいろんな経験をさせてもらったし、その経験は会社を辞めた今でも役立っている 

「無駄なことは何もない」「すべて必然」ということを前提に

◆コロナのあたりから感じた違和感

あれほどまでに世界中に猛威を振るうと思わなかったコロナ
正直、「よその国の話」と思っていたのも束の間、日本でもコロナが拡がって行った 

なかなか「在宅勤務」が定着しない中、大手企業からどんどん「在宅勤務」が実施され、私が務めていた会社においても「原則在宅」となる期間があった

会議も打ち合わせもオンライン、来客もなくビデオ通話で

秘書という職業だったので、会社と会社、上司と部下など「間に入る」ことが多い だから確認することも何かとあるので「在宅勤務で秘書業務」というのはとてもやりにくかった

実際、在宅勤務すると問い合わせメールの返答が来るまでの間は「することがない」 なぜならコロナで出張・会食・来客がないので手配することが何もないのだ

課長からは「暇な時は家事をしていてもいいよ」と言われていたとしても、なんだかなぁ。。と

やっぱり私は「在宅勤務」は向かないな

それにSlackというチャットを使ってのやり取りにもついていけない
いろんな部署、担当のメンバーとそれぞれに作られたグループチャットで活発にやり取りがされる 秘書という立場なので属しているグループチャットの数も半端ない こちらの状況関係なしのやり取りに正気疲れる

それでもこの時点では「50目前、派遣でよその会社へ移るよりも今の会社でいられるだけ働こう」と思っていた

◆新しい部署へ移ることに

派遣は同じ部署に3年以上はいられない
ありがたいことに3年毎に次の部署、次の部署へと移ることができて21年勤務できた

最後に勤務した部署に関しては「自分が希望していない」いや、厳密に言えば「以前は希望していた」部署だったが、派遣会社から「希望者が多いのであなたに声はかからないと思うよ」と言われていたのと「激務」であることを知って「新たにできる部署」で勤務することで話が進んでいた

課長から「次の行く先は〇〇でほぼ確定したので」という連絡が来て2時間後に、「すみません、行く先が変わりました」と再度連絡が

それは「行きたくなかった部署」だった

◆行くしかなかった部署

事情はこうだ

私が希望していなかった部署の秘書も満期で次の行く先を探していた

派遣会社が言うように「行きたいです!」と手を挙げていた秘書が何人かいたが、実際打診をすると「断られた」

それでは現任秘書の行く先がない

ということで、「以前希望していた」私に白羽の矢が立って、私の行く予定だった部署へ彼女が移ることになり、彼女の後任に私がなることに(私がいた部署の後任は別の部署から来ることで決まっていた)

「働かないと生活ができない」ので、行くしかなかった

しかし、引き継ぎ中も移ってからもずっと「なんで私が」という気持ちは払拭できなかった

◆勤務5日目に体に異変

互いの部署で秘書業務をしなければならないし、コロナ禍なのでメールメインで行われた 引き継ぎは1ヶ月ほど、私は現任中の部署の秘書の引き継ぎと次に行く部署の秘書との引き継ぎのダブルだったのでハードだった

そして週末挟んで月曜から次の部署へ行ったら、すぐに通常業務を始めなければならない そこの部署は初めてでも社内に長くいた分、周囲の見る目も扱いも前任秘書に接するかの如くにオーダーが来る

「前の人はこうだった」「前の人はこうしてくれた」と言われることも時折あって、あまりいい気はしない

「引き継がれたように」しないとならないのだが、「生身の人間」なので「機械」のようにはできない

仕事は「超激務」で朝6時前に家を出て7時過ぎに出社、上司が7時半前に到着したらそこから「お手洗い」に行くことも忘れるほど忙しい 次から次へとメールとSlackのチャット、上司への伝達・上司からのオーダーに対応とゆっくりと業務を覚える暇もない

18時か19時に上司が退社してからようやく溜まった業務に手をつけて、21時〜22時前に退社(早くても20時まで残業していた)帰宅したら23時、シャワーして寝て・・・

こんな生活していたので勤務5日目に息苦しくなって、声が出なくなった

◆退職を決意

勤務1週間で体重が2キロ減、勤務中に声が出ない、息ができない
そのうちわけもなく自席で涙がポロポロ

お昼もゆっくり食べている状況ではなくもらったお菓子をつまむ

「何のために生きているのかわからない」
「生きるために働いているけど、このままいたら体を壊す」

「体を壊しても会社は何もしてくれない」「自分を守れるのは自分だけ」

収入がなくなることよりも「体が大事」と思った

念の為、心療内科へ行きみてもらったら「すぐにでも休養が必要」と言われたが、休める状況ではないので退職を決意する

◆「辞める」と言っても「後任ありき」

課長に辞意を伝えると「サポートするからできればやめないで続けてほしい、慣れれば楽になるよ」と言われるが「いつ慣れるの?慣れる前に体壊したらどうしてくれるの?」

幸い、ついていた上司が「体が大事」とおっしゃってくださり、「早急に後任探しを」と後任探しを始めてくれた その間、私は心療内科で処方してもらった薬を服用して息苦しさを緩和しながら相変わらずの激務を続けていた

辞意から1ヶ月ほどで後任が見つかり、2週間つきっきりで引き継ぎをして有休消化に入り、移ってから3ヶ月で契約を打ち切った

◆最初の違和感で気づけなかったが故の強制終了

振り返るとコロナが始まって働き方が変わってきた時に感じていた違和感は、「働き方」への違和感ではなくて「秘書」という業務への違和感だったのかもしれない

「いられるだけこの会社で働こう」も「秘書業務が好きで続けたい」のではなく、「ただ経験が長いから」だし、「50目前」という年齢的によその会社へ移れるだろうかという「恐怖」と新しい仕事・環境に慣れるだろうかという「不安」からであって「自分がしたいこと」ではなくなっていたのだと思う

そして「未経験者よりも経験者」という会社側の希望と「この会社で働きたい」という派遣側の希望が一致していれば、「派遣会社抜き」で部署同士で話を進めて「秘書の行く先」を決めるという会社の風潮も違和感を覚えていたし、何の打診もなく「以前希望していたから」という理由だけで勝手に自分の行く先を変えてしまわれたのも許せない自分がいた

それなのに「行きたくない部署」へ行くことになっても「働かないと生活できない」という「不安」も加わって「違和感」を見て見ぬふりしてしまったから「強制終了」せざるを得ない状況になったんだろう

「秘書」という業務は「人と人、会社と会社の潤滑油の役割」というふうに秘書検定対策の学校の先生から常々教えられてきたので、「自分より他人」が当たり前だった もちろん、仕事なのだからそれは「当然」な部分はあるが、その中でも「自分」にもっと目をむけていられたら強制終了に至らなかったかもしれない

ただ言えるのは「秘書はもうやりたくない」と心底思ったのは事実だった

「生きるために働く」のではなく「生きるために辞める」ことにした


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