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いつか遠いところで

こんにちは。ワーママ部長あまねです。

先日、子どもの幼児教室(知育系)のママ友から「うちね、3月末で神奈川に引っ越しするの」と言われました。
「えー!何年も一緒だったから・・ショック・・」と思っていたところ、時を同じくして、保育園のママ友の1人からも、就学を機に実家のある九州に引っ越しするとの報告が。

かくいう我が家も、受験をしご縁があれば私立小にと考えているし、
子どもが小学校に上がるタイミングというのは、どの家庭でも色々考えるところがあるのだろうな。。

方向は違えど、子どものため・家族のためを想った決断だと思う。
親たちは、子どもの将来を考え、それぞれの結論に行きついたのだ。

子どもにとっては、親たちの試行錯誤はどのように映るのだろうか。

毎日あるいは毎週、一緒に遊んできた仲間がいなくなる。
同じ学校に通うと思っていた友達と、一緒の学校に通うことができない。

親からすると一瞬の、人生でこれから何十回と経験するうちの一つであることが分かるそれらが、
子どもにとって、日々歩いてきた道が突然終わるような衝撃を与えないだろうか。

子どもは、自身の環境をコントロールすることができない。
子どもがコントロールできるのは、置かれた環境下でのふるまいだけだ。
親の意図に反して、「道が閉ざされた」と感じたり、戸惑うこともあるのではないか。
もちろん、それらの経験を乗り越える力を持っていてほしいと常に願ってはいるけれど。

この問いを持つとき、私がいつも思い出す さくらももこの短編がある。

「いつか遠いところで」

短大生だった さくらももこが、家庭教師のアルバイトをするなかで、子どもたちと交流を深める話。

(「さくらももこの家庭教師の話・・」というと、
 「メガネのお兄さんと切手の話をするやつ?」と聞かれることがあるのだけど、いやいやそっちではなくて、ももこ自身が家庭教師として働いているときの話。ほのぼの劇場のほうです)

春から東京に行く、というももこに、生徒のレイコちゃんは言う。

「おねえさんが、しんせきのおねえさんだったらいいのに」

「もう、しんせきのお姉さんみたいなものじゃん」
と返すももこに、少女はさらに言う。

しんせきのおねえさんなら、どんな遠いところでも また会えるのに

と。

出典:ちびまる子ちゃん 5巻より

「・・・この子は・・ちいさいのによく分かってる」

そう。子どもはわかってる。
自分がまだ未熟な存在で、意志だけでは人との関係が続けられないこと。
大きな流れを、受け入れるしかないこと。

孟母三遷というけれど
(つーか、孟母の旦那は何してたん?と思って調べたら、幼いころに亡くなって女手ひとつで孟子を育てたと。ご、ごめん・・)
子どもの教育環境のために、親が心を砕くのはいまでも同じ。

コスパを考えて投資してるわけじゃない。リターンなんて求めてない。

ただただ健やかに育ってほしい。その一心から自分たちなりのベストを尽くしているだけ。

それでも、
「本当は色々なことを分かっている」小さな声を、できるだけ、忘れないようにしてきたい。

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