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一年は、短い

8月で転職して一年が経過した。
この一年で ある程度の成果をあげ、管掌範囲を倍に広げた。
環境がリセットされたなかで、まあまあ頑張ったと思う。

15年ぶりの新しい環境。
昨年まであまり触れることのなかった人種に触れた。

ジョブホッピングを『自由』と捉える人たち

前職でも自身の腕試しのためにある程度のスキルつけて退職したりする人は多く見てきたが、現職はさらに若い会社だからか、業種のせいなのか、それらを強めた人々に多く出会った。

「オリンピックを同じ会社で2度迎えたことがない」と得意げに語る人。
「次のステップのために」1年程度で会社を変える人。
まるで自身が自由であるかのように、所属しているコミュニティを変える人々。

もちろん、それらは本人の勝手だ。
会社に馴染めずに長居できない事情があったのかもしれない。
けれど、違和感は否めない。

仕事に「卒業」という概念はない

社歴とは、その会社から長く逃げなかったことの証左だ。
入社して、効率よくスキルを積んで鮮やかに成果を上げてひらりと去る、みたいなことは幻想だと思う。あるとしたら「そう思ってるのは本人だけ」。

鮮やかに現れて成果を上げた!と思っている人が去った後の揺り戻しや、「実は中身のない成果だった」と気づいた後に、なんとか中身を作っていく作業。続いていく日常の後始末。
そういった些末なことに向かい合うことも含めて「仕事」と呼ぶのだ、と私は思っている。

仕事は「運」だ。仕事のフェーズや自身の能力を発揮できるかどうかなんてほぼコントロールできない。

仕事に「卒業」なんてない。区切りのよいタイミングがあるわけではない。「ここで終わる」と自分が決めて、周囲にその影響を飲ませた、というだけ。

向き合い続けることの価値。

会社員とは基本的に「居続ける」ことで価値が出る働き方だ。

そもそも中長期のプランを立てる立場の人間にとって「3年」という期間すら一つのフェーズに過ぎない。「1年」という期間なんて一瞬ともいえる。その短期間で上げられる成果なんてたかが知れている。

病めるときも健やかなるときも を誓うことに意味があるように
降っても晴れても一つの仕事に向き合うことに意義があるのだ。少なくとも会社員という働き方においては。

晴れてるときだけやってきて「楽しい」ことだけ欲しがっても、それらは仕事の経験として蓄積されない。
合わないと思ったらすぐに逃げることは正義だけど、
逃げる前提でコミュニティに参加しようとすることは失礼。

「私、最短3日で彼氏と別れたことあるよー(ドヤ)」
つってるギャルみたいなもの。
何も成し遂げることができないスパンの話は経験値にカウントできない。

その意味で、一年は、短い。
自分自身この一年、まあまあ頑張ったな」とは思うけれど、「一年程度じゃ、まだまだご祝儀相場だな」と思う。

「短い一年」を積み重ねて、遠いところに行けるように頑張るのみ。
転職2年目も、頑張ります。


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