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ワーママお受験やっっとと終了

息子の小学校受験が終わった。
大変だった・・。何とか納得のいく形に着地したが、終わった後ちょっと発熱した。

息子は最後までお受験界でいう「仕上がった子」のふるまいはできていなかったと思う。なんで合格を頂けたのだろう。謎。
ともあれ、終わったのでワーママお受験の総括を書いていこうと思う。

総括1:小学校受験に向けた取り組みはとても意味があった

小学校受験に向けた取り組みが、こんなに意味あるものだとは思っていなかった。よくお受験について「子どもの自由を奪う無意味な取り組み」のような批判をしている方がいるけれど、全くの的外れだと思う。

小学校受験の試験は「子どもを大切に健やかに育ててきましたか?」と問われるような内容だった。

身体を動かし、季節の移り変わりを覚え、身の回りのことを自分でできるようになり、学ぶ力の基礎を作る

受験を決意するまで時間をお金で買っていた私には、どれもできていなかったことだった。

小学校受験を決めて以来、私は毎日、折り紙をしたり絵を描いたり、縄跳びやクマ歩きをした。休日には果物狩りをしたり蛍を見に行ったり虫捕りに行ったりした。息子は語彙が増え、身体を動かすことが好きになり、動植物に興味を持ちだした。
息子の変化を見るにつけ、私はこれまで子どもの成長に真剣には向き合ってこなかったんだな、と痛感させられた。

合格しなかったとしても、取り組んだことは無駄になることはないと思っていた。そのくらい、意味のある学びだった。

総括2:小学校受験業界は好きになれなかった

ただ、幼児教室をはじめ、小学校受験を取り巻く界隈にはずっと違和感を持ち続けている。数年取り組んだけれど、やっぱり好きにはなれなかった。

幼児教室の講師の言動には「できない子は家庭の躾ができていない。その程度の家庭だ」という意識が透けて見えており(事実ではあるだろうけれど)正直、辟易した。

『子どもに学びの楽しさを知って豊かな人生を歩んでほしい』と思っているのに、「学ぶため」ではなく「ふるい落とされないため」に過度に難しいペーパーに取り組むのも、矛盾を感じていた。

加えて、縁故や属性などの「子ども」以外の要素の強さ。不透明さ。「お受験は期間限定のコスプレ」と割り切ってても、奥底にはずっと違和感があった。
もちろん、
・子どもは意外と強いし環境に適応する
・失礼な講師も、基本的には子どものことをとても考えている
など、気づきもあったけれど。
オブラートで包んだ値踏み文化は、やっぱり苦手。

総括3:夫婦仲は修復された

産後、けっこうな長期間、夫とは冷戦状態だった。
正直、自分だけで家計を支えられる収入はあったし、ある程度の資産ができたら離婚してもいい、くらいに思っていた。

けれど、小学校受験に向けた取り組みが始まり、「やむを得ず」夫と話し合ったり、家族で出かけたりすることになった。私は面接や口頭試問のネタとして、「仕方なく」夫と息子のコミュニケーションを増やすよう仕向けた。
そのうち、夫の意識は変わり、息子も夫に心を開いていった。夫と息子が楽しく笑いあう様子は、産後から続いていた夫への不満を少しずつ解消してくれ、自然と夫婦仲が修復された。

昔読んだ小説の冒頭を思い出す。

幸福な家族はどれも似通っているが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。

(『アンナ・カレーニナ』トルストイ)

家庭にはきっと「正解に近い形」がある。どの家庭もそれぞれに事情があり、正解の形ではないことイコール不幸ではないけれど、ベンチマークとするべき形がある、という事実に気づけたことは大きな収穫だった。

総括4:ここはまだスタート地点。というか、全部が通過地点でしかない。

つらつらと書いているけれど、現時点で息子は志望校に合格しただけでまだ入学すらしていない。スタート地点で待機している状態だ。

いざ小学校生活が始まったら、初めての環境に親子で戸惑ったり、小学校受験をしなければ良かったと後悔する可能性もある。
小学校受験が正しかったのか?の答えは、かなり後になるまで分からない。

でも、まあ、小学校どころか人生すべてが通過点なわけで、常に軌道修正しながらやっていくしかないんだよね。
というわけで、今は、とりあえず、合格を喜ぼうと思う。
お疲れ、息子、夫、そして私。

受験で取り組んだ内容などについては、次回まとめたいと思います。

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