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フルリモート・フルフレックスのジレンマ

息子が私立小の1年生となり、3か月が過ぎようとしている。周囲のママと話す限り、半数くらいのママはお仕事をしているように見える。ただ、どのご家庭も父母のどちらかが在宅勤務可能なお仕事についている印象。

そうなんだよね。
学校のイベントが多い私立小親にとっては、「動ける状況」を誰がが担保しておく必要がある。そういう意味では、フルリモート・フルフレックスの会社に転職したことは「吉」と出ている。

1:家庭人にとってのフルリモート・フルフレックス

子どもがいる家庭にとって、フルリモートはかなりありがたい。
そして、願わくばフレックス制度が整っている方が望ましい。

フルリモートだけでは、アンコントローラブル事象への対応に限界がある。
(時短や有休利用で、ある程度は乗り切ることができるけれど)

時短ではなく全員「フレックス」が制度として使える状況がベスト。
「一緒に働く相手にも同じ権利がある」という公平性が極めて重要。
「明日の夕方はジムに行くので稼働は16時までです」が当然にまかり通る状況でしか「子どもの用事で休み」は許容されにくい。もちろん、周囲は大人なので「お互い様ですよ」と言ってくれるかもしれないけど。

そういう意味で、フルリモート・フルフレックスは神制度と言える。
皆がこぞってそれらの職を求めるのも当然だと思う。

2:仕事人にとってのフルリモート・フルフレックス

けれど、仕事目線では、危機感を持っている。
フルリモート・フルフレックスでは、正直、組織の成長の最短ルートは取れなくなると感じる。特に、フルリモートの組織は、本来もっと最短で実現できたはずの何かを犠牲にしているように思う。

フルリモートの方が生産性が上がる、と言うポジションをとる人もいるが、それは「やることが決まって」「作業化した」場合や、一人で進めることが許されている特殊なポジションに限った場合だと思う。
抽象度が高く協働が必要なプロセスにおいては、別の場所で稼働することはしばしばネガティブに出る。
マネジメントの側面では、マイナス要素があることを否定できない。

会議終わり移動しながら軽くレビューしたり、「いま来たメール、みた?すごいよね」と話しかけたり、心理的安全性を確保して早めにアラートを出させる「仲間」演出をすることがすごく難しい。

リアルを共有している場合と同じ情報を得ようとすると、意志をもったコミュニケーションが必要になってしまう。言語化し・ソリッドな質問にするしかなくなり、結果、会議が増えたり、会話のラリーが増えたりする。
「習慣」が「イベント」になる怖さ。

プロジェクトベースで進む仕事、なんてものは単なる概念でしかない。
どんなプロジェクトにアサインされていたとしても、仕事は最終的には何らかの実行オペレーションに帰結する。その実行オペレーションに到達させるスピードが、ゆるやかに下がる。

成果ゼロにはならない。けど最大速度が出ているか?というと、違う。

ジレンマの解決法:まだない

家庭人としての自分は、フルリモート・フルフレックスは神制度!と思うけど、
仕事人としての自分は、フルリモート・フルフレックスは成果とトレードオフという危機感がある。
結局、「実際どこにいるか?」がその人の主戦場ってことなんだろうね。

答えは、まだ出てない。
どこかで、全員ガチ出社の世界線に戻らなくてはいけないのでは・・とぼんやり思っている。

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