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そばにいるのに、いない人

 あたしは安らいで、恋人の体にもたれる。恋人の体は頑丈で大きく、あたしがもたれかかったところで、びくともしない。彼はTVから目を離さずに器用に缶ビールを持ち替えて、片手であたしの体をなでる。額やら、胸やら、唇やら、顎やら。あたしは目を閉じて恋人の体温と匂いを感じながら、あたしたちが今ともに生きていることを確信する。

 ともにいる時間を幸福に感じることが、そもそも幸福なのだ、とあたしは知っている。一緒にいればいるほど、孤独が深まっていく人もまた、他方で存在しているということ。それはつまり、そばにいるのにいないように感じる人だ。

 そばにいるのに、いない人――それはただ無口だとか、冗談が言えないとか、陰気だとか、そういう類の話ではない。あたしが思うに孤独を感じさせる第一の原因は、「分かり合えない」という感覚だ。
 そばにいるのに、考えが分からない、対話にならない、あたしはこの人のことを何も知らないし、この人はあたしのことを何も知ろうとしない――その感覚がつまり、孤独なのだ。

 溶けたバターのように、恋人の体の上に自分の体を重ねながら、あたしはかつて経験した男たちのことを考える。

「僕には、君の考えが分からない」そう言われたことがある。5年前に別れた男の子だ。「一体どうしたいの?」「なぜなの?」あたしがイライラしてそう問い詰めたこともある。不満をぶつけあって、そのころのあたしは、ただ孤独を深めていた。

 かつてきりがないほど体を求め合っても、数えきれないほどのキスをしても、十分に理解できなかった人もいる。ベッドの中では親密な距離にいても、相手の心はずっと遠いところにあるような気がしていた。「何だか、遠くの人になっていく気がする」あたしがそう言うと「そんなこと言わないで」と繰り返したその人とは、やはり今ではもう連絡をほとんど取らない。

「どうしたの?」
不意に頭上で恋人の優しい声がする。恋人のお気に入りの情報番組はすでにエンドロールを流している。ビールも空き缶になっていた。
「なんでもないの」
過去から目が覚めたような気がする。あたしの体は今、幸福のただなかにあるのだ。
「ただ、安らいでいるの」
安らいでいる時の癖で恋人の手を噛んでしまっても、彼は「あらあら」と目を細めるだけだ。
「幸せだねぇ」彼がそう言うので、あたしも「幸せね」と繰り返す。
 その言葉がそれ以上でも、それ以下でもないことをあたしたちは互いに知っている。幸福は漠然と、しかし悠々とあたしたち二人をすっぽりと包む。

 あたしは、これまでの懐かしくも孤独な夜に静かに別れを告げる。さよなら、そばにいるのにいなかった人たち。幸せになって、またどこかで会いましょうね。

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