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ドキュメンタリー《誰がラヴェルのボレロを盗んだのか》日本語訳台本 エピソード6「権力者達の輪」

日本モーリス・ラヴェル友の会では2016年5月よりフランス国内で報じられてきましたラヴェルの著作権や遺産問題について折に触れてきましたが、その時期、フランスのテレビ局やインターネット上で公開されましたドキュメンタリー映像《Qui a volé le Boléro de Ravel ?》(誰がラヴェルのボレロを盗んだのか)の監督であるファビアン・コー=ラール氏とコンタクトを取り、この映像作品の9章のエピソードの日本語訳の翻訳権を得て、2017年から2018年にかけて連載企画として当友の会Facebookページにて台本を掲載しました。

本年2月14日、フランスで「ボレロ」裁判が始まったことを受けて、改めてラヴェルの著作権・遺産問題を振り返るために、こちらnoteにて再掲いたします。

上のYouTubeの映像と共にご覧ください。
ピクチャインピクチャの設定で台本と映像が同時に観られます。


ドキュメンタリー《誰がラヴェルのボレロを盗んだのか》日本語訳台本 エピソード6
1978-1987年 「権力者達の輪」



1978年、モーリス・ラヴェルの曲の権利を長年にわたり独占してきたデュラン社は、その既得権の半分をARIMA社に譲渡せざるを得なかった。

ARIMA社は元SACEMの法務部長ジャン=ジャック・ルモワーヌが英領ジブラルタルに設立したオフショア・カンパニーで、株主はリヒテンシュタイン公国に拠点を置く謎の財団と、スイス在住の弁護士であった。

この地理的に離れた二者の不自然な組み合わせも、更なる疑惑を喚起させた。

アンドレ・シュミット(弁護士)
「ルモワーヌは税金対策に躍起になっていた。どうしても税金を払いたくなかったのさ。不正はしなかったが、…まあ、皆さんご存知の通り、租税回避のために財産をあちこちに分散させた。それで十分、難しいことでもなんでもない。」

その頃、《ボレロ》は、アメリカ西海岸で撮影されたブレイク・エドワーズ監督のエロティック・コメディ映画『テン』に使用され、人々の官能を刺激していた。

女優ボー・デレクが映画の中でヌードになり、レコード店ではサウンド・トラックが飛ぶように売れた。

ラヴェルの音楽はアメリカ人の寝室の奥まで入り込んだのだ。

時代はまた、ディスコ黄金期でもあった。

《ボレロ》も例外ではなく、作曲家ウォルター・マーフィーによってディスコ・アレンジされ、ミラーボールが回るダンス・フロアに躍り出た。

1981年、《ボレロ》のスコア下部に新たな会社の名が追記された。ケントン・ファイナンシャル・コーポレーション。

所在地はパナマ共和国である。経営者は誰なのか?
名義人として、数千の企業を経営している3人の名前があった。

なぜSACEMは、モーリス・ラヴェルの著作権をタックス・ヘイヴン(租税回避地)に拠点を置く企業に移すことに合意したのか。

ダニエル・エノック=マイヤール(現エノック社 社長)
「それは一見、予想外の展開でした。でも私が思うに、ラヴェルの全ての権利を完全に放棄するよりは、彼らを受け入れた方がましとSACEMは判断したのでしょう。なにせ、失うには莫大な金額だったのですから。」

その頃、パリではクロード・ルルーシュ監督が新作映画「愛と哀しみのボレロ」(原題 "Les Unes et Les Autres")のために大掛かりな撮影を行っていた。

エッフェル塔、フランス内外の著名な映画俳優、そしてモーリス・ベジャール振付による《ボレロ》を物語に登場させたのだ。

クロード・ルルーシュ(映画監督)
「権利者達と話した時、彼らはこう言っていたんだ、『《ボレロ》はあなたに ”多大な”ものをもたらすでしょう』とね。それはある意味正しかったよ。我々に”多大な”金を支払わせたんだからね。我々は得する側じゃなかったのさ。具体的な数字(金額)の話をしたよ。まるで離婚話みたいに、折り合いをつけるための数字を決めなきゃならなかった。」

映画は300万人以上の入場者を呼び、サウンド・トラックはゴールドディスク3冠に輝いた。

同時期にソニーとフィリップスがCDを開発した。

そしてちょうどこの頃、ジーン・マヌエル・デ・スカラノなる人物が表舞台に登場する。

彼は米仏混成のディスコ・グループ「サンタ・エスメラルダ」のプロデューサーであり、ニーナ・シモンの歌曲で世界的ヒットを飛ばした人物だった。

ゴールドディスク25冠、プラチナディスク42冠を獲得し、財を成したジーン・マヌエル・デ・スカラノは投資を始めた。デュラン社を買収し、その所蔵する作曲家目録を取得、フランス音楽出版社同業者組合 ”la Chambre Syndicale des Editeurs de Musique” の副委員長に就任するのである。

こうして彼は巧妙なロビイストとしての顔を人々に見せ始めた。

ダニエル・エノック=マイヤール(現エノック社 社長)
「彼は出版業界のために、とても多くの働きをした人物でした。もとより、自分の会社のためもあったとは思いますが。」

スカラノにはある懸念があった。

《ボレロ》の著作権が切れ、その驚異的な恩恵が枯渇するまでにわずか10年ほどしか残されていなかったのだ。

同じ頃、文化大臣のジャック・ラングは、著作権に関する新たな法案を立ち上げようとしていた。

ジャック・ラング(元文化大臣)
「1985年に提出されたこの法案は、作家、プロデューサー、作品の制作や普及に寄与したすべての人々の権利を保護するための、より広範な利益を目的として提出されました。」

それは広大かつ野心に満ちた試みであった。
スカラノはここに、自身の利益を守るための絶好の機会を見出した。

イザベル・アタール(代議士)
「この法案で最も経済的恩恵を得るのは、議会や上院からかけ離れたところにいる外部の業界人達でした。ロビイストや各出版社の社長、そしてSACEMやSACD(訳注:la Société des auteurs et compositeurs dramatiques フランス劇作家及び劇作曲家協会)の代表者達です。法案設立のための、最終的な鍵を握っていたのはこれらの人々でした。」

エマニュエル・ピエラ(弁護士)
「文学や芸術などの分野で権利問題が起こる時、多くの場合、技術的な問題があり、我々はその点、素人です。そこで意見を求めるのが往々にして『自分たちに都合の良い言葉をもっともらしく喧伝する人たち』なんですね。そういう『自分たちに都合の良い言葉をもっともらしく喧伝する人たち』は大体、巨大な著作権管理団体やSACEMあたりから送りこまれてきます。なぜなら、そうやって著作権について説明することが彼らの仕事だからです。著作権の仕組みだとか、音楽家の生活についてだとか、ああだこうだと。」

両院(下院・上院)での審議中、新たにラヴェルの著作権保有者となったスカラノは、音楽業界の暗澹たる未来図を描き出した。

厳しさを増す国際競争に、重い投資負担。国内で楽譜を刷ることはいずれ不可能になるだろう、と。

アラン・リシャール(上院議員)
「彼が泣きながらこう言ったのを覚えている。『楽譜製作はとても費用がかかる上、あまり売れないのです』とね。」

そして、《ボレロ》の著作権保有者である彼は、音楽作品についてのみ、著作権保護期間を20年延長するよう求めてきた。

アラン・リシャール(上院議員)
「当時、10人から15人ほどの上院議員がこの問題について真剣に取り組んでいたと思う。他の者は彼らを信頼し、彼らの意見に従った。我々はそうして、多くの専門分野について役割分担をした。私は食品の安全問題に取り組み、他にもそのテーマに詳しい同僚たちもいたので、彼らの議論やレジュメ、考察を聞き、最終的に同じ意見を持つグループの一員となるんだ。」

さらに、スカラノに予期せぬ援軍が現われた。エドガー・フォール。

彼は弁護士であり、学者で、元大臣でもあった。フォールは、フランスの音楽出版業界が生き残るため(20年の保護期間延長が必要である)と訴え、その能弁な演説は議会を納得させるに至った。

結果、上院が追加した法案第7条の2により、音楽作品に限り70年の著作権保護期間が与えられることとなった。

さらに国会の第2読会で、すべての芸術作品の著作権保護期間を50年から70年に拡大する必要があると議員たちは結論付けたが、これについては適切な議論を欠いたため、上院は当初の提案を固持した。

こうして、保護期間延長の特典は、音楽作品だけが享受することとなった。

アラン・リシャール(上院議員)
「我々は自分たちに言い聞かせたよ。『やっと辿り着いた。少なくとも、この法案を立ち上げた当初の目的については、下院と上院のほぼ完全な合意により達成できた。』と。『この70年問題のためだけに、議会解散などという事態は避けなければならない』とも。」

1985年7月3日、著作権とその隣接権に関する新しい法律が採択された。

文学作品や絵画作品は50年間の保護、音楽作品は更に20年間の追加保護期間を付与された。

《ボレロ》の著作権消滅の日は2016年5月1日まで延期された。

それはとりもなおさず、モーリス・ラヴェルの著作権保有者のために、更に20年間の追加収益が約束されたということでもあった。

法案が両院で可決されたその頃、《ボレロ》は、ポーランドのピアノ・デュオ、マレク&ヴァチェクにより演奏された。

ところで、実際プルーストやピカソの作品は、ラヴェルの音楽よりも価値が低いのだろうか?

芸術作品における平等の原則を破ることによって、ラング法第7条の2は、いつか見直さざるを得ない日が来るのではないか。

《ボレロ》の著作権消滅の日が、これまで何度も変更されているように。


(エピソード7 につづく)


※当ドキュメンタリーの日本語訳の翻訳権は日本モーリス・ラヴェル友の会に帰属しております。翻訳文の無断コピー及び転載は禁止となっております。なおシェアは推奨しております。

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