思考と言葉を選ぶことで、自分がどのように変わったか

「あみちゃんは、自分の中でまとめて体系化した"大事なもの"を、もっと色んな形でアウトプットしたらいい」
と、ちょくちょく、節々で、言ってもらってきました。

私の中では『当たり前』のことや、多分普通の人には受け入れられないだろうと思い込んでいたものばかりを、なんだか突然「出力してみよう」と思いました。

それで書いたのがこちらの記事です。

公開した記事は思っていたより読んで頂けて、加えて何件か「言葉での感想」をいただきました。
じゃあ、上記の『自分を掘り下げる』をやると、実際に、何がどう変わるのか?
というところを、経験談を元に、ひとつの事例として書いておいたら、書かないよりずっといいかな、と思い至りました。

あくまで私の場合ですから、人によってどのように、何が変わっていくのかは様々でしょう。
何が正解であるかと断じることはいたしません。
そもそも、そんなことは誰にもできませんから。

「へぇ〜この人はドラえもんズならドラザキッド派なのか〜。私はドラパン派だけど〜確かに可愛いよね〜」くらいの気持ちで読んでください。
(ちなみに、私は永遠のドラリーニョ夢女です。ドラえもんズ復活してくれ頼む。)



言霊と思考を選ぶようになる前

生まれた時〜少年期

前提として「何故私は、言霊と思考を選ぶに至ったのか」をお話します。
主に、産まれてから、小学生の頃までのお話。

私はDVモラハラ父が威圧する家庭のもと、二人姉妹の姉として、帝王切開で産まれました。臍の緒が首に巻き付いた、未熟児でした。
産まれる前日の夜、親戚のおじさんが突然亡くなったそうで。
環境もあり、元々心身に負担がかかっていた母と、ギリギリでこの世に産まれおちた私へのお見舞いは、祖母ひとりだけだったみたいです。
おばあちゃんありがとう。
(おじさんも、もしかしたら私たちを守ってくれたのではないかと、今では思っています。)

感覚過敏がちで、夜泣きもひどく、成長発達の段階や時期も周囲と食い違い、母は相当悩んだと聞きます。
おかあさんありがとう。


私を形作った記憶

そんな私の人生を方向付けた、幼少期の主な体験が3つ。

  • 幼稚園の年長さんの時に「お芝居が楽しい」と思ったこと

  • 小学校入学直後に「学校での教育は、学ぶ権利に制限をかけ、知的探究心を大人側がコントロールし、大人の思う方向に、大人が示すペースで嵌め込んでいくためのものなのだ」と理解したこと

  • 私の感覚、思考、内面は、誰にも理解されず、受け入れられないものなのだ(私は異星人で、出来損ないなのだ)と痛感したこと


その(大雑把な抽出ですが)三つの経験が、まず私の人生を力強く方向づけました。
(※あくまで『私が感じたこと』です。真実かどうかはまた別の話。)

つまり私は、芸術や表現が好きで、既存の学校教育や常識&固定概念に"心身を病むほどの窮屈さ"を感じ、孤独感と異質感を内側に見出す子どもとなりました。
今ではそれも、悪い経験だったとは思っていません。
戻りたくはないですけどね。

幼い私にはあんまりに苦しかった、世界の形と空気は、私の中をドロドロと侵食し、弱らせ、絶望させ、気力を奪いました。
それらは11歳の時に『殆ど寝たきりになる』というかたちで噴火、爆発を起こし、私は晴れて鬱、不眠症、不登校、摂食障害、自傷癖、引きこもりという、とても"現代っ子らしい"道のひとつを歩み始めたのです。愛すべき旅の始まりでした。

当時は、皇后雅子様の適応障害が報じられたり、発達障害の子どもが起こす重大な事件が報じられたりして、漸く世間の目が『人の内面、その構造。それらを認識する必要性』に向き始めたような時期でした。



初めて、言葉を意識した

1.前提

初めて「自分の発する言葉を変えよう」と思ったのは、たしか、14〜15歳くらいの時のことです。
(当時はひどく病んでいたもので、記憶違いがあるかもしれません。ご容赦ください。)

その頃、私の口癖は
「死にたい」
「消えたい」
「帰りたい」
でした。

前者二つは、まあ、セウトで人として通常として。
最後のひとつは
『きっと、宇宙のどこかには、私の性質に合う惑星がある。私は地球人に成れずにいるのだ。私だけが取り残された。この地球に対し、私は不慣れで、不和で、無知すぎる。』
と思う故の口癖でした。
家に帰りたかったのではありません。
目では見えない、どこか遠くにある惑星(もしくは恒星や衛星)に、もしくは異次元の故郷に、はたまた、魂の根源へと、ただただ、還りたかったのです。



2.きっかけ

『どこか遠い場所へ還りたい』と思った私が、最初に手を伸ばした"精神世界へのきっかけ"はなんだったか。
正確には思い出せませんが、プロテスタント系の教会に何度も通わせて頂いたことを覚えています。
他にも、ネットでちょろちょろ、調べたりとか。

兎に角、私は少しずつ、自分を掬い上げるための方法のピースの、そのまた更に断片を、少しずつ、少しずつ、拾い上げていました。
そこで『発する言葉を変える』という手段に行き着きました。

見つけ出した、その、溺れる者が掴む藁でしかないのかもしれないそれを、私は必死に手繰り寄せて縋りつきました。
そうするしかなかったのです。他には、私の手の届く範囲、目に見える範囲には、細い藁一本すら、ありませんでしたから。



3.どのように言葉を変えたか

具体的に口癖をどう変えたのかというと
「死にた…」と、悪癖が口をついて出た瞬間、すかさず「くない」と付け加えました。

ね。おかしいでしょう。くだらないでしょう。信じられないでしょう。
そんなんで変わるわけないと思うでしょう。
けれども、たったそれだけの変化を取り入れた私は、自分に
「私は死にたい、消えたいのではなく。ただ自分の居場所が欲しいだけなのだ
と、根気強く教えてやることができました。

それだけ必死で、他に手段もなく、私はただ只管、新しい口癖を自分に、自分の身体に覚えさせ続けました。
 
普通なら笑ってしまうほど、下らなくて、小さくて、馬鹿馬鹿しいことが、私の人生史上、1番大きなきっかけになりました。
今では『自称、地球オタクです。』と笑って言えるほど、この惑星も、そこに生きる地球人も、彼らが生み出すものも、生きる道も、面白くて可愛くて、それはそれは大好きになりましたよ。本当に。

まあ、その後も、10年、15年と、自分の言葉と思考を変え続けたのですけれど。
(1ヶ月やそこらで諦めちゃ勿体ない)
(3年でも勿体無い)

現代は、この記事のような体験談や、コツをまとめた情報にアクセスしやすい時代になりました。世界の空気やエネルギーも変わりました。
だから、10年も15年もかかることは稀ではないでしょうか。だから、安心してください。構えすぎないで。
リラーックス、リラックス。

言葉と思考を変え、それらが自分の一部となる。
つまり、その時点で自分は変化、進化しているわけです。
そうすると、その都度出会う人が変わり、言葉を交わす人が変わり、見えるものが変わり、聞こえるものも変わり、手に入るものや、環境までも変わりました。

言葉を変えることで、本人(この場合私)が変わったからです。



4.口癖を変えるのは苦しかった

『ポジティブな言葉を口にしなさい』
私もよく言います。真に、大事だからです。自分が、世界が、180度変わるからです。

けれども、私も、最初からそのように立派な改革ができたわけではありませんでした。
現に、私が『死にた…くない』などと、ごく僅かな(けれど最大の)軌道修正しか行えなかったのは
『生きたい』『人生は楽しい』『地球は美しい』と口にするには、当時の私はまだ苦しすぎたからです。

そういう「素敵な言葉」を口にしようとするたび、喉がつっかえて、呼吸が苦しくて、涙が出ました。
自分はそんなこと、これっぽっちも思えていないのに!



5.それでも変わることができたのは

先述の通り、私は今思うと、既に苦しい自分が、余計に苦しくなることはなるべくしませんでした。
少し言い方を変えると
「無理をしなかった」
のです。

だって、11歳で心身が決壊するまで、毎日毎時毎分毎秒、無理して無理して無理して地球人をやろうとして、結局は心身を壊したのですから。
無理をしても良いことはないのだという前提で、あらゆるものの選択をしました。
今思えば、その前提ゆえに、過剰に臆病な選択や、後ろ向きな言動に繋がった瞬間もあります。
時間がかかった一因でもある。

でも、私にはそれだけの時間、猶予、準備、調整、理解、癒しが必要でした。


自分が(あなたが)、少しだけ背伸びして届くところまで、背伸びし続ける。
例えば、ギリギリ届くピアノの1オクターブを毎日毎日、小指と親指で弾く
みたいに。

そうすると、いつの間にか前より少し楽に弾けるようになる。
手の関節の動き方、動ける範囲が変わるからです。
その"少し楽に弾ける手"が、自分の手、そのものになる時が来る。

いつも声が裏返るフレーズをひたすら歌い、練習する。
いつの間にか音域が広がり、少し楽に、当たり前に歌えるようになる。
それが自分の歌唱力そのものになる。

そういうことの繰り返し。
歌でも、ピアノでも、思考でも、口癖でも、筋トレでも、英語のリスニングでも、そうじゃないですか。ね。


何が変わったのか。本当に変わったのか。

さて。たしかに、結果的に、自分は変化し、生きる世界も変わります。
けれども、地道な作業です。

人それぞれ「変わった」と自覚する瞬間はあると思います。
そこに決まりも規則もない。
自分が変わったと思ったなら、それは確実に変わったのです。
自分で自覚できるほどですから、相当変わったに違いない。

そいでも、人は長距離を走る時、どこか中継地点を見つけて休憩し、都度メンテナンスをしなければ、疲弊し、高確率でトラブルが起きたり、エンストしたりする。
ここは大切なポイントです。
だから、大きく変えようとしすぎると焦るし、辛いし、疲れるし、事故るし、なんだこんなもの!ってなる。

私は、その、中継地点として「変わった自分を認識する」ことは、比較的得意でした。
というか、そもそも変わる前の前提が、変化した自分を見出しやすい状況だったので。混沌としていた分、不甲斐なさを突きつけられていた分、幸運でしたね。
幸運なことに、欲張ることができなくなっていたのです。

まず、私はそれまで『物事が継続できない子』とのレッテルを貼られていました。
今では
「続けることが必ずしも良いのか?」
とか
「続くものは続くし!」
とか、反論の余地も材料も有り余るほど持っているのですけれども、何せ幼い頃から貼り付けられていましたからね。
自分のアイデンティティのようなものと錯覚していた。

それが、どうですか。
最初、口癖を「死にたい」から「死にた…くない」に変えるのを1ヶ月続けたとき。
自分が幸せになるため
これまで大嫌いだと思っていた自分のために継続することができる自分を自覚した時。

その時の私の「ああ、私は変われるのかも知れない」という僅かな希望。一縷の望み。差し込む細い光。まさにそういうもの。

『まずは、20回、口癖を変えよう。それが出来たら、きっと私は変わることができる。幸せの方へ進める。』
そんなようなところから始めた記憶がありますね。
この設定も、人それぞれ、その時の自分よりちょっと背伸びしたところにすればいい。

で、たぶん「自分にとってはここが背伸びだ」って思ってるところって、大抵の場合、もはや爪先立ちなので、ちょっと踵浮かすくらいのところからで良い。
あるならサポートスリッパとか使っても良い。補助器具、サポーター、万歳。
楽にやれる方が良いに決まってるじゃん。
自分が出来うる限り、楽にやっていいんだよ。



思考や言葉は選択できる

「ポジティブな思考をしろと言うが、自分にそれは向いていないと感じる。」
という人もいます。
たしかに、自分で思うなら、それは向いてないのかもしれない。
でも、自分で思うよりも、やりたくないだけかもしれない。
じゃあ、どうして、自分は、やりたくないんだ?

別にね、明るく前向きになろうなどとせず
ただ自分の心の声に耳を傾ければいい

よく歌詞とかで言ってるやつだ
歌はすごいぞ、祈りだし、真理だし。
まあ、今はそれは置いておいて。

自分の中には
・自分の思考の癖、その原因
・自分の言葉の癖、その原因
・それらを理解し整理した先の可能性
エトセトラエトセトラ
そういうものがすべて埋まっている。
だから、お宝発掘探検みたいで、自分探しは楽しい。



ひとつだけルールがあるとしたら

ここまで、私がどのように変わろうともがいてきたのかを書き連ねました。
具体的に得たものを書きましょうか?
敢えて挙げるとするなら…

  • 養うに値する自分(そのように思える自分)

  • 愛するに値する世界、環境

  • 自分はこれをやればいいのだという軸

  • ともだち、仲間

  • 楽しい人生(自分を生かす生き方)

とかかしら。
あ、躁鬱と自傷癖と摂食障害と引きこもりはほぼほぼなくなりました。
いや、これ多分最初に書いた方がいいくらいみんな知りたいことだった気がする。
いまや価値基準の置き処が小学生男子みたいなところにあるもので、申し訳ない。カブトムシ△。

あ、あと、21歳の時にDVモラハラ父と別居できました。
それが何よりものすごく救われたし、楽になった大きな要因。
そこから癒し、認識、需要のプロセスに漸く至ることができた。
(その出来事と、思考や言霊の選択の繋がりは、きっと人には、証明もできなければ、否定もできないものなのです。)

自分に悪影響を与えるものからは離れてください。
これもかなり大事。
私は2月13日未の刻に生まれたけれど、その後、21歳の時に漸く誕生したとさえ思っています。
我、小学生なう。カブトムシ△!!!!

大雑把で申し訳ないのだけど、得たものや変化と言えば、こんな感じ。(これは私の性格が大雑把だからです…。)
まあ、ひとつひとつ挙げていたらキリがないから。
小さな変化、小さな成果の積み重ねで、ここまで来たのだもの。
何かだけをピックアップするのは難しいです。
それくらい、人生全体が心地良く、楽しい方へ来た。

私の歌や言葉、存在を見つけ、言葉を交わし、素敵なものや面白いものを見せて、あらゆる気づきの種を手渡してくれた。あらゆる出逢いと、出来事のおかげ。本当に感謝しています。
ありがとうございます。

『目では見えない、どこか遠くにある惑星(もしくは恒星や衛星)に、もしくは異次元の故郷に、はたまた、魂の根源へと、ただただ、還りたい。』
とは、もう、今のところ、思いません。

たぶん暫くは思いません。人は変わるから、断言はしないけどね?

だって、今いる地球が、やってる最中の人生が、おもしろおかしくって、可愛くって楽しくって、素敵で愉快で仕方がないもの。

そんな風な、脳天気でお気楽で、まるで根明みたいなこと言うようになった私が、ひとつだけ、よければルールとして取り入れて欲しいものがあります。

それは「断罪しない」ということです。
罪のありかを探すのではなく、罪が生まれざるを得なかった原因を探してください。
その近くに、蹲っているあなたがいます。可能性が詰まった宝箱を抱えて。

裁くための剣を、その剣を研ぐための基準を持ち出した瞬間、その小さなあなたは、必死に裁こうとするあなたから逃げます。
少なくとも、裁くのは、今じゃない。あなたじゃない。
だから、とりあえず置いておいて。

いや、だって、怖いよね。大人になった自分が剣持って追いかけてきたらさ、怖くない?そりゃ逃げるよね。
私でも逃げるわ。まともな危機管理能力あったら普通に逃げる。
そしてそれは、他の人間さんも同じです。
地球人さんは多分、大抵、みんな、そこは同じだよ。
だからこそ、危機を乗り越えて、今ここに生き残ってきている。みんながみんな精鋭。

だから、自信を持って、自分を迎えに行ってください。
見つけに行ってください。
その道を作るのが、思考であり、言葉です。
(もちろん行動も、あらゆる選択もね)

断罪のための剣を必死になって振り回していては、小さな声を聞く余裕が出ません。

だから、ね
「断罪しない」
割とわかりやすくて、引っ張り出しやすい、ひとつのルールだと思います。

勿論、何度も言っている通り
人それぞれに向き合うべき部分、方向、アプローチ方法、見えてくるものがあります。
自分にゃ合わないな、と思ったらそれで良い。
そう判断できた時点で、あなたはあなたの声を聞くことができている。
すごい。素晴らしい。かっこいい。あんたは偉い。さすが精鋭。

なんかね、そんなノリでもいいわけですよ。
私の場合、そう思えるようになったのです。

当たり前のように、次々と課題は見つかりますし、まだまだ改善できるものがありますし、自分の至らなさに蹲るときもあります。
けれども、それらはさらにハッピーになるための材料ですよね。オラ、ワクテカすっぞ。(いや、たまーーーに疲れたりはするけれども。美味しいもの食べて推し活して寝れば治る。)

あなたには何が見えて来るんでしょうね。
楽しみですね。


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