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24.2+/日記以外のこと或いはライオン

2月、とても楽しい。いろいろなことがあるのだけど、ボリュームをもって書きたいことがあったので、日記の番外編を。

私はちょっとだけプロレスを観戦している人です。
この度、好きな言葉と好きな言葉を持つ人が戦うことになりました。
それってとってもうれしいな、悩ましいな、苦しいな、晴れやかだな。
どっちも勝ってほしいねって思う。この勝つっていうのは勝敗とかではなく望む未来を得て欲しいという意味であって。


何がありましたか?(通称:前回までのあらすじ)

1月28日に後楽園ホールでKO-D無差別級の初防衛に成功した上野勇希選手が、次期挑戦者に男色ディーノ選手を指名したのです。
次の防衛戦の場所は新宿FACE、時は2月14日!バレンタインは大一番!

みんなで揃って現地やWRESTLE UNIVERSEでみましょうね。
とは言いつつも花より熱波3、今からでもABEMAで生中継してくれの気持ちは十分あるんですよ~


なんでこんなに心を弾ませているかというと、私は言葉が好きだから。
だから上野勇希選手と男色ディーノ選手という、言葉を大事にする人が相対した今の景色がとてもきらめいて見えるのです。

とはいえ言葉といってもいろいろあるのだけど。
簡単に分けた例として、話す言葉と書く言葉があって。それなら私は書く言葉の方が得意。
話し言葉じゃ照れくさい言葉も書くことでしっくりくることがあるし、ちょっと長ったらしく書いてしまっても、読む側で時間を調整してくれるんだよね。もちろん技法として、ゆっくり読ませるとかさっくり読ませるとか個々のテンポはあるのだけど。脱線しちゃったな。

まあそういうこともあって、話し言葉でまっすぐ伝える人が眩しく見える。
Voicyなんかで届けてくれる言葉もそうだし、サイン会などのあなたとわたしで交わす言葉もそうだけど、プロレスであれば何よりマイクで。上野さんにめっちゃ肩入れしたいと思ったのもマイクがきっかけでした。
この近々で浴びた、二人のマイクで交わす言葉がもうもとても良くって。それだけではなくって書き言葉の応酬までものすごくって、心は毎日揺れ動いてわくわくしているんですよ。どのような形であれ、見たい!と思わせるパワーが有り余っている。2/14のチケットは完売御礼とのことでうれしいです。

以前にも書いたけれど、言葉とは奥深く恐ろしいもだという意識はあって。
言葉は字面が同じでも、その使い手その時々で全然違う。場と感情と時間にむちゃくちゃ左右されるもの。
昼の言葉が夜に何の意味も成さなくなることなんてざらにあるし、愛と勇気を語られようとも感じられるものがないならば、それは力にはならない言葉で。もっと簡素に言えば、新人とベテランが同じこと言っても、それはどの根っこから出ているかは全然違うよねっていう。

とはいえ、だからこそ。魅力的な言葉や物語がそこにあれば。それを受け取ることのできるオーディエンスは魔法にかかるも造作もないってわけで。
でもよく考えてみたい。魅力の魔法にかかること、実は我々とんでもなく恐ろしい行いをしているのかもしれないって考え方もできないでしょうか?

何と言ったらよいか分かりませんが、キーを打つ手は止まりません。
これって衝動だと思います。なので時は少し遡って。


ニワカ、とっても楽しみということ

時は今年の一月頭。ディーノさんのサイン会に行ったのですよ。

上野さんのVoicyを聞いていることは時々日記に書いたような気もするのですが、ディーノさんのnoteも読んでいます。時々ながら有料分も読んでいます。どのような切り口の内容でも、相手に伝わりやすい温度が文体としてあって、それが受け手にはしっくりくるのだなあと思っています。

noteを読むことで嬉しくなったり、いろいろな視点が増えたこと。誰かの頭の中を、視界を、言葉を知ることができるのは嬉しい。お礼がしたかったのでサイン会に足を運びました。私にとってはとてもとても珍しいことです。

なんだかこっちも照れちゃうね

私が勝手に嬉しくなっているとお伝えしたら、なんだか照れるねと、はにかんでおられました。私が今月行ける大会は大阪あるいは名古屋なので、タイトルマッチまでに言葉を直接伝えるタイミングがないのがさびしいです。

そもそも2/14の上野VSディーノ戦は既報のカードで。1/28にそれが防衛戦へと変化したというくだりがあったのですが、そうなる前から楽しいものが見られると思っていました。
直近の対戦、シングルのうちだと一昨年の広島が好き。友達はこのシングルがあるなら絶対面白いだろうと神奈川から広島まで飛んだ結果、生ケツ危機一髪セクシートレインが出てきて大満足だった様子の記憶があります。Audience 2022 TOUR in HIROSHIMAを見ましょうね。

いま、先述の防衛戦への決定から日は経ってないのですが。言葉の応酬が凄いんです。実際の前哨戦はないけど文通で前哨戦をしているみたいな。私には全部愛なるものにくるまれているように見える。ここにはXしか貼らないけれど、各種公式アカウントを見よう。

男色ディーノ(@dandieno)さん / X

上野 勇希 YUKI UENO @サウナカミーナ(@dna_ueno)さん / X

愛というと簡単すぎるんだけどなんだろうね、相手を捉えることとか、自分のことに向き合って深く潜っていくこととか。自分が今いる場所とか相手へのリスペクト?なんだろう、なんかまっすぐ見ている気がする。どうして自分が今ここにいるかを走りながら再定義している様子をリアルタイムで見ている感じがするんですよ、我々。

普段の試合としての前哨戦なら、肉体のぶつかりあいという言語外のものを通じて重ねて分かってくる。みたいなものもあるのだけど、言葉や意思表示はくっきりはっきり言葉としてそこにある。言語として可視化されるもので。めちゃくちゃそれが楽しい。そう誰でもできることじゃない。二人ともすごくたくさんの言葉を重ねているんですが、それが一言でぱんと言いきれるものじゃないおもしろさというものを言語外に伝えているという点が不思議ですよね。

そして、これはリングの中には少しも届かない言葉なんですが。素人考えだねって笑ってもらうための言葉なんですが。
心をさらすことは、自分の腹をさらすことはものすごくパワーが必要だなと、外野の人間も少しだけ思うのです。先日、怪文書を書いたんですよ、自分の話しかしていないから読まなくていいのだけどリンクは貼っちゃう超矛盾。

書いて数日、情緒がものすごくおかしかった。好きという気持ちを臆さず言葉にするのは衝動の要素もあるし、綿密に思考していた自己の再定義という要素もある。もちろん怪文書自体の持つ、一種の乱暴さに自分で動揺するというのもある。ただ、この時はまるで自分の脆弱性をさらけ出してるような気持ちになって。もちろんコメントとかでやわらかなところに針をぶちこまれる可能性だって全然あるわけだけど、そういうことじゃなくて。

私は私でしかないし、この感覚は私固有のもの。同じものを見ることは可能かもしれなけれど、視界は誰とも共有できない。自分をさらけ出すってことは、それがくっきり分かってしまう。それを腑分けして、世に出せる言葉に整えて、こう伝わってくれという祈りだけ込めて。生きている時間の、全部の重力が数倍になったような心地。

じゃあ、自分をさらけ出し続けて、それをぶつけ合うって、どういうことだろう?この数日、そういうことを改めて思うのです。
相手をまっすぐ捉えて、自分を差し出して、言葉を届けあって、その先には何があるのだろうとまっさらに楽しみな私がいるんですよ。ちょっとずつちょっとずつですが、楽しみ方の引き出しが増えているような、そんな感覚です。


私はプロレスを観戦している人です。
プロレス見るのはとても楽しいです。まるで映画を見ているみたいな。何も知らなくても飛び込める、きらめきの満漢全席。だから、関わる人のいろんな所に届けという思いが世間をぶち抜くと良いなと思います。

そしてそして、バレンタインとかいう気持ちを伝え合うための日にこのタイトルマッチがあることが、めっちゃくちゃ良いなと思っています。
良き日でありますように、良き景色がありますように。うれしくって、悩ましくって、苦しくて、晴れやかな試合でありますように。

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