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Super Star Spectacle 2024 Jan.

ファンが応援している人の言葉を理解できているか、その視界を共有できているか、考えていることを知っているか、すべてを追うことはできるか。
不可能だと思う。けれども日々の感情の波のどこかで、考え続けることはできる。烏滸がましさの極地だとも思う。けれど私にはこの球種しかない。


世迷い言はさておき、プロレスを見始めて二年が経過しました。
DDTプロレスリング。ドラマチックドリームチーム。わたしはいつからか、きらめきの満漢全席と表現していました。あらゆるものがひしめき弾ける最高のエンターテイメントです。
好きな選手はたくさんいて、肩入れしている選手が数名いて、その中でもいっとう肩入れして推している選手がいます。

上野勇希選手。第82代KO-D無差別級王者です。

昨年の両国大会で初の戴冠。今月末に初めての防衛戦があり、今は前哨戦の真っ最中です。挑戦者は納谷幸男選手。リーグ戦であるD王 GRAND PRIX 2023優勝者、すなわち今の最強。とても大きくて強い選手です。

前哨戦を見ていて、ふと考えることがありました。改めて考えることがありました。そしてそれは、ぐるぐると頭の中を離れません。いや、本当はもっと前から改めて考えるべき事だったのかもしれないとすら思います。答えの出しようがなく難しいのですが、とても楽しい問いでもあります。

これは配信ベース、時々現地という距離感をした地方在住のファンがのたうちまわり、楽しんでいる記録です。何かの解釈の話ではなく。書き留めておかねばきっと数年先には忘れてしまう一瞬のセブンセンシズめいた自分の感覚を残しておくためのもの。私は今楽しんでいます。


1.てっぺんにあるもの

1月7日、大阪大会のday2。メインイベントにて納谷選手が勝ちました。その際に「今日はあんたの楽しいプロレスに付き合って俺が勝ちました」というマイクに「お前は分かってない」と上野選手が返すやりとりがありました。

KO-D無差別級とは何か。誰にでも、どんな存在にも開かれたベルトだからこそ、いかようにでも解釈ができるとも考えています。
上野選手は例えばUltimate Party 2023内の煽りVの中で、『面白いも強いも凄いも男も女も国籍だって何も関係ない、全部持っているおもろいやつが一番すごくて一番強くてKing Of DDT』と言葉にしていて、けれど他の選手にとってはあらゆる存在の一番てっぺんに別のものが来ても不思議ではない。

だから私は、その日のやりとりはとても面白いと思ったのです。
納谷選手にとってのKO-D無差別級の定義は上野選手と異なること。しかし納谷選手が解釈した上野選手の「おもろい」もまた「楽しい」のみではないこと。それぞれの定義するKO-D無差別級という言葉に光が当たるようでした。
光が当たると照らされた面と影の面ができて、陰影が生まれます。おや?この解釈が違うなら何だろうとまた別の解釈をぶつけていく。これが続けば陰影は輪郭になって見るものに双方にとってのKO-D無差別級を想起させることができて楽しいのではとも思いました。

しかしそう思ったところで、私も考えることになったのです。おもろいって、何だろう。私は生まれも育ちも大阪であるけれど、おもろいとはかなりフィーリングで使ってきた言葉だなと我に返ってしまった。

私も上野選手の言葉をまっすぐに解釈できているのだろうか。そういう問いが生まれたのです。

2.表情が移りゆくもの

話が変わって。年明け、中之島美術館で開かれていたテート美術館展に行っていました。テート美術館のコレクションから、光を軸にして時代・地域・表現手法を問わず作品を一堂に集めた企画展。

光を鑑賞、記録する人々

光。目に映るけれど触れることはできないもの。無数に表情を持つもの。時に熱を持っていたり、遙か昔のものであるもの。その時々で捉えられた光、再現された光。陰影だったり空間だったりそれそのものが発光していたり融け合っていたり。
気に入ったものの中にはポストカードとして販売されていたものもあって、それだけでも光の解釈は全く異なるのだから、さまざまな視点を浴びて楽しい時間を過ごせました。

タレルのインスタレーションも好き

一方で、とても長い年月の中で表現技法の限りを尽くしても、まだまだ光を表現できる術があるということも感じ取っていました。
神秘性、移りゆく自然の光のきらめき、光で映し出す人の内面、光から生まれる影、絶えず変化するものを捉えることは広大です。こうして言葉で書くだけでも、誰かの視界に広がるイメージに同じものは一つとしてないと思います。

そんなことを思い返していたら、おもろいを言葉であらわすことってかなりすごい事なのではとも考えるようになりました。ものの名前ではなくて有り様を表現することですから。
おもろいもまた、目に映るけれど触れることはできないもの。無数に表情を持つものであるように思ったのです。

3.きらめきの真ん中にあるもの

私は上野選手の言葉を大切にして、言葉を推進力にして道を切り開いたり駆け抜けようとする眩しさが好きです。あまたのきらめきと人を惹きつける団体の一番てっぺんにいるおもろい人は、言葉を大切にしているなと思う場面がたくさんあります。お話が達者と人は言います、それ以上にお話の力を信じているなと映る時があります。

なぜ肩入れするようになったかは、一昨年に少しだけ書きました。

けれど改めて。

最初の最初はふとしたきっかけで、2021年の11月にDDTを配信で見ました。その時にプロレスってこんなに面白いものなんだ!と発見したのです。そこからは配信や大阪の大会を見て満遍なく楽しんでいました。

半年くらい経った頃でしょうか。4月の無料興行の中継を見て、当時無差別級選手権の挑戦者であった上野選手のマイクがとってもとっても響いたのです。
僕がDDTを背負うと宣言して、誰に任されるでものでもない、新しいものを作るという内容でした。ただ、内容以上にそのマイクに至る試合の内容、その時あった感情。言語化できない何かをそこに見てしまった。その気持ちに賭けたいと動かされた。要するに琴線に触れたのです。

あれから時は流れて、上野選手は無差別級の王者になりました。うれしいやったーです、あの時見えた何かの一つが形になって、しかもそれがゴールではなくて新しいスタートであること。この先を見ていくことができるというのは嬉しいことです。どなたにも幸運があると良いなと思っています。
DDTをもっと伝える、ということを掲げて。その最初の防衛戦に、伝えることの難しさが対戦相手からもたらされていることは面白いなと思います。

とはいえ上野選手のKO-D無差別級の定義について納谷選手の解釈が異なっているということが問題ではないと考えています。その人が受け取っていることが全てであるから。対上野選手への信念ぶつけ合いのコミュニケーションとしてはどうかという話は私にはできないことという前提もあります。

そして私は強いことにも、おもろいは内包されていると思います。強いことがおもろくないのではない。だからこそ強さをDDTの核にするならば、強いだけを携えることは是なのだろうか?という点が問われているように受け取っています。ただしもっと言えば全部できることが頂点なのか?という問いもきっと否なのでしょう。これが果たして現状の解釈として正しいのか、かなり怖いところではあるのですが。

私がDDTのことを書く時に、きらめきの満漢全席と書くことがあります。
満漢全席。なんでもあって、全部おいしい。
その中のメインは、きらめきの中心地は、面白くても激しくても苦しくても悲しいことがあっても全部目が離せないもの。見ていたいと思う衝動のような何かを備えた存在。わたしにとってのおもろいとはこういうことかもしれません。

見ている歴が浅いなりにも、過去の歴史を知っているわけではなくても、今まで見た蓄積からこういうことなのかな?と考えることはあります。全然間違ってて良い、人と同じでなくても良い。素敵の一言に詰まっている解釈が一致することはまずないだろうし。
それぞれがそれぞれのあり方で団体を背負っていることも見ていれば分かります。誰かにとって、誰もがそういう存在であると思うのです。それを俯瞰できているかはまた別の話だとも思います。

その中の一番てっぺん、引っ張る存在、ありたい姿。全部さらけ出せる姿をとても眩しいと思っています。

4.私たちのあいだにあるもの

話がもう一度飛びます。1月13日のことでした。ふらっとライブに行くことにしたのです。フェスティバルホールで開催されていたTOMOO LIVE TOUR 2023-2024 "TWO MOON"にゆきました。

TOMOOさんが前日に告知か何かでラジオに出演されていて、そこで明日ライブなんだなと思って。秋にヘビーローテーションだった曲も、アルバムの曲もとてもいいなと思っていて、さらにライブの場所がフェスティバルホールだったことが背中を押してくれました。フェスティバルホールは音響がとってもよいのです。
前日に取った席は三階席の中程で、当日は更に後ろの席までびっしり人がいます。なんだか嬉しくなりました。

FM802からお花が届いていました

キーボードやピアノで演奏しながら歌う曲もあれば、元気よくステージ全体を使ってワイパーしたりタオルを回す曲など幅広い楽曲群。生きた歌と楽器から成されるステージと多種多様な光の演出や音の広がりの心地よさ。ほぼ初見の情報量で向かいましたが、とても楽しい時間でした。

TOMOOさんは、周囲の人からこの会場は良いところだと聞いていたようですが今日初めてのフェスティバルホールだったそうです。実際来てみて感じた、このホールの良さを言語化しようとして。確か「言語化できない良さもあるよね、魔法みたいな……」といったニュアンスのお話になったことが、あ、なるほど、とても好きだなと思ったのでした。

MCがとても良かったなという印象が色濃いです。お話ししたいことを持ってきていても、型ではなくその時々の自分の言葉で話そうとしていて。その時に言いたいことがうまくまとまらなくたって良くて、その伝えようというスタンスがとても素敵なことだなと受け取れる人だなと思いました。歌や言葉で伝えようとする人。とてもとても良い時間でした。

フェスティバルホールは良い音の会場です。私もまた、ソムリエのように言葉にできるわけではなく今まで訪れたライブの体験から得た言語外の感覚があるだけです。でも共通認識として様々な人が良い会場だと言う。まるで一緒に過ごしてきた時間が同じであるように。私たちの間には恐らく同じもののような感覚があるのです。

そういうことなのかもしれません。行動や言葉にすると様々でも、同じものを受け取れているかもしれないという希望があると捉えて良いのかもしれません。
いや、これだけ書いておいてなんか全然思うところと違っていたら本当に申し訳ないなとも思います。思いますよ……

5.いまそこにあるもの

1月20日、KO-D無差別級選手権試合の調印式がありました。
1月21日にも試合があります。ところでこの両日のキービジュアルとても良いと思います。

最初の防衛戦の日が近づいています。最強と最強のその先。公開されているビジュアル上では、頂点の定義に焦点を当てているようにも取れます。それはそれとして。

よくよく思えば私たちは何か思ったり感じたりしても、すぐ言葉や行動にしなくて良いのです。締め切りの稼業でなければ猶予はいくらでも作れる。でもレスラーの人は興行の度に試合で表現している。マイクやコメントでリングの中や外に向けて伝えるものを伝え続けている。それはすごいことだとストレートに思います。

おもろいの極致。言葉では無限の解釈ができて、奥深さは限りなしです。
でも、言葉は場と感情と時間を味方につけられることも知っています。しかもプロレスラーの人には試合があるのです。目に映るし空間として体感できるしなんなら対戦相手は触れることもできるかもしれない。

その中で、いま伝えたいものが届いていないところに上野選手が伝えることができたなら、他人のわからない感覚をこれや!とぶちぬくことができたなら。それはとても晴れやかな景色だと思います。私はそういう瞬間も見たいと思ったりしています。とても嬉しくなると思います。

1月28日の防衛戦にも、その先にも幸運がありますように。なぜならもっと今の道を見ていたいから。今後、もっと先で振り返ったときにどんな景色になるのかが楽しみであるから。私はとても楽しいです。明日も月末も来月も結構な未来も素敵な日々でありますように。

次現地に行けるのはもう少し先のような気がするので、noteから失礼いたします。それではまた🌿


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