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フリースクール活動日記 2024/05/03-川越

 この日はゴールデンウィークの期間であり、祝日。目的地候補としていろいろな場所が上がっていたが、そのどれをとっても人混みで溢れかえっていることが予想された。御嶽山、水上アスレチック、原宿に明治神宮、八王子城や滝山城など様々な案が出たものの、そのいずれもがメンバーの反対にあい、体力的に厳しくなって途中で力尽き倒れこむメンバーがいるとの予想も出た。確かにその通り。しかし、ならば何をすればよいのだ?様々な案が出たが、最終的には川越との意見で収拾がついた。もっとも、なぜ人が最も多いと予想される川越に決定したのか。特にそれに反対意見を述べるものもいなかったので自然決定となったが、もしかすると裏でとあるメンバーたちによる工作が行われていたのかもしれない。もっとも、僕のように何も疑問を感じずに了承してしまったメンバーもいたが。
 そんなこの日の予定は、本川越駅に10時30分集合、川越喜多院、川越氷川神社などを経由して菓子屋横町へ向かって終わりというものだった。そのため皆昨年のことを思い起こし、菓子を大量に買うことを夢見ていただろう。勿論そんなにうまくいくはずはない。
 この日にも家を出てからとある駅まで6~7㎞ほど歩き、そこで電車に乗るつもりだった。けれども時間配分のミスでその予定は消え失せ、しばらく経ってから家を出て武蔵野線経由で向かうことになった。
 本川越駅に着いたのは10時20分ごろ。ちょうどこの頃の電車で来たのか改札の向こう側からいろいろと見覚えのあるメンツが見えている。その中にはゴールデンウィークということで参加を決定したOBたちの姿も。残念ながらχαοσやソースやヨッシーは既に予定が入っていたため来ることはなかったが、それ以外のメンバーは寄り集まってスタッフ含めて総勢17名となった。やはり想像していた通りに人は多いものの、OBたちの参加によってこの時スタッフとなったメンバーはイマンモ、レイセン、ボートさん、マコ姐(加えて1名、生徒として参加していた)の4人。そんな人数がはぐれないよう寄り集まって行動するのだが、そこらを歩いている親子連れや兄弟姉妹などが隊列の中ほどへと入ってくるためもはや戦線は縦に伸び切って半ば断裂状態。おまけにそこらの店に吸い込まれようとするメンバーも出てきた。なんとか人通りの少ない道で再編成し、ほうほうの体で喜多院にたどり着く。

あつい…

 ここで中学生以下は200円、高校生以上は400円を払って拝観する予定であった。しかしながらそんな料金を持っているメンバーはそれ程おらず、カッパくんは僕たちに別離を告げて炎天下のなかべンチに座って待つことになった。おそらくは日陰に入っていたのだろうが、これが後々の事態への伏線となったのは間違いない。
 この下駄箱でうまいこと「よ一」の札を手に入れた僕は、それを持って入場し、じっくりと巡る。上野寛永寺がここから移築されたものだということは初めて知ったが、今度上野に行くときは改めて寛永寺を見に行くよう皆に進言してみることにしよう。ここ喜多院には春日局化粧の間や家光公誕生の間などが江戸城などから移築されているためそこそこの大きさを持つ。日本風の庭園を巡りながら30分ほど、ついに最後の場所へと橋を渡って向かう。残念なことに初夏であるため桜もすでに花を散らし、紅葉も始まっていない。加えて夏ならではのあの緑の葉も、未だに色が薄い。景色としては今一つという感じが否めなかった。

 そののち不意にいなくなったメンバーを探しているうちに見つけたその橋の向こうでは、いままさに天台宗僧侶による読経をしているところ。入ってみるとあちこちで正座している人たちがいるため、彼らに倣い、かしこまった表情を作って座り、僧侶の動作に目を向ける。その最後に始まった般若心経のときだけ小声で合わせて読もうとしたのだが、あまりに緩急の激しい読み方について行けずに失敗となってしまった。
 そんなこんなでおそらく1時間ほどは中にいたのだろう。外に出ると、まるで待ちわびていたかのようなカッパくんが龍角散たちに駆け寄る。まさか彼も、ここまで長くいることは想定していなかったのだろう。
 けれどもこれで終わりと思ったならば大間違い。この後は付属するチケットを用いて五百羅漢を見に行くのだ。それを聞いて少し悲しそうな顔をしたカッパくんを誰かが哀れんだのか。誰かにチケットの半券をもらったのか、彼はしばらく後に五百羅漢の場所へと入ってきた。ここでは538体もの羅漢像があり、1体は必ず自分に似ていると思えるものがあるといわれる場所だという。実際、僕は本を持っている羅漢像をいくつも見つけて小銭を奮発した結果、1円玉45枚前後、10円玉4枚ほどをすべて使い、挙句の果てにはカッパくんに1円を借りる羽目になってしまった(もちろん、あとで工面して返した)。

 そんなことをしているうちに12時30分ほどになったのであろうか。昼食を摂ることになり、山門近くのベンチに腰掛け荷物を空ける。この暑さで皆もおかしくなっているのか、手に持った箸や水筒などを幾度も落としてゆく。そのうち先ほどまでは元気に羅漢に硬貨を配っていたカッパくんが体調不良を訴えだした。やはり、1人だけ外で待っていたのがまずかったのだろうか。結局体調は好転せずにスタッフに付き添われて本川越駅まで帰還することになってしまった。

未だ5月だというのに、この暑さ。蚊が出ていない事だけが救い

 この日は人混みで皆疲れているのだろうか。ならば確実に最も人混みが予想される大正ロマン通りへ入ってはならない。そう思った僕は全くの善意から(まあ、80パーセントほどは私欲が混じっていたが)川越氷川神社と東明寺の川越夜戦跡を見て、その後新河岸川に沿って南下、菓子屋横町へと入る案を提出した。残念なことにこれは大紛糾の末破棄されたのだが(同じころにemmanmoの提出した「琵琶橋という名の由緒ある橋のくせに今ではコンクリート製の風情も何もない橋を見に行く案」に比べれば(この橋は菓子屋横町の正反対の位置にあった)ずっと良いと思ったのだが)……人混みでは皆はぐれてしまうかもしれないのに。
 そうしてさっそく隊列からはぐれるものが出るようになった。ところ変わって今では菓子屋横町に入ったところ。ここでボートさん及びマコ姐に率いられるgirlsグループ、イマンモ率いるその他グループ、レイセン率いるあちこちをうろつくグループ(このグループだけは何をやっていたのかがわからない)の3つに分かれて行動することとなり、メンバーに、特に小学生メンバー達には決して隊列を離れないよう、中学生以上の年長メンバーに対しては決して小学生メンバーから目を離さぬようきつく申し渡され、皆厳粛な表情を作り雑踏のなかへと進んでゆく。そうしてしばらく経った頃、girlsグループにてボートさんを除き最年長であるマコ姐とemmanmoが2人で歩いているのを見かけて呆気にとられるのはすぐ後。このことから一人で行動しても問題なかろうと判断し、龍角散たちと連れ立って少し離れた通りへと歩いてゆく。そこで彼は昨年に引き続き「アメリカンクラッカー」を用いてコンギ◌ク同好会を結成せんとの野望に燃え、僕とは別れる。そうして僕は同じく昨年に引き続いてとある店で古銭を購入しようとより先へと進む。イマンモからきつく申し渡された「隊列からはぐれぬこと」との言葉は一部のスタッフや最年長の高校生メンバー及び一部の中学生メンバーによって打ち破られることとなる。
 ここで古銭などを購入し戻ってみると丁度そこで全員が集合、この機を逃してはならないと招集がかかり、ここで菓子屋横町散策は切り上げて帰宅の途に就くこととなった。
 最後に近場の新河岸川に靴を脱いで入るという2人の「酔狂なひと」の写真を載せてこの日記は終わり。なお、「意外と涼しかった」とのこと。

なぜ彼は駅まで裸足で歩いたのだろうか……
決して靴が濡れているわけでもないのに……
これは喜多院敷地内の写真だが、やはり彼はここでも裸足……
何故進んでそんな苦行に身を置くのだ。
最も……僕も四角形の並んだ橋げたの上に石だきの刑よろしく座って脚を攣らせたり
帰りに靴下のみで熱されたコンクリートの上を歩いたりとしているが。
それにしても……彼は何でこんなことをするのだろうか。

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