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【小説】ハンバーガーと棺

マクドナルドの店内は、火葬場とよく似ている。

制服に身を包んだ従業員たちの動きをカウンター越しに眺めて、コウキはそんなことを思った。
サッカーのフォーメーションのように、対角線上に配置されている人員。
人間工学に基づいて設計された厨房内で、次々と入ってくるオーダーを規定通りに
……というよりも、機械的に処理する光景。
それは一切の無駄が省かれた洗練された建築物のような魅力があった。

彼は、いつもビックマックセットを注文する。
この効率的な動きを長い時間見ることができるから。

他の定番商品である“ハンバーガー”や“チーズバーガー”だと作業工程が少ないため、そうはいかない。
だからといって“月見バーガー”とか“サムライ…なんとか”といった期間限定商品だと、スムーズな流れが滞ってしまうことがある。
慣れない調理方に戸惑う従業員もいるし、逆に一時的に激増する注文数に辟易するのか、手つきが雑になる者もいる。

コウキはきつく締められた黒く細身のネクタイを緩める。
ようやく終わった。
精進落としでは、赤ら顔の親戚にビールや日本酒を注いで回り、父の思い出話を聞くフリをして愛想よくうなずいていた。

ほとんど食べるヒマなんてなかったなぁ。
だからといって、腹が空いているわけではなかった。

「俺が死んだときには、これを着けてこい」
父からのおさがりのネクタイ。貰った時、冗談半分でそんなことを言っていたっけ。

厨房に響く独特のアラームが鳴響して我に返る。
黒い帽子を浅くかぶった女性が手際よくシャベルのようなもので、フライドポテトを掻き回す。
別の従業員がコックをひねる。紙コップにコーラの原液と炭酸水が噴出され、片手でフタを閉めると専用のケースに入れられたビックマックと一緒にトレーに載せられた。
すれ違うのに余裕のある動線を経て、カウンター傍の受け取り口に運ばれる。

火葬場と同じだな。
父親が荼毘に付す様子を思い出す。
黒服の従業員たちは、機械音の鳴り響くストレッチャーのようなものに棺を乗せて、一定の間隔に並べられた巨大な釜まで運ぶ。
フォークリフトの要領で棺を入れると自動的に扉が閉まる。
彼らはいかにも神妙な面持ちをしているが、マクドナルドと同様に絶えることのない需要に応じて効率的に動いていた。

生きていれば腹も減るし、いつか死ぬ。
ただ焼かれるのは遺体かビーフパティかの違いなだけだ。

このシステマチックな空間に身を置くと、胸のざわつきが静まるのを感じる。
3桁の注文番号がプリントされた引換券をポケットから取り出すとき、角ばった紙に指先が触れた。
それはティーパックの包装紙のようなものに入れられた清めの塩だった。

コレって、どのタイミングで使えばいいんだっけ。

自宅の玄関先か、もしくは店内に入る前だったのか。
少し考えてから後者ではないような気がした。
そもそも、実親の葬儀の帰りにファーストフード店に立ち寄る人間のことなんて想定されていないのだろう。

2階席では、先にドリンクを受け取っていた妻のカナが二人用のテーブル席を確保していた。
平日の昼過ぎだが店内は混んでいた。
コウキは店内の雰囲気を表現したような軽くて無機質なイスを引いて、腰を下ろした。

隣で笑い合っていた女子高生たちが一瞬、沈黙する。

あの喪服の2人、場違いじゃない?
行き場を失った軽い言葉たちが、彼女たちのテーブルの上をフワフワと漂う。

気まずさと迷惑さを宿した視線が注がれるのを感じながら、コウキはビックマックを咀嚼した。
カナも気にする様子もなくストローに口をつけてアイスコーヒーを飲んでいた。

周囲の空気を敏感に感じとることはできるが、あえて気づかないフリをする。
他人に流されずに自分の領域を持つことのできる人間は少ない。
コウキは、目の前にいるカナと結婚した理由をあらためて認識した。

女子高生たちは会話を再開した。底抜けに明るい言葉が飛び交う。
鼓膜に突き刺すような声だが、話している内容は全く頭に入ってこない。

「おつかれさま」
紙コップを置くとカナは、ため息交じりに慰労する。
ストローの先端についた口紅に目をやりながら、コウキは頷く。

ビックマックをコーラで流し込んでから、少し笑ってみせた。
安堵と自虐が入り混じった笑み。

病床に伏せた父の余命については、医者から知らされていた。
声を出すことができなくなり、栄養はすべて点滴の管を通して摂取するようになってから
いよいよだな……と、コウキは思った。
母と兄は、この現実を受け入れたくなかったようだ。
やせ細っていく父に比例するように見舞いに来る回数が減ってきた。

代わりにコウキが会社帰りに緩和ケアセンターに寄り、固くなった父の背中をマッサージして、着替えを取り換えていくのが、しばらくの日課となった。

生前に葬儀社に積立金を支払っておいた。
そうすることで費用の割引やサービスの優遇を受けられると、インターネットの掲示板に載っていたから。
微かに寝息を立てている父の横で彼はスマートフォンで、凡その見積額と四十九日までのリストをチェックしていた。

会場は実家の近くがいいか。
写真に写ることが嫌いだった父の遺影はどうするか。
費用は兄弟で折半するか。

葬儀に関して兄に相談したいことは、いくつかあったが、
話題を持ち掛けたら兄からは「縁起でもないようなことは言うな」と怒鳴るだけだった。

それからは、自分だけで用意するようになった。
駅から離れた古い一軒家、惰性で買い続けている株券。
70歳を過ぎた両親が持っている財産は、少なかった。
だから“そのとき”に備えて、残された母のために経済的な負担と手間を減少させる必要があった。

臨終の際、母と兄は予想通りひどく動揺した。
亡骸に涙を落とし、崩れ落ちる母。
覆いかぶさるように抱き着く兄は「全部、俺がやるから。お母さんは何もしなくていいよ」と優しい声を掛けていた。
しかし、実際に事務的な手続きはコウキが全て行った。
葬儀社や僧侶との打ち合わせ。病院への清算。親戚や父の友人への連絡と会場近くのホテルの手配。

立場として喪主は兄だった。
兄に、拶例文を渡し、当日の振舞い方を伝えた。
「すまないな……」と暗い表情をしていた兄だが、向けられている目は非情に事を進めるコウキを非難しているようだった。
「しっかりやるよ」
挨拶文の書かれた紙を兄は、ふんだくるようにして取った。
だが、通夜と葬儀の際はボロボロと涙を流し、声も出せず見かねた葬儀社のスタッフが席に戻るように促した。
その様子を見て、参列者はもらい泣きをしていた。
コウキとカナを除いて。

収骨の際「コウキ君は昔っからクールだよな」と後ろで並んでいる叔父が、誰かに耳打ちするのが聞こえた。
それは形式的に物事をこなす彼を称える……というよりも、皮肉ったような口調だった。

アルコールが入っているから音量が上手く調整できなくなっているのかもしれない。
「静かにしなさい」と叔母はフォローするように、たしなめの言葉を口にした。

カナは口を閉ざし、眉をひそめていた。
どうやら相当、この叔父のことを嫌っているようだ。

カナは32歳という参列者の中でも、比較的若い大人の女性だった。
ネックレスについた真珠と同化しそうな色を帯びた肌。
ダークブラウンに染めた髪を後ろでまとめると整った顔立ちが露になる。

元々ウチの家系は貧乏だったからな。兄弟全員が進学できるほど余裕はなかったんだ。
俺は学校の成績が良かったんだけどな、でも自分の代わりにコウキ君のお父さんに大学を行かせたんだよ。
それは兄としての務めだからな。
就職してからもアイツの仕事の相談によく乗っていたよ。手間のかかるヤツだったな。

精進落としの際、叔父はカナに酌をさせて、過去の栄光を誇示するような話をした。
どこかのホステスと勘違いしているのではないか。
彼女に申し訳ないと思いつつ、コウキはその様子を横目にしていた。

「食べる?」とフライドポテトを指さす。カナは首を横に振った。
「これ、親父が好きだったんだ」
コウキは、まだ少し熱を含んでいるフライドポテトをかじる。

カナは力を抜くようにフッと笑顔をもらした。

父が今の自分を見たら、どう思うだろうか。
不甲斐ない息子と思うか、それともこの形式ばった儀式を率先して進めたことを誇らしく感じてくれるのだろうか。
もしくは何の感想も抱いてもらえないか。

考えたって、どうしようもないことだった。
音を立てて、コーラを飲み干してから欠伸をもらす。

涙で目の前の光景が一度、揺らいだ。

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リアルだけど、どこか物語のような文章。一方で経営者を中心としたインタビュー•店舗や商品紹介の記事も生業として書いています。ライター・脚本家としての経験あります。少しでも「いいな」と思ってくださったは、お声がけいただければ幸いです。