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羽化、面倒な性質、けもの道

夢。
一度上演して大きな成功をおさめた芝居を新しいキャストで公演することになった。
私は前回と同じ役で出演、新メンバーはパリのフラフープ部のみなさん。
フラフープ部のみんなはいつものように楽しげなため、私も緊張感を持たず楽な気持ちでいた。一度上演したのでなんとなく内容も覚えているしなんとかなるだろう、と。
しかし当日小屋入りしてからセリフをまったく覚えていないことに気づく。
台本をさらうと、そういえば私の役は非常に重要で15分にも及ぶひとりの独白シーンがあり、それが作品の要なのだった。

私は序盤少年として登場するのだけれど、実は業の深い女性であり、その15分の独白の中で鱗が剥げてゆくようにその事実が解ってくる。
マグマの表面の、空気に触れて冷え固まって黒くなった部分がまたその下のマグマに押し上げられてばりばり割れていくような、におうほどに生々しい変怪のシーンが見せ所で、それを言葉とことばをのせた私の体だけで表現する。そのシーンの出来次第で舞台の成功が決まる、それほど重要な役割なのだった。
本番までは2時間しかないのに、そのセリフを一切思い出せなくて、焦った。

目覚めてすぐ、あの舞台はほんとうに素晴らしかったな、もう一度上演するとして私はあんなことがもう一度できるだろうか、と考えた。
でもどこで公演したんだっけ?ということが思い出せなかった。
千秋楽は奇跡的なほどに良い回だったんだけど…

しばらく考えた末、そんな舞台は存在しなかったことを思い出した。


ほんとうに素晴らしい台本だった。
坂口安吾を彷彿とさせるようなかなしくて輝くような、残酷でそれでいて懐かしいような、体の内と外がひっくりかえるような描写、場の空気の質感を、ひとつの身体が様変わりさせるようす。
演じていて鳥肌が内臓にまで立ってくるようなすさまじい台本だった。

………ま、夢なんだけどね。

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ストレッチ放送は相変わらず続いている。
外出期間中、4月17日から始めたからもう3ヶ月半。
むかしダンススタジオで教えていた頃にも感じていたことだけれど、教えが楽になるということはないな。
楽しいことには間違いないのだけれど、単純作業のように、ルーティンにして楽にこなすようなことができない。
いつまでも慣れずに緊張するし、手を抜いたりできなくて毎回疲れもする。
舞台で踊る感覚と似ている。
きちんと自分がその時どきにやるべきことに集中し、流さず、感じて、浮き上がってきたことを言葉にして伝える。
「あれとこれは言っておこう」なんて事前に準備したものをただしゃべるだけだと、それは簡単だけれど、そこには手応えがないし真実もない。興味も持てない。興味の持てないことは、自分が続けていられない。面倒な性質だ。でもそれでないと、やる意味がない。楽しくない。
自分のからだもそこに到達するから、そのことを伝える。
自分が見た景色を、ひとつの提案として、展開させる。

自分がストレッチする時もいきなり足を180°開脚してぐいぐい押したりはしない。
開脚のために手の指いっぽんずつから伸ばす。
伸ばしたいところ、使いたいところから一番遠いところから目的地に向かって攻めてゆき、行ったり戻ったりしながら機嫌を伺う。
何百回も何千回も触れているうちに、理由は分からなくても、なんだかこれは良さそうだぞ、というポイントや筋道が増えてゆく。
それがどの人の体にも当てはまるのかはわからない。私だけの通り道なのかも。
もう出来上がった道以外の場所を、がさがさ開かれるようなことにいつも出会いたい。
多かれ少なかれ誰もがそうじゃないかな?
そういうことを考えたり実践する時間がうまく取れない、もしかしたら頭では不必要だと思っているかもしれないけれど、草を分けて歩いてみたら別の景色から体を見渡すことができる、その感覚は、そこに立ってみればなくてはならないものだったことに気づくかもしれない。

今週は骨のことを感じる回にしようと思って、動きはほとんどない。運動の爽快感はないけれど、からだの中に耳を済ませたり、肉の内側にある柱のことを考えたりする時間。

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頂いたバラとスイカズラがずっといい香りで、そばを通りかかるたびに鼻を花にうずめている。
いい匂いを吸い込みながら、楽しかった時間や、わくわくした気持ちのことを思い出してこれを途切れさせまいぞと思う。
どうやらスイカズラはまだ生きているようで、蕾がふくらんで新しい花が日に日に開いてもいる。新しい花は白く、日が経つと山吹に色づいてゆく。
葉芽も出てきているので土に植えたらこのまま成長してくれるのだろうか。

いくら匂いを嗅いでかいで、匂いを吸いつくしても、いい香りが尽きることがない。
そのことがとても不思議。


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