天野 瀬捺(あまのせな)

千葉県出身。外資系航空会社元CA。作家、通訳。世界30カ国以上を旅し、オーストラリア、…

天野 瀬捺(あまのせな)

千葉県出身。外資系航空会社元CA。作家、通訳。世界30カ国以上を旅し、オーストラリア、スイス、カナダには長期滞在。日本国内では沖縄に2年余り在住経験あり。海外に出たからこそ再認識した日本のすごさ、素晴らしさを世界に発信し続けたい。趣味は料理、散歩、おしゃべり。現在カナダ在住。

マガジン

  • かるた小説 ーおばあちゃんのおひざもとー

    大正3年、1914年にアメリカに生を受け、22歳までに3度も船で太平洋を横断し日本とアメリカを行き来したおばあちゃん。ロサンゼルスの大都会から、ど田舎にある山寺の住職の嫁として日本へやってきたのは戦前昭和10年のこと。生活のあまりの隔たり、変化に戸惑い、悪戦苦闘しながらひたすら一生懸命生きた日々。戦争が始まり、おじいちゃん(夫)が一人でテニヤン島へ赴任した時には母親一人の身となり、畑を興すところからはじめて野菜を植えて子供を養ったこと、娘の夫が白血病で亡くなった後は、孫たちの世話を一挙に引き受け、2度目の子育てを始めたこと、水道のない家に、山から竹を繋いで水を引き薪を炊いて炊事をしなければならなかったこと。そんなおばあちゃんの百年の生き様を、孫の私がおばあちゃんから聞いた通りの語り口調で再現。大好きなおばあちゃんに感謝の想いを込めて百歳のお誕生日プレゼントに本を送ります。

  • おばあちゃんのおひざもと

    大正3年、1914年にアメリカに生を受け、22歳までに3度も船で太平洋を横断し日本とアメリカを行き来したおばあちゃん。 ロサンゼルスの大都会から、ど田舎にある山寺の住職の嫁として日本へやってきたのは戦前昭和10年のこと。 生活のあまりの隔たり、変化に戸惑い、悪戦苦闘しながらひたすら一生懸命生きた日々。戦争が始まり、おじいちゃん(夫)が一人でテニヤン島へ赴任した時には母親一人の身となり、畑を興すところからはじめて野菜を植えて子供を養ったこと、娘の夫が白血病で亡くなった後は、孫たちの世話を一挙に引き受け、2度目の子育てを始めたこと、水道のない家に、山から竹を繋いで水を引き薪を炊いて炊事をしなければならなかったこと。そんなおばあちゃんの百年の生き様を、孫の私がおばあちゃんから聞いた通りの語り口調で再現。 大好きなおばあちゃんに感謝の想いを込めて百歳のお誕生日プレゼントに本を送ります。

最近の記事

スティーブ・ジョブズが最後まで尊敬し続けた陶芸家 釋永由紀夫氏との対談

はじめに   2021年のこと。「スティーブ ジョブズが魅了された越中瀬戸焼作家、釋永由紀夫氏」というタイトルで、某雑誌向けに記事を書いた。私は海外在住のため、ご本人との内容確認はメールで行うより仕方がなかった。記事を書くにあたり、色々下調べをし、また釋永さんと直接メールのやり取りをさせて頂いく中、次回日本へ帰る時には是非一度直接お会いし、お話を聞かせて頂きたいものだと思いを温めていた。果たして2年後、2023年の春、日本へ一時帰国した折り、念願の訪問が叶った。大変なご親切を

    • 〜運は動より生ず〜 スティーブ・ジョブズが最後まで尊敬し続けた陶芸家 釋永由紀夫氏との対談 あとがき Vol.7 

      あとがき 最後に、海外移住者の私が、そもそもどうやって釋永さんの存在を知ったかについて触れてみたい。 オーディオブックからである。。 何のオーディオブックかというと。。。 Ikigai - The Japanese Secret to long and happy life https://www.youtube.com/watch?v=r3rJF6KMg2U&t=6151s 生きがい:幸せに長生きする日本人の秘訣 (私なりの和訳タイトル) 私の住むカナダは、公

      • スティーブ・ジョブズが最後まで尊敬し続けた陶芸家 釋永由紀夫氏との対談 Vol.6 呼吸と間合いについて

        呼吸と間合いについて 天野:話は変わりますが、拝見させて頂いた動画の中で、物作りをする人ににとっては、呼吸と間合いが大事だということお話されていました。「もし私が娘に何か教えてられることが一つあるとしたら、呼吸です」と。「どういう呼吸をしてるの?」「これを作ったときには吐いてたのとか、吸ってたの」と。私、あのくだりが非常に興味深く印象に残ったんです。ということは、即ち釋永さんご自身が呼吸を意識して作ってらっしゃるからだと思うんですが。呼吸と間合いがとても大事ということについ

        • スティーブ・ジョブズが最後まで尊敬した陶芸家 釋永由紀夫氏との対談 Vol.5 ドンペリの元醸造最高責任者が富山で日本酒を作っていた

          ドンペリの元醸造最高責任者が富山で日本酒を作っていた 高級日本酒 IWA - Sake of Japan 釋永さん:これからお連れしようと思っている所は、最近出来た酒蔵なんです。ドンペリの最高醸造責任者をしていた、リシャール・ジョフロワさん。彼が富山の里山で酒蔵を作りたいということで、県内の私らのとこみたいな里山をずーっとドライブして、その結果、この立山連峰と富山湾の見えるここの稲田の中が気に入ったらしいです。もう日本酒は作り始めていて、販売もしています。でも、あん

        スティーブ・ジョブズが最後まで尊敬し続けた陶芸家 釋永由紀夫氏との対談

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        • かるた小説 ーおばあちゃんのおひざもとー
          47本
          ¥369
        • おばあちゃんのおひざもと
          49本

        記事

          スティーブ・ジョブズが最後まで尊敬した陶芸家 釋永由紀夫氏との対談 Vol.4 iPhoneのアイコンは釋永さんの作品がベースに?

          iPhone のアイコンは釋永さんの作品がベースに?釋永さん:あと、アップルの iPhone に僕の作った作品と同じのがあるようなことも聞きました。本当かどうかわかりませんが。でも、メモ?っとかっていう黄色と白で上下に分かれてるアイコン。あれと同じものを作ってくれ、って言ってきたのは事実です。あの当時はまだ、iPhone 自体が世に出ていない時でした。 天野:ああ、Notesっていうアプリのことですか?私もiPhone 使っているのですぐ分かります。これのことですよね。発売

          スティーブ・ジョブズが最後まで尊敬した陶芸家 釋永由紀夫氏との対談 Vol.4 iPhoneのアイコンは釋永さんの作品がベースに?

          スティーブ・ジョブズが最後まで尊敬した陶芸家 釋永由紀夫氏との対談 Vol.3 Steve Jobs との出会い

          スティーブ•ジョブズとの出会い天野:初めてスティーブ•ジョブズさんと出会ったのはいつですか?    その時の様子をお聞かせ下さい。 釋永さん:1996年に京都で個展をした時です。ジョブズさん、展示会場にご夫婦で来られました。みなさんとのご挨拶が終わるのをずっと待っていて、その後話しかけられ、最初は同業者の陶芸家かと思いました。どんな釉を使ってるのかとか、専門的な質問だったのはすぐ分かりましたから。 僕は彼の質問にカタコトの単語で答えて、彼はそれを全て理解していて。するとも

          スティーブ・ジョブズが最後まで尊敬した陶芸家 釋永由紀夫氏との対談 Vol.3 Steve Jobs との出会い

          スティーブ・ジョブズが最後まで尊敬し続けた陶芸家 釋永由紀夫氏との対談 Vol.2

          焼き物に使う土について 天野:釋永さんは、ご自分の作品は材料となる粘土は土を掘るところからご自分でなさるそうですね。 釋永さん:自分で土を掘る理由は、山の中で同じく見える土でも、粘土層の上下の差でわずかで、焼け味や性格が違ってくるからです。大量の粘土を作っている会社ですと、一山を大きく崩して、全体の土を撹拌します。そうすることで品質が平均し安定した粘土ができます。しかし、土それぞれの僅かな差を大切にしたかったら、自分で掘る方法が一番ですね。 天野:なるほど。それにしても

          スティーブ・ジョブズが最後まで尊敬し続けた陶芸家 釋永由紀夫氏との対談 Vol.2

          スティーブ・ジョブズが最後まで尊敬し続けた陶芸家 釋永由紀夫氏との対談 Vol.1  登り窯で焼く越中瀬戸焼 

          はじめに   2021年のこと。「スティーブ•ジョブズが魅了された越中瀬戸焼作家、釋永由紀夫氏」というタイトルで、某雑誌向けに記事を書いた。私は海外在住のため、ご本人との内容確認はメールで行うより仕方がなかった。記事を書くにあたり、下調べをし、また釋永さんと直接メールのやり取りをさせて頂いく中、次に日本へ帰る時には是非一度直接お会いし、お話を聞かせて頂きたいものだと思いを温めていた。果たして2年後、2023年の春に日本へ一時帰国した折り、念願の訪問が叶った。大変なご親切を賜

          スティーブ・ジョブズが最後まで尊敬し続けた陶芸家 釋永由紀夫氏との対談 Vol.1  登り窯で焼く越中瀬戸焼 

          ”もったいない”精神のすごさ

          今回は、”もったいない” から日本文化、日本人の精神性の特徴について考察してみたい。 もったいない ー 私たち日本人には非常に馴染み深い言葉である。 戦後、物のない時代を経験した人であれば、誰でも”もったいない”は口酸っぱく聞かされた言葉に違いない。しかし、それ以前からずっと日本にはもったいない精神は深く根付いていた。 佛教協会から昭和2年に出版された、「佛教之精髄」という本がある。この小さな本の「経済思想」という章に、”もったいない”について触れているので紹介してみた

          ”もったいない”精神のすごさ

          弓と禅を読んで改めて思う日本の道という稽古の卓越さ

          今から時を遡ること100年。1924年にオイゲン・ヘリゲルというドイツ人哲学者が日本の地を踏んだ。訪日の目的は日本の大学で哲学とラテン語等を教えるためであった。時代は大正末期から昭和初期にかけて。 彼はこの機会に、かねてから興味のあった禅について学ぼうと意欲的だった。華道を習っていた夫人の先生から、弓道は禅に通ずると聞くと、それではとドイツ語通訳をする知人に弓道の師匠を紹介してほしいと依頼した。 師匠の名は阿波研造。当時、大日本武徳会から免許皆伝を授かった三名のうちの一人

          弓と禅を読んで改めて思う日本の道という稽古の卓越さ

          人の内面は外側に出る

          しばらく前に友人から、「ネットでいい言葉見つけたから共有するね。」と ”性格は顔に出る”から始まる、人の内面は外側に現れることを上手く表現された格言が送られてきました。 たまたまその時に一緒にいたカナダ人に、「こんないい格言が今送られてきたよ」、とLINEを見せ、簡単に英語に訳して説明したところ、英訳版を作ってくれないかと頼まれました。 冬休みに入ったので、作ることができました。二つのバージョンを作りました。 この格言の作者は不明だそうですが、さぞ日頃から洞察の深い方だと

          人の内面は外側に出る

          方丈記、今再び

          ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。 日本三大随筆の一つとされる、方丈記の冒頭文である。 日本人であれば、誰もが一度は耳にしたことがあるだろう。 作者は鴨長明。今から800年以上前の鎌倉時代1212年に書かれたとされている。 長明はこの随筆を58歳前後で執筆し、自分が物心ついてから記憶している40年間に起きたことをふり返り、回顧録的に書き綴っている。 この間に5つもの甚大な自然災

          「クーデンホーフ光子の手記」 を読んで

          #読書感想文 昨今世界情勢ははイギリスがEUから離脱を選んだという国民投票の結果に衝撃を受けています。 このEUにちなんで、EUの母と呼ばれる人が、実は日本人女性であたっということを皆さんはご存知でしょうか。 東京府牛込区、今の新宿の骨董品やの娘として生まれた青山ミツ。彼女は、18歳の時にオーストリア=ハンガリー帝国の駐日代理大使として日本へ赴任したばかりのハインリヒ・クーデンホーフ・カレルギー伯爵と出会い、結婚しました。 明治25年、1892年の事です。一説によると

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          ”生きとし生けるもの”という千年以上使われている日本語 に思う

          #国語がすき 日本人であれば、誰しも一度ならず”生きとし生けるもの”という言葉を聞いたことがあるでしょう。 一千年以上前に書かれた古今和歌集の中にこの言葉が既に使われていたことを、皆さんはご存知でしょうか? ”花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける” 一千年以上経ってもなお一定の重みを持って使われ続けているこの日本語。 畏敬の念を覚えずにはいられない言葉の一つです。 仏教の教えの中でも、「一切衆生悉有仏性」といって、全ての生

          ”生きとし生けるもの”という千年以上使われている日本語 に思う

          日本人の自然観

          #名前の由来 ”自然” (しぜん) 日常よく使う言葉であるが、実は明治維新後19世紀末になってヨーロッパ言語や英語のNature の訳語として当てられることとなった比較的新しい言葉だという。 明治以前の日本では、自然を人と対比して見るという概念が薄かったため、ネイチャーを日本語に訳す際、当時の翻訳者たちは色々考えた。そして、”自然”を訳語にした。その時期を境に、私たちは人間を除く自然物、そして人工物の対義語としての自然という観点を習った。私たちが西洋のネイチャーの意味合

          セナのCA見聞録 Vol.48 祖父と二人のハワイ旅行 その1

          #おじいちゃんへ 5月の末、私は祖父と二人でハワイへ来ていました。 祖父と祖母の誕生月は必ず二人を訪ねることを常としている私は、4月の祖父の誕生日を祝うため、祖父母の家を訪ねました。その際に、トレーニングを受けに行ったハワイのことが話題にあがり、いろいろ海外を旅した祖父ですが、長年行きたいと思っていてまだ行っていない場所がハワイだと聞かされました。 私の祖母は81歳、祖父は87歳。足の弱い祖母は、自分に遠出はできないことを十分に承知していたので、「セナちゃん、是非おじい

          セナのCA見聞録 Vol.48 祖父と二人のハワイ旅行 その1