長編小説『羽毛少女と飛行船』/第三章「デルフォイ計画」/第二節 #16
第三章/第一節 に引き続きご覧いただきありがとうございます。
前回はこの先の展開に深く関わるプロローグでした。
第三章はどのような物語が待ち受けているのでしょうか。
『羽毛少女と飛行船』第三章/第二節
どうぞお楽しみください。
【ON AIR】
二
入り江での一件から一週間が経ち、バブーリン造船の中間処理場には、飛行船解体の案件が怒涛のごとく舞い込んでいた。
ゴルジェイは基本的に船の解体に専念していたため、飛行船は主にアランが処理した。
手が休まることはなかったが、心は前向きだった。ここで再生産した部品や資材がデルフォイ号の血となり肉となり、いずれ大空に飛び立つのである。そのことを想像するだけで気持ちが高まった。
日没後、この日最後の飛行船を解体し終えたアランは、ばらした部品を地面に並べ、受注伝票を見返した。
「これで全部だな」
資材項目を一点ずつ目で追い、荷車に積んでいく。その時ふと、受注伝票の発注者の欄に目が止まった。
「第三造船所……シャルロット?」
そこには身覚えのない女の名前があった。
いつもならこの欄には、造船所の名前だけが書いてある。今回で言えば「第三造船所」とあれば、届け先の情報としては十分だ。
なぜわざわざ個人名を入れたのだろうか。心に引っ掛かりを覚えながら、アランは荷車を持ち上げ、第三造船所へ向かった。
第三造船所の明かりはほとんど消えていた。いつもなら中央棟の入口で誰かが引き取ってくれるが、この時間に人の気配はない。
荷車を引きながら敷地内をうろうろしていると、デルフォイ号が組み立てられている大きな格納庫が目に入った。そのすぐ傍に、まだ明かりのある掘っ立て小屋が見える。
アランは恐る恐る近づいた。どうやらその掘立小屋は、小さな部品などを一時的に保管しておく倉庫のようだ。
明かりの漏れる窓を覗き込んだその時、アランは目を疑った。
工具や部品が散らばる雑然とした空間に、一人の女が潜んでいたのである。
女は髪を後ろで束ね、机に向かって何かを書いている。眼鏡をかけているのは確認できるが、天井から垂れ下がる電球の光だけでは、その容貌までははっきりとしない。
作業中に水を差すのは憚られたが、こちらも積み荷を下ろさないことには今日の仕事が終わらないので、やむなく声をかけた。
「すみません、中間処理場から納品に伺ったのですが」
すると女はびくっとしてこちらを振り返った。逆光のせいで顔がよく見えない。
「シャルロットさん……でしょうか?」
アランは目を細めながら問う。すると女ははっとした顔で返事をした。
「もしかして、あなたがアランさん?」
なぜ名前を知っているのだろうか。心を見透かされたような気分になり、腰が引けた。
シャルロットはにやりと口角にしわを寄せた。そしてさっとアランの横を通り過ぎ、後ろの積み荷を物色し始めた。
「……へぇ、どれも問題なく使えそうね」
前傾になって下がった眼鏡を細い指でかけ直し、振り返る。レンズの向こうのきりっとした目つきが、縫い付けられるようにアランの表情を捉えて離さない。
気の利いた返事が思い浮かばなかったアランは、ぎこちない手つきで腰のポケットから納品書を取り出した。
「検品はこれでいいですね? お渡しします」
俯きながら差し出した納品書は、絡めとられるように彼女の懐にしまわれた。
「思っていたより地味ね」
不意にシャルロットは言った。「あなたの席を埋めに来たのよ、私は。『デルフォイ計画』に入り損ねたの、あなたでしょ?」
話が飲み込めず、アランはきょとんとする。
「一応〝初めまして〟だから、自己紹介くらいはしておこうかしら。私はエルブルズ建設のシャルロット。『デルフォイ計画』の手伝いでダルベントからここへ来ているの」
歯切れよく彼女は言った。
「どうも……初めまして」
アランは腑に落ちない様子で会釈した。その顔には「どうして建設会社の人が?」という疑問が書いてある。
「一度会ってみたかったのよ、あなたに」
シャルロットは言った。「私がここに派遣された理由は、設計士の人手不足よ。うちの会社、バブーリン造船とはよしみがあるらしくてね。……別に自慢するわけじゃないけど、私、エルブルズ建設ではそこそこ頼りにされているから、こんな田舎まで派遣させておいて、一体どんなお方の補充要員だったのか、ちょっと気になってね」
高飛車気味な態度をアランは無表情で流した。
「……それにしても、どうして自分がここに来るとわかったんですか?」
「そのお方は飛行船の部品供給を一人で任されているって聞いたわ。何か注文すれば、きっと来てくれると思ったのよ。……にしても、こんな遅い時間を選んで来るなんて、あなた若いのに随分と粋じゃない」
不意に艶やかな視線を感じ、アランは顔を背けた。女っ気のない環境で育ったアランに、こういうのは少し難しいシチュエーションだ。
蛇に睨まれた蛙のようにおどおどしていると、シャルロットは思わず失笑し、爽やかに近づいてアランの腕を肘で突いた。
「何ビビっちゃってんのよ、面白い人ねぇ。あなたみたいな若い子じゃあ、どう考えても釣り合わないでしょう?」
シャルロットは嘲笑うように言い、顔を近づける。それをやんわりと避けつつ、アランは苦笑いをして心の壁を張った。
「それにしてもこんな若い子が設計士だなんてねぇ。ちょっと驚き」
シャルロットはそう言って作業机に戻り、そこにあった二枚の図面をアランに見せた。
「気になってるんでしょ? デルフォイ号のこと。今、こんな感じよ」
恐る恐る近づいて見ると、二枚とも飛行船の全体像を表すものだった。
「二隻も……あるんですか?」
「そんなわけないでしょ、あんなデカいの。左が古いもので、右が今のものよ」
比べて見ると、翼の形状が大きく変わっているのがわかる。以前、格納庫の中を見させてもらった時に見たデルフォイ号は、左の図面と一致した。つまりあの時からはだいぶ姿が変わってしまったらしい。
アランは新しい方の図面をまじまじと見た。理解できない構造ではなかったが、何となく、バブーリン造船らしくないというか、バブーリン造船の設計士にはない発想が取り入れられているように感じた。
「これを……シャルロットさんが?」
「ええ、そうよ。ここの造船技術は確かに素晴らしいけど、科学理論も交えてやらないと、何かと時間を浪費するだけよ」
「浪費? どういうことですか?」
「ここの造船所は実験が多すぎるのよ。経験主義っていうのかしら。何でもやってみて検証するの。別に悪いことじゃないけど、それだから資材がなくなっちゃうのよ」
「エルブルズ建設では違うんですか?」
「うちはまず理論的に検証して、そこで確信が得られてから実験に入る。理屈で考えて駄目なものは初めから手をつけないわ」
その考え方は、アランにはとても新鮮だった。バブーリン造船は、伝統的な技法で数々の船を造ってきた。ここの船大工たちはとにかく経験を積むことを大事にしていて、彼女の言う科学理論とは全く無縁だ。
アラン自身も、経験を積む大切さを教え込まれてきた者の一人だ。その精神を批判されるのは良い気分ではなかったが、その科学理論とやらがあればこうした斬新な設計もできるのかと思うと、迂闊に無視はできなかった。
少しの沈黙の後、シャルロットはアランの手元から図面をすっと引き取った。
「部品はこれで問題ないわ、ありがとね。……私もそろそろ帰るわ。ダルベントの旧友と会う約束があってね」
「これから、ですか?」
「そうよ。西の大通りにこじゃれた酒場を見つけたの。一緒に正門まで行く? 荷車はその辺に置いておいて構わないわよ」
夜もだいぶ更けているというのに、これから呑みに行くとは活発な女である。優秀な人間は、仕事だけでなく遊びも全力なのかもしれないと、アランは思った。
旧友と会うのがよほど楽しみだったのか、シャルロットは疲れた様子もなく、アランの隣を歩きながら鼻歌を歌っていた。
正門に到着すると、さっそくその旧友と思われる人物が姿を現した。
「あら、ぴったりね」
シャルロットはその女を見てにこっと笑った。だいぶご無沙汰だったのか、二人は再会の喜びを分かち合うようにたわいもない会話を繰り広げた。
極力話の内容を聞かないように努めていたが、とある話題に移った途端、思わずアランは耳を疑った。
「ねぇ、聞いた? 鳥人の話!」
「何よそれ?」
「一昨日、ダルベントの街中で見つかったんだって」
「え、鳥人って架空の生き物じゃなかったの?」
「そうなんだけど、実際に青い姿をした鳥人が飛んでいくのを、何人かが見たらしいわ」
ルフィナが見つかった——? 鉄槌で突かれたような衝撃に、アランは身もだえした。
「鳥人って言ったら、よく子供の頃に絵本で読んだわよね。私すごく好きだったわよ。本当にいるなら、一度会ってみたいわ」
「今、宮廷の兵士が行方を追ってるらしいわよ。そのうち報せがあるんじゃないかしら」
二人の会話を聞いて青ざめたアランは、別れの挨拶もせず慌てて駆けだした。
自宅では、アリサが黙々と荷物をまとめていた。明日からまたダルベントでの生活に戻るため、その準備をしていた。
「アリサ!」
突然、部屋の扉が開け放たれ、アランが姿を現した。眉間にしわが寄ったのは反射的だったが、彼の表情に鬼気迫るものを感じると、途端に緊張感が伝わった。
「ルフィナがまずいことになってる」
瞳を震わせながらアランは言った。「誰かに目撃されて、宮廷に捜索されているらしい」
思わずアリサは立ち上がって眉をひそめた。
「どうしてアンタがそんなこと?」
「さっき、ダルベントの人から聞いた」
「……聞き間違いじゃないのね?」
「ああ、間違いない」
アランは自信をもって答えた。扉の縁に手を添え、肩で息をする様子を見る限り、きっとその話を聞きつけて飛んで帰ってきたに違いないとアリサは想像した。
「捕まるのも時間の問題だ。すぐに出発した方がいい。できるか?」
「うーん……」
だがアリサの返事は歯切れが悪かった。
「なんだよ、何か問題でもあるのか?」
アランが迫るように問いかけると、疑るような視線が返された。
「アンタ、どうやってダルベントに行くつもりよ?」
「もちろんそりゃあ、メギオン号で——」
「それだけは嫌」
きっぱりと断った。アリサの脳内には、メギオン号とトルカの暴風がひとまとまりで記憶されている。あの時の恐怖は、忘れたくても忘れられない。
「そんなこと言ってられないだろ。アイツのことが心配じゃねぇのかよ?」
「心配に決まってるでしょ! けどもし墜落でもしたら、元も子もないじゃない」
「あの気流は低空飛行していれば避けられるんだ。次は大丈夫だって」
「でも絶対とは限らないでしょ? そんなことで命を落とすのは御免だわ。……そうだ、馬車! もらった回数券がまだ残ってる!」
アリサはフランツからもらった馬車の回数券を取り出した。残りはちょうど二枚ある。
だがアリサの考えとは裏腹に、アランは疑問を呈した。
「それさ、実際に馬車が走っていないと意味ないだろ。こんな真夜中にどうやって見つけるんだよ?」
「何よ、見つかるかもしれないでしょ? 探す前から〝無駄〟みたいな言い方しないでくれる?」
「いやいや、馬車なんか探してる時間があったら、メギオン号で行った方が早いって」
「アタシは絶対にアレには乗りたくないの!」
アリサは断固主張した。危険を避けたいのが本意だったが、アランには彼女が意地を張っているようにしか見えなかった。
「ならいいよ。アリサは馬車で行ってくれ。オレは先にメギオン号で向かってるから」
その一言で、アリサのしかめ面はさらに険しくなった。
「何よ、探してくれるわけじゃないの? せっかく券が二枚余ってるんだから、一緒に馬車で行けばいい話じゃない」
だがアランは考えを曲げない。
「だから、もたもたしてる時間はねぇんだよ。見つかるかどうかもわからない馬車を、今から悠長に探す気にはなれねぇ」
頬がびくつく。アリサは閉口し、扉を強く閉めた。不快な風がアランの肌を駆け抜ける。
「ったく、何だってんだ」
アランはそう吐き捨て、荒い足取りで自分の部屋へと引き返した。
急いで身支度を済ませて家を出たアランは、港に泊めていたメギオン号に乗り込み、エンジン全開で夜空に飛び立った。
上空の景色はほとんど真っ暗で、月明かりだけが頼りだった。ぼんやりと見える周辺の地形を頼りに、進行方向を見定める。
今回はトルカの暴風に巻き込まれないように、とにかく低空飛行を心掛けた。風は幸いにして穏やかで、出発から一時間は安定した飛行が続いた。
「そろそろ『大樹の島』が見える頃かな」
そんなことを呟いたその時だった。
パンッ、という不審な音が、アランの鼓膜をつんざいた。
「何だ?」
すぐさま身を乗り出し、外の様子を確認する。だが、漠々とした暗闇に手掛かりなるものは見当たらない。
きょろきょろとしていると、もう一度同じ音が響き渡った。それは物と物がぶつかるような音ではなく、何かが弾ける音のように聞こえた。
「銃声……?」
そう思ったアランは反射的に身をかがめたが、それ以降、同じ音が鳴ることはなかった。
その後、念のため船体をくまなく点検したが、損傷や異常は見つからなかった。
「一体何だったんだ……」
真相がつかめず消化不良のまま、アランは真夜中の空を進んでいった。
ご愛読いただきありがとうございました。
次回は第三章/第三節です。どうぞお楽しみに!
天野大地
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