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こんにちは、THEDDO.です。

1. 少しだけ自己紹介

 皆さんこんにちは。THEDDO.の天野と申します。普段は鹿児島県は大隅半島、錦江町を拠点に農福連携(農業と福祉の連携)のお仕事や活動を真ん中に置きながら農福連携の全国プロジェクトに参画しております。また、地域の多様な課題を共有・共感・醸成するプラットフォームを目指すべく、福祉事業所、農業法人、行政等と共に課題解決に取組む「大隅半島ノウフクコンソーシアム」を立ち上げ、現在大隅半島内35主体と共に農福連携の活動を進めています。そして、地域の移住者を中心とした仲間と共に立ち上げた「NPO法人たがやす」においては、民間の図書館や認知症カフェの運営にも携わっています。福岡県出身の元バックパッカー、元大手旅行代理店勤務、うつ病経験ありで難病持ち、そんな私です。

2. 福留さんとの出会いも、農福連携

 THEDDO.の中心メンバー福留さんと知り合ったのは、農水省が主催する農福連携のとある表彰事業。その後、農福連携でご縁のあった共通の知人を通じ、別案件でわが町錦江町を取材してくれたことがご縁で、現在たがやすの代表をしてくれている馬場さんをはじめ、町内の仲間も彼女を知ることとなったのです。ちょうど馬場さんとNPO法人を立ち上げようと話していた私は、福留さんの「地域と食」という事業領域が、今後の我々の活動に新たな視点や視座を加えてくれるだろうということで、理事に推薦しました。代表と本人の快諾を得て理事に加わっていただく運びとなり、それからはたがやすの仲間として一緒に活動しています。お名前の通り、明るく笑顔を絶やさず義理人情を重んじる彼女は、周りのたくさんの人から愛されていることを、私はその後仕事を通じて知ることとなりました。


3. 生前のお父さんとは飲み友達だった。後悔もある。

 彼女のお父さんは大隅半島の鹿屋市吾平町の出身。なんと私の大学の先輩でもあるというではありませんか。ご縁を感じつつ、たがやす設立後関東から鹿屋に戻ったお父さんに会いに息子さんと定期的に大隅半島に帰ってきていた福留さん交え、たがやすの皆と共に一緒に焼酎を飲んで過ごしたり、東京での私の仕事場にたずねてきてくれたりしながら、お父さんとは少しずつ親交を深めてきました。大隅半島に台風がきた折には、「台風の影響は無いですか?」「お気遣いありがとうございます。なにせ、築140年の骨太(古民家)でして、びくともしませんでした。」などという他愛のないメッセージをしていたことを思い出します。悲しいことに、その台風のやりとりが、最後になるとは思いませんでした。「小鹿(大隅半島、主に鹿屋近辺でよく飲まれている焼酎)を持って吾平(あいら)の家に遊びに行くからね!」と約束したことは、叶いませんでした。私の中に、「なぜもっと早くお父さんの家に遊びに行って、一緒に焼酎を飲まなかったのか。」という後悔があります。正直、いつでも会えると思っていて、お父さんとの約束を先延ばしにしていたのだと思います。
 
 THEDDO.が活用を模索している吾平の空き家は、私にとって、友達と焼酎を飲めなかった忘れがたい家でもあります。

4. そんなこんなで
 
 山ほどある空き家の課題についてはここでは触れませんが、素人の私たちは、吾平の空き家の活用を少しずつ模索し始めています。周辺の竹を切りまくったり、不要な荷物を搬出したり、関連する補助事業の申請をしたり、長野に視察に行ったり、、、答えのないテーマだけれど、あーでもないこーでもないと言いながら、楽しく、また、福留さんと繋がりのある日本全国の素敵すぎる方々のお力を借りながら、少しずつ、歩を進めています。
 THEDDO.にはもう1人、忘れてはいけない大切な仲間がいます。鍋ちゃんは元県庁マンで建築士。若く仕事がよくできるZ世代の彼は、同じくやり手の福留さんと一緒にドカドカと補助事業の業務を進めてくれながら、建築士としての立場から多くの視点を加えてくれています。「THEDDO.」という名前を考えたのも、そこに意味を見出したのも彼。このプロジェクトに、「THEDDO.」という言語化で命が吹き込まれたことから、様々なことが動き始めたのです。

5. 何とかすっど
 THEDDO.が標榜している「空き家から地域課題を解決する。」には、まだまだ遠い道のりだろうということは、地域に住む私たちには、よくわかります。でも、応援してくれているクリエイティブ・ディレクターの田中淳一さんが私たちのために書いてくださった大切な言葉。身が引き締まる思いです。地域や国内外の皆さんと知恵や意見をかき混ぜながら、楽しくやっていきたいと思っています。

 つなげて、つながって、何とかすっど。吾平の家で、美味しい焼酎が飲めるようになる日を迎える為に、何とかすっど。

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