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世界五分前仮説について

 世界五分前仮説を知っているだろうか。
 
   その名前の通り、「世界は実は5分前に始まったのかもしれない」という仮説である。Wikipediaにはこう書いてある。哲学における懐疑授業的な思考実験のひとつで、バートランド・ラッセルによって提唱された。この仮説は確実に否定する事(つまり世界は5分前に出来たのではない、ひいては過去というものが存在すると示す事)が不可能なため、「知識とはいったい何なのか?」という根源的な問いへと繋がっていく、と。

 これを聞くと、私の友人は「じゃあどうやって世界はできたの?」と聞いた。もちろん、答えは私には分からない。私だけではなく、ほぼ全ての人が言葉を詰まらせるだろうと思う。

 私はこれを初めて知って、途端にとある言葉を思い出した。

【瞬きしている間に、世界が変わってはいないか】。

この言葉は、どこで見たのか、どこで聞いたのか、どこで読んだのか。その全てが全く分からない。心当たりもない。だが、この言葉だけが私の中に居座り続けている。

 全くの無関係に見えるが、私はなんとなく通ずる部分があると思っている。 

 瞬きの間に世界が変わっているのならば、瞬きする前に存在した「自分」は変わっているのだろうか。
 それと同じで、5分前に居たとされる「自分」は、世界が造られて5分後の「自分」は全くの同一人物なのだろうか。もしそうならば、瞬きした後と世界が創られて5分後の「自分」は、本当に「自分」なのだろうか。それならば、「自分」とは一体なんなのだろうか。

 この「自分とはなんなのか」という問題は、多くの人が答えられないと思う。だが、それもまた答えなんだと思う。

 世界五分前仮説を阿呆らしい、と笑う人もいれば、本当にそうかも、と思う人もいる。
 私は、世界五分前仮説が肯定も否定も出来ないのは、ある一種の逃げ道なんだと思う。

 もし世界が5分前に作られたのならば、今の自分にあるのは植え付けられた記憶であって、本当の自分の記憶ではない。ならば、過去に大事な人を傷つけてしまった、許されざることをしてしまったとしても、それは今の自分がしたことではないからだ。

 世界が変わったのらば、そこからまた始めれば良い。
 世界は、なにもしなくても少しずつ変わっていくのだから。