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完璧主義をほどく、魔法の甘味処

年明け、2024年の目標の漢字を『寛』に決めた。

気がつけば陥ってしまう、完璧主義は苦しいものだ。
自覚はなくとも理想が高く、自分に厳しい。自分を責め、反省がもはや趣味。そんで行動を起こす勇気もないくせに、人に批判の目を向ける。

‥残念すぎる。

今年こそは、どうにか緩めたいと願った。
そこで、考えすぎ・気にしすぎの対処法を探ってみた。

・「まっ、いいか」と口に出して言う。
・人の評価を気にせず、6割の出来でもアウトプットする。
・鼻から息を4秒で吸って、4秒止めて、8秒で鼻から吐く。
・ダッシュで走って全身の脈を感じ、生きていることに感謝する。

一見ぜんぶ良さそうだ。
が、続かない。俺、もうダメだわ。



我々の界隈では、『おおらか・おおざっぱ・ズボラ』はすべて、愛すべきチャームポイントである。
ゆえに、わたしも「そんなの全然気にならなかった~」というフレーズをコミュニケーションでよく使う。そう言っているときは、本当にそう思っている。

しかし、わたしにはひとつ、静かにひた隠しにしていることがある。
気にならない、というのは「返信が遅れた」とか、「うるさくしちゃった」とか、そういう類のことで、実は細かいことがとっても気になるタチなのだ。



友人と浅草まで出かけたときのこと。
歩きながら彼女が言った。「そろそろお茶でもしよう。このあまみでも入ろっか?」

…あまみではない。『甘味処(かんみどころ)』だ。
「かんみだよ。あっちの通りも気になるから、ちょっと歩いてみない?」と、わたしはつとめて軽く答える。
ぷらぷら歩きつつ、「やっぱ、あのあまみがいいかなぁ」「あれ、あまみの店ってこっちだったっけ?」と彼女はとにかく無邪気だ。そしてわたしはそのNGワードを聞くたびに、だぁぁーッと、まぶたのところがぐにぐにした。

後日、別の友人と、気にしすぎ・考えすぎの話になった。ふと思い出して、この「あまみ」のエピソードを話してみた。細かすぎて引かれるかな、と思ったが、彼女は引かなかった。それどころか盛大に笑い飛ばされた。

「いやぁ、クセが強いねー!でもさ、そういうのがいいよね。そんなどーでもいいこと気になっちゃって、ずっとブツブツ言っちゃうのが周ちゃんで、そういう自分ってめちゃくちゃ愛くるしいやん、ってことだよね。」

ちょっとびっくりした。
そして、そうか、そっちなのか…、と腑に落ちた。

わたしは「人の目を気にせず、柳のようにしなやかで素敵なひと」をお手本に、完璧主義の克服を目指していた。
気にしすぎてしまう自分をリセットし、考えすぎてしまうときは、それをなんとかいなして、深呼吸しながら慣れていこうとしていた。

でも違った。
気にしない自分になる、自分を緩めて完璧主義をほどく道筋があるとしたら、たぶんこうだ。

・自分の自然でおかしな部分を晒すこと。
・それを認めてくれるひとがいることを知ること。
・自分が、それを本当に受け容れること。

わたしは、変なところでやたら細かい、
めんどくさい人間です。

受け容れるから、緩まるのだ。
たぶん、この方法が、遠いようで一番近い。

ちなみに、甘味処は「かんみどころ」のほうがむしろ誤読で、
本来の日本語としては「あまみどころ」だったそうだ。
誤読が市民権を得て、今ではどちらの読み方もアリとされているとのこと。
あまみのともだち、ごめんね。

いやあ、ほんと、おはずかしい。いやあ、たぶん、愛くるしい。
みなさまいつも、ありがとうございます。
(言いたくなりました)




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