書道教室は、小さな駄菓子屋だった。
少しまえから、塾で小学生に英会話を教える授業を受け持つようになった。教えると言っても専用のテキストと音声教材が用意されていて、それに沿って進めている。
子どもたちにとって、英会話レッスンは楽しいものらしく、中学生のそれとは大違いだ。やっぱりテストもないし、宿題もそんなに多くないから楽なのだと思う。
時間に余白があると、それが勉強だとしても、面白く感じるのかもしれない。
レッスンを終えると、生徒たちは「今日も楽しかった」と言いながら、帰っていく。もちろん相手は小学生なので、集中が切れてくると途中で席を立ち上がったり、変な椅子の座り方をしている男の子もいる。僕は一応先生なので、そういう時は注意をする。
なんだか楽しそうだ。きっと親に言われて習いに来ているのに、文句ひとつ言わずテキストを進めていく。毎回進めるページの目安が決まっているので、僕も時計と睨めっこしながら、なんとか終わらせている。
所々で学校での様子を訊いたり雑談をはさんだりして、時間とやる気のコントロールをする。それでも生徒がだらけているときもあって、そういうときの魔法の言葉がある。
「今日もシールあげるよ」
授業が終盤に差し掛かろうとすると、僕は生徒たちにシールをあげる。すると、彼らは満面の笑みを返してくれる。授業終わりのご褒美のために塾に来てるんじゃないかと疑うほど、子どもたちは目を輝かせている。
僕は小学生の頃、書道教室に通っていた。硬筆(えんぴつ)と毛筆の両方を習っていた。1回のお稽古は、だいたい1時間くらいだったと思う。
とにかく字が雑だった。僕はノートに何でもがむしゃらに書くタイプで、僕が書いた文字は自分にしか読めない暗号だった。
暗号を解読できるのは自分だけだった。だから、学校の先生も困らせた。誰にも読めない字は、大人になってから苦労する。そう思った母親が近所の書道教室を見つけ、僕はそこへ通うことになった。
書道の先生は、何でもお見通しだった。僕が書き順を誤って書いて提出すると、すぐに見破られてしまう。ずっとそばで見ていたわけではないのに、いつもバレる。
「はい、もう一回書き直し」
僕は新しい半紙を取って、文鎮を置いて、筆を手に取る。深呼吸をして、精神を落ち着かせて、目の前に集中する。それから墨汁を半紙へそっと垂らし、先生に教わった書き順を守って書いていく。とめ・はね・はらいも忘れずに意識する。
小学生の僕にとって、書道は苦行の一つであったが、通い続けたのには理由があった。
書道のお稽古が終わると、毎回好きなお菓子を3つ持って帰っていいことになっていた。先生は、飴玉やうまい棒や駄菓子屋さんにしか売っていないような珍しいお菓子まで集めていた。
僕の家の近くには駄菓子屋さんがなかったので、駄菓子が食べられるのは本当に貴重だったし、何より嬉しかった。1時間の苦行も駄菓子のためなら、乗り越えることができた。
特に年末はすごかった。書道教室の大きなイベントがあったのだ。それは、「駄菓子のつかみ取り大会」である。その日は、片手で取れただけの駄菓子を家に持って帰ることができた。1年間頑張ってきたことが報われる大切な日だった。
書道教室は、まさに小さな駄菓子屋だった。僕は塾でシールをもらって喜んでいる小学生を見て、楽しかった書道教室に通った日々を思い出して、noteに文章を残した。
2022.6.24.
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