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桜が咲いても、春の香りを感じない。

春が来て、桜が咲きました。暖かくなり、日が長くなりました。でも、まだ春の兆しを感じません。

あたりを見渡すと、みんなマスクをしています。僕もマスクをしています。そうです。僕たちは、香りを失ったのです。

僕は昔、春があまり好きではありませんでした。雑木林などから漂うあの独特な匂いに耐えられなかったからです。小学生のころ、学校に通うまでの間、あの匂いに出会うと小さな手で鼻を押さえ息を止め、小走りで学校まで走っていたほどです。

世界中を襲ったあの感染症は、僕たちの嗅覚を奪いました。かかった友人が言っていました。ある日、とつぜん世界から匂いが消えるのだと。鼻が詰まっていると錯覚するのだそうです。

そして聞いた話によると、その後も後遺症として残り、嗅覚がもどらない場合もあるそうです。かかったらその後も匂いを感じにくくなる。本当におそろしい病だと思います。

僕たちは、目で見て、耳で聞いて、味を感じて、匂いを嗅いで、物に触れて、つまり五感で世界をとらえています。だから、その感覚の一部がとつぜん鈍感になり、あまり機能しなくなると、世界の見方が大きく変わってきます。

もちろん、それにより別の感覚が発達することもあるでしょう。ですが、感染症にかかった後では、まるで別世界にいるかのような錯覚を覚えるのは、大げさなことではないのかもしれません。

香りを失ったのは、かかった人だけではありません。僕もそうです。みなさんもそうです。地球に住む人みんながそうです。なぜなら、マスクをしている間は、世界から香りが消えるからです。

僕たちは、日中マスクをしています。もちろん、マスクを外すと香りある世界を感じることができます。ですが、周りの視線を気にして遠慮をしてしまう人がほとんどです。マスクをせずに店に入ろうものなら、入店拒否をされてしまう。これが、現代社会における新しいルールだからです。

この文章を読んでくれている人は、大半が目の見える人だと思います。僕たちは、この世界をとらえる時に視覚情報ばかりにとらわれがちです。

しかし、目に見える世界だけが全てではない。香りだって、僕たちが生きる世界を構成している1つの要素なのです。最近あらためて、そのことに気づかされました。

僕は外を歩いている時、あたりを見渡して周りに誰もいないことを確認すると、マスクを少しだけずらし香りを感じるようにしています。新鮮な香りを感じると、日常の何気ない変化に気づくことができるからです。

次に読むなら

吉本ばななさんの著書『とかげ』(新潮文庫)の中に収録されている、短編小説『新婚さん』を読んで、あることに気づかされた。それは、「世の中には、無限の共通言語がある」ということ。ぜひ記事を読んでみてください。

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