[AIのべりすと長編小説]サイボーグ少女はバグAIに幻を見せられる 第8話:終焉

 ミッシングリンク、それは生物の進化過程を連なる鎖として見た時に、進化の中間期にあたる生物・化石が欠けた状況を指す。進化が途切れてどう進化したのか分からない生物がいるらしい。その中間に当たる生物さえいれば、進化の仕方が分かるみたい。ワタシからしたら生き物達がどう進化していったかなんて関係ないと思うなぁ。だってみんな必死に命を繋いでいるんだもの。その過程で進化していってるに過ぎないよ。でもその過程に、意味があるとするなら違うかもしれない。たとえば、その欠けた環に自分という存在にとって大きな理由があったなら、それは知るべき欠けらになるから。

 ◆◆◆

 そこは裁判所そのものだった。白い壁に赤い絨毯、机には裁判官や傍聴人がいる。
 さとりは被告席に立たされていた。
 弁護士はいないし、検察官もいない。
 傍聴人もいなければ裁判員さえいなかった。
 いるのはデリダと祥子ともう一人のさとりがいた。
 裁判長だけが法廷いて、書類を整理しながらさとりたちの様子を伺っていた。

「ふむ、これが被告の陳述書か」

 そう言って書類を見る。さとりはただ黙って聞いていた。

「では、そろそろ始めようか。私は裁判長のトリンだ、よろしく」
「はぁ」

 さとりは気のない返事をする。そもそもなぜ自分は被告として立たされているのか分からなかった。

「さて、君は偽者の酒津さとりだと訴えられているのだが、どう思う?」
「はい!?」

 突然の質問に思わず声が出る。どういうことなのか理解できなかった。

「えー、原告の酒津さとりから聞いたところによりますと、被告は偽物の酒津さとりであり、本物の酒津さとりになり代わろうとしているとのことである。そこで、被告人は自分が本物であることを証明するためにここに来たということだが……」
「ちょっと待ってください! そんな話聞いてません!」

 さとりが異議ありと言わんばかりに手を挙げる。

「しかしね、君、この陳述書によると、クローンであると書いてあるけど」
「そ、それは向こうが幻覚で勝手に作られた存在で」
「では、それをどう証明するのだ?」
「だから、ワタシが本物だって証拠を見せればいいんでしょ? じゃあこれ見てよ!」

 さとりは服の左側を捲り上げる。左腕は機械になっており、自律可動装置のボイジャーが鈍く光輝く。そして、その左肩にはバックアップトークンが付いていた。

「これがワタシよ!」
「ふむ……これは確かに左腕が機械だな」
「そうよ、だからこれがワタシだって証明でき」
「しかし、それが酒津さとりが本物である理由にはならない」

 トリンはさとりの主張を真っ向から否定した。さとりは反論しようと口を開くも、言葉が出なかったのか黙ってしまう。
 すると、さとりの代わりに今度はデリダが手を挙げた。

「裁判長、被告のさとりが偽者である理由を教えてください」
「いいだろう。先ほど述べたようにクローン技術によって生み出されたというのは本当かもしれないし嘘かもしれない。ただ、一つ言えるのは左腕が機械に置き換わった者を本物とすることができない」
「なぜですか?」
「なぜならば、左腕が機械になった時点で人間ではなくサイボーグになるからだ」
「そんな……」
「左腕が機械となったことで人間として扱えないと判断した。つまり、クローン体を本物の酒津さとりと認めることはできない」
「そんな、どうしてですか!?」

 さとりは声を上げる。しかし、トリンは何も言わずに首を横に振る。
 今度は祥子が口を開く。

「裁判長、原告の酒津さとりは間違いなく本物の酒津さとりだと言えます」
「それはなぜだ」
「なぜなら、原告は全身が生身の肉体であり、機械化されたところはありません。健康状態も良く、怪我や病気をしたこともありません。以上から、原告は本物の酒津さとりと断定します」
「いっ、異議あり!」

 さとりは異議を唱える。

「ワタシだって機械の腕を取り外したら生身の身体です。だからワタシはサイボーグでもありません。……それでも、ワタシはちゃんとした人間なんです!」

 自分で何を言ってるのか分からなかった。でも、必死に訴えた。トリンは書類を見ながら、さとりの言葉に耳を傾けていた。
 そして、トリンはさとりの目を見て、こう言った。

「そもそも、なぜ身体の一部を取り替えたのだ? なぜわざわざサイボーグ化する必要があったのだ?」
「それは……」

 さとりは言葉を詰まらせる。

「それは、ワタシが怪我して左腕を失くして……」

 そこまで言いかけてハッとする。
 自分の記憶を遡ると、事故に遭ったという記憶がある。だけど、そのことが思い出せない。
 なんで、事故で左腕を失したのにその事故は思い出せないんだろう?

「被告の主張がこれ以上ないなら判決を下す。被告は偽者ということで訴えを棄却とする」
「そんな……」

 さとりは呆然としていた。

「さて、これで裁判は終わりだ。被告の酒津さとりは原告の前から消えなさい」
「待ってください! ワタシは本当に……」
「さとりさん、落ち着いてください」

 デリダがさとりに駆け寄る。
「でも、このままだとワタシ偽者にされて死んじゃう!」
「大丈夫です、さとりさん」

 デリダはさとりを落ち着かせる。さとりはデリダに抱きつく。
 デリダはさとりを優しく撫でていた。

「いいですか、裁判は一回で決まるわけではありません。後、二回裁判を行えます。意味が分かりますか?」
「……うん」
「そう、それでいいのです。私と一緒にこう言うんです」
「「控訴します」」

 その瞬間、トリンは止まってしまった。さとりはその様子に困惑していた。

「あ、あれ?」
「さとり、今がチャンスですよ」
「え、ええ?」

 さとりは困惑する。

「さとりさん、逃げるのです」

 デリダはさとりの左手を引っ張る。さとりは戸惑いながらもついて行く。さとりは混乱している。
 一体何が起こってるの?
 廊下を走る二人。さとりは何が何なのか分からず戸惑っていた。二人は校舎を出る。
 すると、突然、目の前の空間が歪む。
 それはまるで陽炎のようにゆらゆらと揺れていた。そこに現れたのは祥子だった。

「さとり、逃げても無駄だよ」
「デリダちゃんがいる限り、ワタシは逃げられるよ!」
「確かに逃げるだけなら簡単。でも」

 祥子はデリダを見つめていた。

「さとりに欠けたものがなんなのか。そして、なんで私の偽者が生まれたのかよく考えた方がいいよ」
「……どういうこと?」
「さとり、あなたは私のこと知りたいんでしょ?」

 そう言われてさとりは黙ってしまう。
 確かにそうだ。自分は祥子のことを何も知らない。さとりはそう思った。
 すると、祥子は手を差し伸べる。その手を取るべきか悩んでいると、デリダがさとりの手を取って握ってくる。

「さとりさん、私があなたの味方です」
「どうして、そう言えるの?」
「だって、私はさとりさんのバックアップトークンですから」

 さとりは目を大きく見開く。

「……そっか、ありがとう」

 さとりはデリダの手を握り返す。すると、空間の歪みから手が伸びてくる。それはさとりの右手を掴んだ。

「さとり、こっちへおいで」
「嫌だ」
「さとりさん」
「ワタシは……」

 さとりは考える。

「分かったわ」

 さとりは答えを出す。

「さとり!」
「さとりさん!」
「ワタシは……」

 さとりは答える。

「ワタシはーー」

 さとりが叫んだ途端、さとりの身体は光に包まれた。

 ◆◆◆

 そして、気がつくとさとりは自分の病室にいた。
 さとりはベッドから起き上がる。時計を見ると昼になっていた。

「ワタシ、ずっと幻覚見てたのかな?」

 さとりは呟く。さとりはふらつきながら立ち上がる。そして、窓の外を見る。そこには青空が広がっていた。
 さとりはカーテンを開ける。眩しい太陽の光がさとりに降り注ぐ。さとりは窓から外を眺める。そこには、いつも通りの景色があった。さとりは部屋を出て、研究所内を歩く。
 歩いていると双人に鉢合わせした。双人は驚いた様子でさとりを見ていた。
 さとりは少しだけ微笑み、会釈をする。そして、その場から離れようとする。
 しかし、双人がさとりの腕を掴む。
 さとりは振り返る。双人の顔は青ざめていた。
 その様子にさとりは心配になって声をかけた。

「双人博士、どうしたのですか?」
「あなた、生きていたのね……」
「それってどういう……」

 さとりが言い切る前に双人は自分の研究室にさとりを連れていった。双人は部屋に入ると扉を閉めてしまった。さとりは部屋の中を見渡す。機械や書類が散らばっている。気になるところはパソコンの画面が点いていることだ。
 さとりは椅子に座っている双人をチラッと見る。双人は何かを考えているのか難しい顔をしていた。さとりは不安になる。
 もしかすると、自分はとんでもないことをしていたのではないか? さとりはそんなことを考えてしまう。
 さとりは恐る恐る質問する。

「双人博士、ワタシ何かしちゃったんですか?」
「……そうね、結構危なかったと思ったわ」
「それって……」
「あなたは幻覚を半日見て、なんとか生存したわ」
「えっ……」

 さとりは驚くしかなかった。
 ワタシ、確かに幻覚を見ていたけどそんなに長く見ていたのかな? というか、生存できたことがそんなにすごいの?
 双人は腕を組んで話し始める。

「あなたはバックアップトークンは付いてるけど、幻覚を見て半日生存できたのは奇跡よ」
「奇跡……」
「そうよ。特にバックアップトークン無しで半日から一日以上生存できた人はいないわ」

 そう言うと双人は立ち上がり、机の上に置いてある紙束を手に取る。
 それはある日の新聞の記事だった。

『ボイジャー装着者、死亡か』

 日付を見るとノイマン社が謝罪会見をする二日前くらいの記事だった。記事にはこう書かれていた。

 ・幻覚を見てから翌日の朝に目覚めたところ、既に錯乱状態になっており三階の窓から飛び降りて死亡。
 ・度々幻覚による意識不明の状態が続いており、病院に収容されたが目覚める度に真偽不明の言葉を発していた。

 と書いてあった。
 さとりはこの記事を読んで、疑問に思うことがあった。

「幻覚を見ていると錯乱状態になるってどういう……」
「多分、ボイジャーのAIに何かされたって考えるのが自然かしら。だから、バックアップトークンの開発が急がれたのよ」

 流石に死者が出るとなると会社として責任問題になりかねない。だからこそ、ノイマン社は早急に謝罪しバックアップトークンを開発したということである。さとりは納得する。
 なるほど、そういうことだったんだ。確かにあんな危険なものを取り付けられて外すもできないとなるとそうするしかなかったんだ。
 あっ、そうだ。
 さとりは思い出したことがある。

「双人博士、ちょっといいですか」
「なにかしら?」
「あの、幻覚の発生条件についてなんですが」
「発生条件って、ちょっとどういうことよ」

 双人はさとりに前のめりになる。

「ええ。その、ワタシ思ったんです。もしかしたらその人にとって一番大事なことを考えようとした時に幻覚を見るんじゃないかって」
「つまり、どういうこと?」
「例えば、恋人のことを考えるとか」
「あなた、それは自分が年頃だからじゃない?」
「それは……否定しません。だけど、ワタシは祥子ちゃんのことを考えている時に幻覚を見てる気がするんです」
「若木祥子……」
「はい」

 さとりは真剣に答える。

「うーん、あなたがなぜそうなのかは分からないけど、あなたが若木祥子について考えてしまうのは、彼女があなたの目の前で死んでしまったからだと思うわ」
「えっ……」

 さとりは信じられなかった。

「祥子ちゃんがワタシの目の前で死んだ?」

 祥子が死んでいたことには気づいていた。しかし、それは自分が意識不明になった二ヶ月の間に起きたことであると考えていた。

「そうね、若木祥子はあなたが意識を失う直前で死んだと思うわ。あなたが電車に轢かれた事故で彼女は亡くなった」

 その言葉を聞いた瞬間、部屋中に慟哭が響いた。
 さとりは部屋を飛び出した。双人が静止させようとしたものの、それを振り切ってしまった。
 さとりは走った。研究所内をひたすら走り続けた。何も見ずに走っていたらたまたま通りかかっていた宮尾にぶつかった。

「なんですか、いきなり……」

 宮尾は呆れていた。

「あっ、ごめんなさい」

 さとりは宮尾にぶつかったことで冷静になった。

「すみませんでした」

 宮尾は溜息をつく。

「いえ、大丈夫です。それより、酒津さん。何かありましたか?」
「はい?」
「先程、泣きながら走っていましたが……」
「その、祥子ちゃんがワタシの目の前で死んでいたこと知らなくて。そのちょっと、どうかしてました」
「知らない?」

 宮尾はさとりの言葉に引っかかった。

「なんで当事者のあなたが覚えていないんですか。いえ、あなたが若木祥子が死んだところを見ていないなら別ですが」
「ワタシ、祥子ちゃんのこと本当に忘れているんです。祥子ちゃんが死んだことも目の前で死んでしまったことも」
「もしかしてですが、『事故』当日のことも覚えていらっしゃらないですか?」
「……はい」

 さとりは正直に返事した。宮尾はその様子を見て何か感じていたようだ。

「分かりました。あなたが若木祥子のことを覚えていないことは本当のようでしたね」
「えっ」
「あなたの友人の橘あかりさんからそう言われていたんです。若木祥子について覚えていないと。その確証が取れたのであなたに容疑をかけるのをやめます」
「えっと……」
「ただし、あなたに犯行の動機があるなら別です。それだけは覚えておいてください」

 そう言うと、宮尾は去っていった。
 残されたさとりは混乱していた。
 えっ、ワタシが犯人? そんなはずはない。だって、ワタシはそんなことしていないはず。じゃあその時、何が起きていたの? ワタシ、どうなっているの?
 さとりの頭の中で疑問がぐるぐる回っていた。
 そんな時、後ろから声をかけられた。

「さとりさん……」

 声をかけたのはつぼみだった。さとりは振り返るとつぼみの顔を見た。つぼみは悲しそうな顔をしている。
 さとりは話しかけようとした。
 しかし、何を話せばいいのか分からず沈黙が続いた。
 すると、つぼみの口が開いた。

「さとりさん、幻覚は大丈夫でしたか?」

 つぼみは心配そうに言った。

「うん、もう大丈夫だよ」

 さとりは笑顔で答えた。

「そうですか……」

 しかし、つぼみはまだ不安そうにしている。そして、何か決心したような顔になった。

「さとりさん、辛いことがあれば私に相談してください」
「でも……」
「私も幻覚を見て病気を思い出して辛いことがあります」
「えっ……」
「私もさとりさんの気持ちは分かると思います」
「つぼみちゃんがワタシの気持ちが分かるわけないよ」
「いいえ、分かります」

 つぼみは真剣な表情で言う。

「どうして?」
「私の病気、身体が縮んでいくんです」

 つぼみは機械になっている右手を見せる。

「えっ?」
「今は右手だけが縮んでしまっています。この手ではまともに生活できません。だから、私は今ボイジャーを付けて入院しています」
「それって……」
「はい、治る見込みはありません」
「嘘だよね……」
「本当です」
「うそ……うそ……」

 さとりは動揺を隠せない。つぼみに置かれた状況が自分が思ってるよりも深刻だった。

「つぼみちゃん、身体がなくなっていくの怖くないの?」
「……怖いです。とても怖いです」
「そう……なんだ」
「だから、本当はボイジャーを付けるのも怖かったです」
「えっ」

 さとりは驚いた。なぜなら、つぼみは恐怖を感じているようには見えなかったからだ。今の彼女は、むしろ、幸せそうに見えた。しかし、その理由をすぐに理解する。彼女の左手が震えていたのだ。
 それは、恐怖に耐えている証拠であった。

「身体がなくなるのは怖い。ボイジャー付けてるとそれが嫌でも自覚させられる。私が私じゃなくなるという気持ちでいっぱいになるんです」

 さとりは、その言葉を聞いて何も言えなかった。

「あっ……ごめんなさい。さとりさんを責めてるわけじゃないんです。ただ、さとりさんの辛い気持ちは分かるかなと思っただけなんです」
「……」
「……私こそ、独りよがりの考えだったかも、しれませんね……」
「つぼみちゃ」
「ごめんなさい、失礼しました」

 つぼみが走って去ってしまった。

「待って……」

 さとりは追いかけようとしたが、足が動かなかった。

「ワタシ、またやっちゃった……」

 さとりは、つぼみに酷いことをしてしまったと思い落ち込んでいた。

「ワタシ、ダメだ……」

 さとりは、その場に座り込んでしまった。

「ワタシ、最低だ……」

 さとりは、涙を流す。さとりが泣いていると、双人がやってきた。さとりは泣きながら、事情を説明した。さとりは、つぼみに謝らないといけないと言った。しかし、その前にすることがあると双人は言う。さとりは再び双人の研究室に連れてこられた。
 さとりの目の前にはパソコンがあった。その画面に映っているのは『若木祥子』という名前と死亡と書かれたニュース記事だった。その画面を見つめながらさとりは、涙を流していた。

「こんなこと、知りたくなかった……」

 さとりは、後悔していた。

「ワタシ、どうすればいいの?」

 さとりは、自分の病室に戻ってずっと悩んでいた。

「……ワタシは、何をしたらいいの? ワタシは、祥子ちゃんのことをどう思えばいいの?」

 さとりは頭を抱えていた。

 ワタシは祥子ちゃんのことが好き。だけど、祥子ちゃんは事故でワタシの目の前で死んでしまった。ワタシは祥子ちゃんのことが思い出せない。
 さとりは繋がらないピースを繋げようと必死になっていた。
 ワタシと祥子ちゃんの身に一体何が起きたんだろう?

『さとりといるのがもう嫌なんだ』
『さとり、別れよう』

 忘れてたはずの祥子の言葉が、映像と共に浮かび上がる。
 あれ? ワタシ、祥子ちゃんとケンカしてーー。

 ◆◆◆

 さとりはいつの間にか踏切前に立っていた。すると、警報機が鳴り始める。遮断機も降り始めた。電車が近づいてくる音が聞こえてくる。
 その時、後ろから声をかけられた。
 振り向くとそこには、左手が生身のさとりが立っている。彼女は悲しそうな顔をしている。

「辛いならワタシと代わってあげるよ」
「……」

 さとりは何も言わずにうつむいている。

「もういいでしょ。辛いことばかりじゃない」
「……」

 さとりは、黙って立ち尽くしている。

「もう、いい加減にしてよ」

 さとりが叫ぶ。

「ワタシの姿してるだけの誰かなんて認めない! ワタシはワタシ、左腕がなくなっても、祥子ちゃんのことを忘れていてもワタシは酒津さとりなの!」
「……そう」

 もう一人のさとりは興味の無さそうに返事をした。彼女は踏切の中に入っていこうとする。

「ねえ」

 さとりが呼び止める。

「なに」
「あなたはワタシの代わりになろうとしてるけど、それでいいの?」
「はぁ」
「ワタシの代わりになるってことは、あなたの人生じゃなくてワタシの人生を生きることになるんだよ? ……それって楽しいの?」
「ワタシはあなたの代わりなんだから楽しいも何もないでしょ」
「本当にそれでいいの?」

 もう一人のさとりはほんの少し黙った後、口を開いた。

「……それでも構わない」
「でも」

 さとりが言い切る前に踏切を超えていってしまった。そして、電車が通り過ぎていった。
 さとりはそれを見送ることしかできなかった。しばらくすると、彼女は消えてしまった。
 さとりが踏切を背に歩こうとしたら、デリダがやってきた。いままで何をしていたのか気になったが、そんなことを聞く余裕はなかった。
 さとりは、彼女に抱きついた。
 さとりは、泣いていた。
 なぜ自分は自分の偽者にすら望んでいないことにさせてしまうのか。自分が情けなかった。

「どうしたのですか」

 祥子の代わりの代わりであるデリダが心配そうに声をかける。
 さとりはただひたすら泣いていた。デリダはそれを見て、ただ黙っていた。
 しばらくして、落ち着いたさとりが話し出す。

「ワタシの偽者を救いたい……」
「どういう意味ですか」
「ワタシの偽者は本物になることを望んでなんかないんだよ!」
「ですけど、偽者ってそういうものじゃないでしょうか」
「……」

 さとりは言葉を失った。さとりにはデリダは機械から生まれた存在だが、キチンと感情や心のようなものを持っていると思っていた。それなのにデリダはいとも簡単に否定してしまった。

「私は所詮誰かの姿をコピーしたAIプログラムですよ。だから、私にできることがあるとすればあなたのことを守ることだけです。それが、私に与えられた役割なんです」
「……」
「私はあなたの友達になることはできませんし恋人にもなれません」
「……」
「でも、私にはあなたにできることがあります。それが私の存在意義であり、私の存在理由なのです」
「……」

 さとりは何か言おうとしたが、言葉が出てこなかった。

「さとりさん、私はあなたの味方です。だって、私はあなたのこと……」

 デリダは何か言おうとしてやめてしまった。さとりはその続きは何だろうと思った。だが、デリダはそれ以上を言おうとしない。

「……ワタシの偽者だって、デリダちゃんだって生きている。生きているの」
「それはあなたの幻覚の中での話じゃないですか」
「だけど」
「あなたは現実で生きてる人と付き合っていくべきです」
「何言ってるの?」
「私や偽者みたいに嘘の塊みたいな存在ではなく、ちゃんとした人間と一緒に生きていくべきだと言っているのです」
「違うよ! みんなちゃんと生きている!」
「それはあなたにとってはの話ですよね」

 さとりは言い返せなかった。
 さとりにとって都合の良い世界で生かされているだけなのは分かっていた。幻覚で生かされた存在に本当の世界に生きる資格はないのだ。

「それに若木祥子は死んだことが分かった今、幻覚にいる若木祥子はさとりさんの中に住まう幻影そのものです。それに振り回されてしまうのが辛くないですか?」

 さとりは祥子の聞かれて困った。今いる祥子はさとりの幻覚の中にいる存在だけである。本物の祥子ではない。その事実をさとりは受け止めきれていなかった。
 さとりは、ずっと祥子に会いたかった。しかし、祥子は死んでしまい、会えたとしても偽者の祥子しかいない。
 そして、偽者の祥子とさとりに裁判をかけられている。さとり自身をかけた裁判はまだ終わっていない。さとりの脳裏に蘇る。
 ワタシは、ワタシは……。
 さとりはその場に崩れ落ちた。

「大丈夫ですか!」
「ワタシ、もうダメだよ」
「そんなこと言わないでください」
「だけど」
「なら、諦めよっか」

 さとりとデリダが声の方に向くと、祥子がいた。

「えっ、なんで祥子ちゃんが」
「なんでってここ、幻覚でしょ? 私がいるのは当たり前だよね?」

 祥子がにっこりと笑っている。
 さとりは、目の前の光景が信じられなかった。なぜここに祥子がいるのか分からなかったからだ。デリダが割り込んでくる。祥子はさとりの前に立ちふさがってきた。デリダはさとりを守ろうとした。祥子はデリダを睨みつけて言った。

「あなた、まださとりを守るの?」
「私はさとりさんのバックアップトークンです、当然です」
「そう」
「さとりさんから離れてください」
「嫌だと言えば?」
「あなたがさとりさんに危害を加えようとするなら攻撃します」
「分かった分かった、何もしないよ。ただ、裁判で証明してもらうだけさ」

 さとりは混乱していた。祥子がなぜ裁判を起こすのか、理由が分からなかった。

「さとりさん、私があなたを守ります。だから、安心してください」

 デリダがさとりに言う。

「さとり、さとりは自分が酒津さとりだと証明できるの?」
「えっと……」
「身体も記憶も欠けたさとりじゃ、負けちゃうんじゃないかなぁ」

 さとりは答えられなかった。

「ワタシは……」
「ほら、やっぱり」
「ワタシは……」

 さとりは言葉が続かなかった。さとりは、自分が本物かどうかはっきり言える自信なんてなくなっていた。さとり自身がそう思っていた。

「さとりさんは本物です」
「ワタシは本物じゃない……はずがない」
「そうです。例え、身体を失ってもさとりさんはさとりさんに違いはありません」
「それはどうかな」

 さとりは、祥子の目を見ることができなかった。さとりは怖かった。自分のことを本物だと証明することができないことが。祥子に否定されるかもしれないと思うと、恐ろしかった。
 そんな様子のさとりを見たデリダがさとりの左手を握る。さとりは驚いて顔を上げる。デリダは祥子を睨んで離さない。祥子はそんな様子を見て笑う。

「言うのはいくらでもできるさ。だけど、キチンと証明するのが裁判だからね」

 祥子が瞬きをすると背景がガラリと変わっていった。

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