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二股結婚を機に表面化した「コンプレックス」の正体

左手薬指の指輪のことをユウヤに聞けないまま、時は過ぎていきました。そして彼の誕生日、私はとうとう、知りたくなかった現実を知ることになります。そう、ユウヤはいつの間にか、私の知らない誰かと結婚していたのです。

その日のことについては、以前書いたこちらのブログを読んでいただけたらと思います。

そして、ここからは、二股結婚がわかり、彼と決別した後のお話になります。

私は彼を責めませんでしたが、その分、「愛されなかった自分」をひたすら責めることになります。そしてどんどん、心が壊れていきました。

行き場を失ってしまった
「女」である私

以前の記事にも書きましたが、彼の結婚がわかったあと、私を襲ったのは、激しい自己否定と深い絶望でした。

おそらく、私の中にもともとあった自己否定が、この「二股結婚」というできごとをきっかけに、一気に表面化したのだと思います。

一番根本にあったのは
40代という自分の年齢に対するコンプレックスでした。

それはさらにいうと、

「もう子どもを産めない」というコンプレックスです。

ユウヤは以前、子どもが好きだと話していました。だから、ユウヤが誰かと結婚したと知ったとき、私はもう子どもが産めないから選ばれなかったのだ。と、勝手に結論付けたのです。


それと同時に

私はもう一生、男性から求められることはないのだ

という、絶望感にも襲われました。

40代の自分が、これから誰かに愛されることはないだろう。

そう思ったのです。

私にとっては、ユウヤが声をかけてきたこと自体が奇跡でした。

ユウヤと会う前の私は、もはや自分が女であることさえ忘れて生きていましたし、そのことに何の疑問も感じていなかったのです。

でも、ユウヤに出会い、女性として求められることで、
いつの間にか「女である私」が呼び起されていました。

そして、ユウヤを失ったことで、この

「女である私」

が、完全に行き場を失ってしまったのです。

二股結婚がわかった日から、私はほとんど何も食べられなくなりました。
いつも何かが不安で、深く息を吸うこともできず、落ち着きません。
夜眠ることもできず、どんどんやつれていきました

自分責めの言葉ばかりが、ぐるぐると頭をめぐります。あまりにつらくて、何か答えが欲しくて、ひたすらネットを検索しまくりました。

でもそこで見つかるのは、

「あなたは愛されなかったのです」
「彼は遊びだったのでしょう」といった

自分責めの材料になる言葉ばかり。

3か月ほど経ったとき 私は精神的にも体力的にも限界を迎えました。とにかく眠りたい!と、睡眠外来を訪れることに。そこで抗不安剤と睡眠導入剤を処方されてからは、それらの薬が手放せなくなります。

さらに、なぜか顔がこわばるという症状も現れ始めました。誰と話していても、なぜか緊張し、顔がこわばってしまうのが自分でわかるのです。

そしてしまいには、ソファの上から動けなくなりました。仕事などでどうしても外に出たり、人に会ったりする必要があるとき以外は、ソファの上に人形のように横たわったまま1日を過ごします。

とにかく苦しくて苦しくて、早く時間が過ぎてくれることだけを祈る日々でした。

でもそんな中でも、ネットでの答え探しだけは懲りずに続けていました。そしてある日、とうとう一筋の光を見つけます。

それは、とあるカウンセラーさんのブログでした。そこには、問題行動を起こす男性の裏にある心理が事細かに書かれていたのです。

私はユウヤがなぜ二股結婚という理解不能な行動を取ったのか、なぜ結婚してまで私に会い続けようとしたのか、その答えがここで見つかるのではと、必死にそのブログを読み漁りました。

そしてある日、そのカウンセラーさんのカウンセリングを受けることを決意します。これが、私とユウヤの関係の「答え合わせ」の始まりでした。

ユウヤはなぜあんな行動を取ったのか、
なぜ私はユウヤから離れられなかったのか

その理由を、私はここから徐々に知ることになります。












10年来の付き合いであるタケルは、もう友達のような感覚です。ユウヤのような


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