見出し画像

現代のワーホリ天国はかつての流刑地ってのは、つまりは。。


2回にわたって、ちょっと堅いこと書きますけど、お付き合いください。
これを読んでくださっている方は、メルボルンでのワーキングホリデーを考えていらっしゃると思います。
私のアドバイスでは、準備としては前回でも英語のスキル、労働できるスキル、トラブルに落胆しなくてもいける自己解決力などを紹介しました。

メルボルンでというか、日本でも遠くの町を訪れるときも、自分はそこの町の成り立ちや歴史をよく知るというのが、その街への訪問者としてのマナーであり、リスペクトだと思うのです。ローカルの方に敬意を払ってもらうにはまずは自分から敬意を示さなければいけません。歴史的な背景を頭に入れておくと、日本では違う習慣、トラブルに会った際に対処できるヒントになると思うのです。
徒然なるままに私が書くことも、皆さまのヒントになれば幸いです。

ではちょっと、想像していきましょうか。
歴史についてです。
むかしむかしのオーストラリアが建国される前の話から始めます。

オーストラリアは若い国(Young Country)と現地の人はそう呼んでいます。若き国オーストラリア大陸の地形、原住民の歴史は今回は大きく割愛させていただきまして、イギリスによる開拓の歴史から知っていただけたらと思います。


さて開拓とは聞こえが良いですが、流刑地です。


私が今から書く内容は、高校生の頃からざっくり知っていたものの、さらに理解を深めたのはコロナの外出自粛の間に、こちらの本からです。
<チャリティーの帝国 もう一つのイギリス近代史 金澤周作著>→https://www.amazon.co.jp/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E3%81%AE%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E2%80%95%E2%80%95%E3%82%82%E3%81%86%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%81%A4%E3%81%AE%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E8%BF%91%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E5%8F%B2-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%96%B0%E8%B5%A4%E7%89%88-1880-%E9%87%91%E6%BE%A4/dp/4004318807

私が高校生の時、アイルランド系のお宅に2か月滞在をさせてもらいました。そのホストマザーの祖先は、有罪判決を受けた人。
英語ではConvictとよばれるの流刑地にながされた少年と伝わっているそうでした。

罪は窃盗。

たった一つのスコッシュを盗んで流罪に。

スコッシュとは、広い意味でのカボチャ類。

ホストマザーは、イギリス政府はなんとひどい。重すぎる罰だと、一度だけ語ってくれました。

恥ずかしながら、高校生の私の社会を見ている視野が狭くて、いくら少額でも窃盗は窃盗なのにとなぜ国を責めるんだと、彼女の怒りの感情に理解が及びませんでした。
いま大人になったからこそ、私も思うのです。
子供の非行は社会の責任であり、個人の倫理観の話ではないと思うのです。
未成年を流罪にするのは確かに過酷すぎると思います。
少年だけではなく、後の時代には少女も流罪でオーストラリアにやってきます。

そのアイルランドの少年が、なぜ流刑になったのか。
はるか遠くに流罪となった背景には、イギリスとアイルランドの搾取の関係もありますが、当時の時代、イギリス本土の情勢を見ていきましょう。

次に続きます。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?