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【声劇台本】旅人と宿屋



旅の者、道行く途中に、奇妙な宿屋の声をきく

性別不問
5分程度
雰囲気を崩すアドリブは無



旅人
道中を旅している者。年齢不詳、性別不問


宿屋
小さな宿屋の前で座っている者。年齢不詳、性別不問


ヒデじい様の声劇台本置き場にも置いてあります


宿屋:ほれ、そこの旅人
 
旅人:ふむふむ。商売上手が、ほれと声などかけぬ
 
旅人:ここでひょっこり鍛えてきた、シカト芝居を見せてみるかの
 
宿屋:何をぶつぶつ言うとるか
 
旅人:冗談、冗談。しかし、小さな宿屋よのう
 
宿屋:大きければ、安らぎを得られるなんざ、勘の違いもいいところ
 
旅人:なにゆえ宿屋は、声をかける?
 
宿屋:言葉を紡がずとも、お主がひょっと見た時に、抱き申した感想が答えだ
 
旅人:はて。私の心中が見えると申すか
 
宿屋:宿屋のする事といえば、道行く銭を招き入れ、顔を覚えるのみ。顔の中には、常に心が宿っておる
 
旅人:殿方に捧げるような敬いが、この商売に、必要と聞き入れたことがあるぞ?
 
宿屋:なに、それは儲けの下手な者共のやることゆえ
 
宿屋:顔は覚えるが、銭と思い込まねば、やってはいけぬよ、この商売
 
旅人:学びになる心得とな、肝に銘じておこう
 
宿屋:果てさて、そうとなれば泊まって行け
 
旅人:このような寝床に泊まって行けと? 誠にお主は宿屋か? 「行け」というのは、明日の朝日ではなく、冥界の入口ということなれば、分からぬこともない
 
宿屋:旅人。その口が、万物の創り神の口となれば、誠に疑う思い込み。現(うつつ)の実皮(みがわ)を開けてみれば、ここは寸分違わぬ宿屋で、私が主(あるじ)たるものよ。思い込みが過ぎるのは、お主のほうではないか?
 
旅人:単に違うと申すわけか。しかし、宿屋よ。泊めるにしちゃぁ、あまりに汚くはないかの?
 
宿屋:ううむ。桜の舞う日も、汗の入り乱れる日も、紅い葉っぱが、水の滴りに乗じて流れる日も、白い寒さに溺れてしまうような日も、このご立派な造りが、崩れたことはあるまいが?
 
旅人:危うさの話であるまいことを分かっておるか? はっとこの目に見えるは、埃(ほこり)だ。手入れのしない箒ではいたような……いいや、はくことを忘れたような、じめじめとした埃(ほこり)。またこの……染み込まれた雨水が未だに息をひそめる湿った感触が、なんともいえぬ
 
宿屋:それが、この宿屋。幾年も続く理由よ
 
旅人:生まれてこの方、歩いてこの方、私はすれ違うどの者にも、頷く部分があったというのに。宿屋よ、お主からは一向に感じ取れん
 
宿屋:先に、銭の話で頷いてはおらんかったか?
 
旅人:頷きを見たとあれば、一度、天の恵みが流れる川で、顔のばい菌を洗い流し、私の目をじっと見つめるといい。山がひっくり返るほどの大嘘だとよーく分かる
 
宿屋:それは誠に残念よのう。お主には、新しい夢の先が見れるかもしれぬのに
 
旅人:仮に、お主の宿屋で一夜を過ごしたとしよう。きっと明日には、手が物の怪のように腫れ、獣と肩を並べるほどの牙と、体格を手にするだろう
 
宿屋:寝床には、物の怪はおらぬよ
 
旅人:いいや、おるね
 
宿屋:……ほう
 
旅人:私はいくつもの地を渡り歩いておる。歩いていけば、自然と目にするものや、耳にするものを覚えてしまうのだ。
 
旅人:旅人には「やる事」が無い。ひたすらに、歩くことのみ
 
宿屋:お主は、どこまで歩くつもりだい?
 
旅人:さて、な
 
宿屋:歯切れの悪い返事をしよる
 
旅人:歩いてこの方、そのような問いは、一度も耳にしたことがないものでのう
 
宿屋:それは誠か?
 
旅人:旅に嘘はいらぬ。嘘を持ち歩いてしまっては、死にゆく時に、己を悔やむ
 
宿屋:何故、悔やむか?
 
旅人:己として生きていくには、誠を心の内に、持ちゆる必要がある
 
旅人:それがなければ、旅などできぬ
 
旅人:嘘の旅など、夢の中でしてしまえ
 
宿屋:寝床につけば、嘘も誠になるかもしれぬぞ
 
旅人:その誠は、宿屋よ。お主が身勝手に与えているものであろう
 
旅人:誠とは、己の内にしかないものぞ
 
宿屋:何を言うか。これが誠だ、と言ってしまえば、嘘も誠に成り代わる。私の前を通った客人は、みな、口をそろえて言うておった
 
旅人:それは、お主の銭稼ぎ。もしやすれば、嘘は銭で、誠に変えられるかもしれぬが。銭で出来た誠でしかない。それは、誠ではない。同じことを言うてしまうが、誠とは、己の内からでるものなり
 
宿屋:説法を解く旅人など、死ぬまでにいくつ会えるか
 
旅人:長生きをする物の怪なら、いくつでもあえるだろうて
 
宿屋:おやおや……何を申すやら
 
旅人:言い忘れておった。旅でもしていれば、目と、耳と……そして鼻も、まるで神のように冴えてしまう
 
旅人:最近、物の怪を嗅ぎ分けられるようになってのう。一芸を披露できるかもしれぬ
 
宿屋:なれば大道芸人になればよいだろう
 
旅人:残念。私は、旅が好きでの
 
宿屋:……ふん。お主からはお代はいらぬ。はよう消えい
 
旅人:はっはっは。本質とは、見抜かれた時に現れるもの
 
宿屋:てまえのような輩など、金輪際、会いたくないものだのう
 
旅人:まぁそうかっかするでない
 
旅人:……ただ、今は桜の舞う日。人襲いを忘れ、桜をたしなむことを覚えてみてはどうだ?
 
宿屋:もう散る頃合いだろうに、何を言うとるか
 
旅人:あぁ……はは。今一度、身に感じねばいかぬなぁ。旅も続けば、細かい季節の成り行きを、つい忘れてしまう
 
旅人:……なれば宿屋。緑の葉っぱが生い茂る、この常(つね)を感じればよい
 
宿屋:物の怪に感じられるとよいがな
 
旅人:それに、この寝床のありよう、とても人襲いに向いているとは思えぬ。もしや、飽きているのではないかえ?
 
宿屋:ほう、私の心中が見えると申すか
 
旅人:お主よりは、見える自信はありにあまる。これは……飽きによるものか。いいや、とても襲うような顔つきには、どうにも見えぬ見えぬ
 
宿屋:見えるのではなかったか? 己で言うておきながら
 
旅人:勿論、物の怪とは思えぬ……人襲いの心意気がのう、どうにも感じぬのだ
 
宿屋:……腹をくくらねばならぬ時がある。臆病者と呼ばれる生き様を、終わらせなくてはならん
 
旅人:物の怪同士の見栄など、悠久の時と比べてしまえば、遥かに小さい石っころのようなもの
 
宿屋:……それは
 
旅人:そもそも、人は来ておるのか?
 
宿屋:いいや。旅人……お主が久しぶりの客人だ。次こそはと思い、人に語り掛けておる
 
旅人:それなら、丁度が良いもの。ここで出会ったが運のさが
 
旅人:もしお主が、次に私と会いまみえる時。互いの手をあつく握られるほどの良き友となっていたのなら、今度の桜は共に眺める事ができよう。その時は、この湿った寝床も借りてみようではないか
 
宿屋:……
 
旅人:はは、まるで人間のような、うなり方をするのう
 
宿屋:……お主、名は?
 
旅人:次に会う頃、教えてしんぜよう。気まぐれだがの
 
宿屋:その言葉、忘れるでないぞ
 
旅人:では、さらばだ
 
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宿屋:久しく胃が、かっかする人間と出会ったものだ
 
宿屋:悔しくて藁に飛び込む思いであるが、旅人の申した通り、この商売にも飽きが生まれた頃合い
 
宿屋:お主が再び参る頃には、この緑の囁き……私の余興にしてみせよう
 
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旅人:誠があれば、嘘もある
 
旅人:明があれば、暗もある
 
旅人:しかし、歩き続ければ、太陽と夜は、友のようなもの
 
旅人:さくらが散ろうと、暑い日が過ぎようと、紅い葉っぱが枯れようと、気づけば雪が溶けようと
 
旅人:己の誠を持ちながら、歩いていきたいものだのう
 
 
 
 
 
 

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