“こうあらねば”と思っていたのは、母じゃなく自分だった
今日は、母と久しぶりにゆっくり話せました。
コーヒーを淹れて、甘いものを食べながら、なんとなく話していて。
そこから、私が今どんな状況なのかという話になりました。
正直なところ、自分の現状を親に説明するのが難しく(厳密には抵抗があり)、ずっとはぐらかしていました。
それはなぜかといえば、わかりやすく「これをして稼いでいます」と言える状態じゃないから。
今は『深い雑談』という人と話すサービスや写真撮影を受け付けていたり、noteで考えていることを毎日書いたり、『思考メディア』でリール動画を投稿したり、stand.fmでおしゃべりしたり、講演会に音響スタッフとして呼んでもらったり、イベントにカメラマンとして呼んでもらったり、新しく出会った人と仲良くなったり…
書き出してみるといろいろあるけれど、まだ安定して収入を得られているわけでは全然ありません。
待っているだけじゃなく、自分から売り込んでいかなきゃなぁ…と思いつつ、それがなかなか難しくて…
(そんな中でも『深い雑談』に申し込んでくださる方が少しずつ増えてきて、めちゃめちゃ嬉しいです…!!ありがとうございます!!)
軽く今の状況を聞かれ、なんて答えようか迷いました。
おそらく一部分だけ切り取ってなんとなく答えたとしても、そこまで踏み込んで追究してくることはないだろうなと感じていたので、適当に答えて終わらせることも可能でした。
でも今日はなんとなく、話した方がいいような、話せるような気がしたので、思い切って話してみました。
結果として、現状に対して否定的なリアクションをされることはなかったし、母としても現状を知れて安心しているようでした。
なんで話しにくかったのかなと考えると、「理解されないだろう」という気持ちがあることが見えてきました。
わかりやすい型にはまっていないから、わかってもらえないのではないか、今やっていることを否定されるのではないか。
でも話してみると、母は案外理解を示してくれたというか、否定せず、私がやっていることを尊重してくれているようでした。
“こうでなければいけない”という枠にはまっていたのは、私の方だったんだなと思い知りました。
働けなくなったときも、“もう学生じゃないんだから、経済的に自立しなければならない、頼ってはならない”と思い込んでいたけれど、親としてはそれ限りではないというか、子どものためにできることがあるならしたいと思う場合もあることを知りました。
母は私に、「お金のサポートくらいしかできないからさせて」と言いました。
それはそれで「精神的なサポートは諦めてるのか…」とショックな気持ちもありつつ、「まあどうすればいいかわからないよね」と共感できる部分もあったし、金銭的な援助はとにかくありがたいから、心からの感謝と、自分のイキイキとした姿を一日も早く見せることに集中して割り切ることにしました。
私が本当の意味で休めるようになったのは、親に頼れるようになってからだったなぁ…
「夢中になれるものがあるんだね」
母が安心した顔で言っていたのを思い返して、泣きそうになっています。
これまであっちこっち動き回っていた娘が3年も大人しく家にいたんだから、きっと心配だったんだろうな…
親に対して思うところもそりゃあるけれど、私はまだ親になったことがないから、計り知れない苦労や苦悩を抱えながらここまで育て、今も支えてくれていることには感謝してもしきれないなぁと思います。
家族にわかってもらう、応援してもらうって難しいけれど、味方になってもらえたらとても心強い存在だから、家族間のコミュニケーションはこれからも考えていきたいテーマです。
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