最近見た映画の雑感(総まとめ)
小説を投稿するにおいて、どうしても次の展開が切り出せなくなってしまった際に必ず足を運ぶのが映画館だ。そこで、気になる作品を見て今後のストーリーを構成する上において参考にしたりする。
勿論映画どろぼうはしていないから安心してほしい(笑)個人的に映画のストーリーのコマ回しを見た上で自分ならこういう展開で構築するなといった感じで自分の頭の中で印象に残ったシーンを追憶しながら、実際に非常に参考になったと思う場面において完全コピーではなく自分なりのストーリー展開を描いてストーリーを仕上げていく。
怪談においても同じことが言える。
起承転結がしっかりしなければ、というのは論文の重要なポイントだが、読み手が存在する小説や怪談においては要所要所のポイントが肝心でありポイントをいかに強調することが出来るかがキーである。
だからこそ、怖い本を読む、心霊スポットに行く、映画館で映画を見ることはわたしにとっては必要不可欠なものとなった。
そこで、最近に見た映画を個人的な雑感を交えながら話をしたいと思う。
まずは、シネ・リーブル梅田で見た三作品から。
※上映が終了している作品も含む
軽蔑というタイトルが示すように、夫婦関係のちょっとした心のすれ違いが大きな溝となりその結果破綻してしまうカップルの様子を描いている。中でも印象的だったのが、脚本家で夫のポールが秘書のフランチェスカとの不倫関係を疑う女優で妻のカミーユにも大きな秘密があるようで…?最終的にはカミーユも映画オデュッセイアのプロデューサーのプロコシュと不倫関係になり、もはや二人の仲直りは完全に不可能となってしまったところでカミーユがポールに離縁を突き付けプロコシュと過ごす新しい生活が始まったところで不慮の事故に遭い旅立つ。
これが皮肉にも男のエゴイズムを感じさせるのだ。俺と一緒に過ごすことを選んでいたらこんな末路にはなっていなかった、と言わんばかりのエンドの展開は撮影当時は男性社会でまだまだ女性の立場が男女平等とは言えぬ時代において、60年前の男社会を物語る貴重な資料である。今ならば間違いなくこんな作品を作れば叩かれるのは間違いないだろう。
はじめて聞いた"教唆罪"という罪があるのか。
因みに映画の題材になったアルド・ブライバンディ氏は実在でブライバンディ氏が劇作家として、また同時に蟻の生態学者でもあったため、大学で教鞭をとりながら、劇作家としても活躍されていたわけだが、エットレという青年と知り合い、次第に二人はお互いの価値観に惹かれ合うようになり最終的には二人でローマでの生活が始まるのだが、二人の関係を良しと思わぬエットレの両親により二人は引き裂かれ、エットレは同性愛を治療するための施設へ強制的に入れられ、電気ショックでの治療が始まったと同時にブライバンディは訴えがキッカケで逮捕されてしまう事態になる。
同性愛が今とは違い社会的に認知されず、またカミングアウトがしたくても出来なかった世の中だから劇中のエットレが悪人がいないのに罪として成立しているのはおかしいと話した際のブライバンディが自分の嗜好が世の中に認めては貰えない諦めを見せながらもエットレのセリフで励まされ、お互いに愛し合っているからこそ同性同士であれど認知して欲しいという事をこの映画では強く物語っている。
ガリシア州にあるサントアージャという小さな集落で起きた事件が題材だが、実話ベースではなく、フィクションの要素が多数あるため、サントアージャ事件はあくまでも"事件があった事をテーマにオリジナルで展開してみた"だけに過ぎないと思う。
理想郷を求め、フランス人夫妻が移住した地はスペインのガリシア州にある片田舎に農業を営みながら悠々自適な生活を過ごすのだが、近隣の住民とのほんの些細なトラブルが解決できない事態にまで陥り執拗なまでの嫌がらせへと発展するのだが、証拠が必要だと警察からのアドバイスを受け隠しカメラで撮影するようになるのだが、これがまた嫌がらせがエスカレートしてしまう要因になり、最終的には殺されてしまうのだが、スペインの内陸地で外部との接触が無い地域ほど住民は内向的で保守派が多い傾向にある。古くから住む、理想郷の場合なら嫌がらせをした兄弟側だが、その地域ならではの風習や尊重しなければいけないことに理解を示さないと、外様のくせに何様?という事態になりやすく、移住した地域に対し我の主張をするだけでなく、地域がいかに発展していくにはどうすべきかを考える柔軟性やリスペクトがないといけないだろう。
次はアップリンク京都で鑑賞した三作品。
まず、画像にあるJFKの暗殺を題材にしたドキュメンタリー映画のJFK/新証言 知られざる陰謀だがJFKはケネディ大統領の暗殺についての疑問を問いかける内容だが、映画を見るまではそもそもケネディ大統領について詳細は余り知らず、スティーブン・キング原作の小説11/22/63ではじめて事件の概要を知った程度のレベルでしかなかったが、映画を通じ改めてケネディ大統領の人となりや暗殺事件における謎の部分について触れる事ができた。
なるほど、これはリー・オズワルドによる単独犯とされ、また後にオズワルドが護送中に銃撃に遭い亡くなってしまうのは要済みだからいらないとも解釈が出来るわけで、テロを起こしかねない危険人物のリストから外れた辺りからも、やはり外部に何かしらの大きな組織からの依頼じゃなければこの犯罪は成立しないし、そもそも単独では死には至らなかった可能性のほうが極めて高いと考えられる。
目を見つめることにより人を操る超能力を持つモナリザによる施設からの逃避行を描く。
ところで何故彼女は戸籍もなければ韓国籍だと分かり何故精神病院に12年以上も収容されているのかがさっぱり分からないところだが、いやそもそも施設に入っている時点で戸籍がないのは怪しいし何で入所したか分からないって、じゃあ結局彼女は何が問題なのか、モナリザの才能を恐れた人達による精神病院への隔離とでも言うのだろうか。
そのあたりがしっくり来なかった。最終的には行く宛もない状態に陥るがエンドでは精神病院がある場所から飛行機に搭乗し逃避行に成功するわけだがモナリザの最終目的は施設から出ることであってその後の最終目標は何だったのか、単純に外の世界を知りたかっただけなのだろうか。モナリザの才能を見抜き犯罪に悪用したボニー・ベルは良き理解者だったのか、ファズの下心も、モナリザからしたら悪用された他無いのだが、無垢なモナリザは親切心から引き受け良いように利用されてしまうシーンは、モナリザが外の世界でしたかったことなのか、いや違うだろうと思いたいところだ。
因みにR-18指定作品でもある。
桐岡祥子を巡る二人の男のほろ苦い恋物語だが、多分女性としての視点で見てしまうと、最低じゃねぇかに尽きるのだが、この作品の良さはピンク(=エロ系)に生きながらいかに良作を生み出すためにはと思い描く二人の男としての苦悩を描く。映画監督の栩谷は大家からの依頼で家から出ていくようにと説得をするために井関の部屋へとやって来て、やがて二人は同じ業界にいることを知り仲良くなっていくに連れやがて二人が以前付き合っていた印象に残る女性が同じ女性であることに気づき始める。
最初は同一人物とは知らずにお互い話すのだが話していくに連れ共通項があることを知りやがて名前はという流れになり、結果同一人物だったという事がわかるのだが、最大の謎は何故桐岡祥子は桑山と心中してしまったのか。女優としていちひとりの女性として生きるのが辛くなったのか、そこに栩谷に対する最終通知という意味があるのだとしたら、彼女は愛する人に愛され家庭を持ち幸せな人生を歩みたかったからこその逃避行にも思える。
栩谷や井関は桐岡のことを自分なりの愛情表現だったかもしれないが、幸せになることを女性として望む彼女にとって、彼らの存在は我が身をボロボロにするだけでなく、幸せからも遠のいてしまうことに絶望し、彼女は彼女なりの栩谷に対する最期の別れだったのだとしたら通夜に入れさせては貰えない理由も自ずと分かってくる。
最後に。
シネ・リーブル梅田で上映中に販売されていたのだがこの抹茶ミルクが最高に美味しい!抹茶とスパイスの味わいが今までに飲んだことがない抹茶ミルクで非常に独特な味わいが印象的だった。
当に映画の内容ともリンクする卯木の花をイメージしたほろ苦さが二人の恋模様を描いていると言っても過言ではないレベルで京都のアップリンク京都には販売されていなかったのが残念だった…。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?