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映画軽蔑60周年4Kレストア版 雑感

内容は…うーんわかんない(゜o゜;

でも気になるし見ようっと思い観てみた( ゚∀゚ )

という感じで気になるなら迷わず観たいという思いで鑑賞を決めたのだが内容はよくわかっていなかった。調べてみたら1963年にはじめて上映(日本初上映は1964年)と実は60年前の映画だった(⁠☉⁠。⁠☉⁠)⁠!

2017年9月にはデジタルリマスター版が公開され後に2023年11月に上映されて60年を記念した4Kレストア版として新たに公開された名作だった。

そこでわたしなりに感じた映画軽蔑の雑感や魅力について改めて話をしようと思った。

あらすじ

60年前の映画とは思えない程映像がキレイ(⁠゜⁠o⁠゜⁠;

個人的には最初の映画オデュッセイアがどんな感じで仕上がっているかをソファでゆったり寛ぎながら厳しくチェックしているシーンにおいて、海がめちゃくちゃキレイで透き通っている場所、ダムでも言うが(笑)個人的にはラグーン✧⁠◝⁠(⁠⁰⁠▿⁠⁰⁠)⁠◜⁠✧

いやラグーンという名称じゃないと思うが。

余談はさておき、映画の話へ。

シネ・リーブル梅田にて撮影

最初のシーンは、映画ってこんなセットでキャストが動くシーンが撮影されているのかあと思いきや、撮影終了後の脚本家のポールが秘書のフランチェスカとベッドで愛を交わした後、ポールは先に起床したフランチェスカからわたしのくるぶしは?膝は?顔は?胸は?とどの部分が好きなのかと聞かれ答えている様子を見たとき、ポールとフランチェスカの愛に軽蔑が生じたのかなと想像しながら見ていた。

内容がよくわかっていなかったからこそ後々の展開が理解出来たのかもしれない。

わたしの中ではフランチェスカとポールとの間に亀裂が生じたものだと思っていたから、本人役で出演したラング監督(映画オデュッセイアの監督として出演)との映画オデュッセイアを鑑賞し終え、出来に納得が行かず憤りを露わにしたプロデューサーのプロコシュが撮影のやり直しを決めるのだが、そこで暴れたことに対し反省の意もあったのかプロコシュの別荘へ行き食事のお誘いを受けるシーンで初めて妻で女優のカミーユが登場する。つまりポールは妻がいながら愛人がいたことになる。

拡大して撮影

プロコシュの車でポール、カミーユ、フランチェスカの4人で乗るつもりだったが後部座席が狭いためにポールとフランチェスカが別手段でプロコシュの別荘へ向かうことになり、カミーユはプロコシュの別荘で30分も夫の到着を待つことになる。

待ちに待った夫の到着を心待ちにしていたカミーユはポールが近づくやいなや遅すぎると一喝したあと居心地が悪いのか苛立ちを隠せられないまま、プロコシュの別荘での時間を過ごした後ディナーの誘いを断り、ポールと家に帰ることにする。

実は、カミーユはポールとフランチェスカとの関係を知っており、愛があるから浮気は許さないという態度を見せながらも、果たしてカミーユはポールの仲直りがしたいという男の理不尽な我儘に対し付き合いながらもどこか上の空で本心は何処か別の場所にあるような気がして、女性なら勘付くと思うがカミーユも何か隠しているなと推察できた。

案の定、カミーユもプロコシュと不倫していることが後々の展開で分かっていくのだが、ポールはプロコシュと近付けさせるようにしたのは自分の指示だから自分が出した指示で二人が良い関係になってしまったことに戸惑いと決してプロコシュと仲良くさせたい意図があったわけではないと説得し何としてでもカミーユをプロコシュから離したかったが、カミーユの気持ちは変わることはなく、ポールとカミーユの夫婦関係は終焉を迎えた。

軽蔑のパンフレットとWARASHI

前述したことだが、ポールとカミーユの関係はそもそもプロコシュの別荘に向かうまでにポールがカミーユに対し車で連れて行ってもらえと言われる以前から、果たしてカミーユにポールへの愛はあったのか、うわべだけの関係ではなかったのだろうか。言われたことに対しあなたの妻ですからとイエスマンになり従う辺りからもやはりカミーユはプロコシュと繋がりがあり、一緒に別荘に行くことも知っていて現れたのならば、ポールとフランチェスカの不倫だけでなく、カミーユとプロコシュも不倫していたので、結論お互い不倫をしているので、夫婦関係は破綻していた。別れるのは目に見える結果だった。

タイトルの軽蔑とは、冷え切ってどうにもこうにも修復ができないポールとカミーユの夫婦関係に対しても、劇作家志望だったポールがカミーユとの生活を考え映画オデュッセイアの脚本の修正を引き受けざるを得なくなった事を発端にポール自身が変わってしまったことに対する軽蔑とも、色々な意味で捉えることが出来る。

最後のシーンは、カミーユがプロコシュとの新しいスタートを切りローマに戻ってから、二人でガソリンスタンドで車を給油させた後に車を発進させたのだが、その際に映像が暗転し衝突音が響き渡ると車はタンクローリーの連結部分に衝突し二人は死んでしまった。オデュッセイアの脚本家として専任されたからにはやるべきことをやりローマに戻るつもりだったポールは別れた妻カミーユの死を撮影地の島で知ったところでエンディング。

つまり、こういう解釈だろうか。

俺を裏切った罰があたった。

男が考える男の報復とはこういうものか。

俺と一緒にいる選択をしていたら死なずに済んだ。

何だか、そう考えると時代背景すら考えてしまう。今は男女平等を謳う世の中になりつつあるが上映当時の60年代は亭主関白が当たり前で妻はそんな夫を陰ながら支えるというのが普通だった。だから、カミーユがポールとのやり取りの際にあなたの言う通りに従うと話した辺りからも、今ではすっかり立場は逆転し妻が夫を牛耳るようになりかかあ天下やら恐妻家というワードが誕生した。昔が男性優位で女性の立場が低く見られていたのは負の歴史であり、最近の映画傾向も女性が活躍する、或いは主導権を握っていくなど、男性優位では決して無い、女性にも男性に負けぬ強さがあると訴える内容が増えつつあるからこそ、改めて上映当時の時代背景を知ることが出来る作品がもう一度映画館で見れることに対し色々な考えを膨らませながら鑑賞出来た。

上映館は少ないが、軽蔑がさす意味とはこういうことか、想像を膨らませながら観て頂きたい。


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