Amadeus

三十路過ぎ、自由に生きたい、自分で決めたい女です。 『行動的』、『エネルギッシュ』、…

Amadeus

三十路過ぎ、自由に生きたい、自分で決めたい女です。 『行動的』、『エネルギッシュ』、『多趣味』、『いつも何か訳のわからないことで悩んでる』と言われる女の日々思うことを多々書いていこうと思います。 世の中の流れに迎合するようなことは書けない気質なのをご理解ください。

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自己紹介

生まれてこの方、中部にいます。 物心ついたときから女の友達とかぐちゃぐちゃしてたのめんどくさくて、昼御飯を一緒に取りに行く事に嫌気が差して 私一人でこれからごはん食べるわ と宣言してた人でした。不良ではないけど不良からも舐められずに済んでましたね。目付きと体格と雰囲気のお陰なのかな? 中学生の音楽の授業で歌舞伎にドハマりして、 演劇界(歌舞伎専門誌)、家庭画報、婦人画報、和樂が愛読書なティーンでした。 SNSやネットが今まで普及していない時代に、使えるものは使いま

    • 街を自転車で走ってたとき、頭のなかで『♪おとぎ話の王女でも 昔はとても食べられない アイスクリーム~』という幼稚園で習った歌が駆けめぐった。 あの頃は、まだ、しあわせだったんだな。笑って歌ってたな、緑の煌めきを駆け抜けつつ切なくなった。

      • しあわせ

        物心着いたときから、全うに働いて二十歳で家を出よう、貯金もしようと思って生きていた。 小学生の時、笑った自分の顔が本当に不細工で、笑うことを自発的に閉じ込めた。 それと相まって大人びた性格や発言で、人を寄せ付けない私のキャラクターが出来上がっていた。 『普通』の道徳観や倫理観を自分で試行錯誤、組み立ててトライアンドエラー、 それは本当の『普通』の繭に包まれた人からは奇妙に写ったと思う。 若いし、勢いもパワーも今より格段にあったから。 19になる18から働いて、好

        • カリスマ

          私は歩きスマホをしている人種が苦手だ。 先のことを予測できない知能しかないんだと思うから。 でもそうでしょ。 歩くということは自分も動いていて、対向や左右どこから何が起きるか分からないわけです。  そんなときに狭い一点しか見ておらず、かつ自分のことしか考えてない。 『この人は仕事もできないんだろうな。』と思ってしまう。 電車の止まっている空間で見続けることと訳が違うという想像力もないわけですね。 しかしそのように意識するとまぁなんともその手の人の多いこと。 若い

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        自己紹介

        • 街を自転車で走ってたとき、頭のなかで『♪おとぎ話の王女でも 昔はとても食べられない アイスクリーム~』という幼稚園で習った歌が駆けめぐった。 あの頃は、まだ、しあわせだったんだな。笑って歌ってたな、緑の煌めきを駆け抜けつつ切なくなった。

        • しあわせ

        • カリスマ

          生きる!という五感をフルに使えるのは無職ならではなので、その点は毎日ストレスフリー。ただ、食べるだけのお金を稼ぐことと無所属の身ということへの後ろめたさが台頭する。 しかし面接は未知の人との出会いをもたらしてくれる可能性可能性があるので楽しいよね。勤めるか否かは置いておいて。

          生きる!という五感をフルに使えるのは無職ならではなので、その点は毎日ストレスフリー。ただ、食べるだけのお金を稼ぐことと無所属の身ということへの後ろめたさが台頭する。 しかし面接は未知の人との出会いをもたらしてくれる可能性可能性があるので楽しいよね。勤めるか否かは置いておいて。

          希望

          本当に疲れはてている。 また二年を目前に、耐えていた仕事場を離れた。 今回は体力的に無理だと離職したので、過去とはまた別だと自分では思っているが、まぁうまく生きられないでいる。 しかしどう考えてもそれは致し方ない。 与えられるべき正当な愛を受けとれず、人の機嫌を伺って生きてきた身の上の辛さは、当事者でなければ分からないであろう。 そんなこと想像したこともないし、する気も更々ない共感性もゼロな人らと話せば離すほどこちらがゴミ箱になったように錯覚する。 ただし一人だけ

          黄色い家

          活字や言葉、それらの持つ力は侮れないと常々思っている。 鼓舞する事もできるし、一生消えない傷を作ることもできる。 文字を書き、表現することがたくさんのツールの発達により容易になった。 それに平行して、胸に響く文芸に出会うことが減ったと最近は感じることが多くなった。 それにはもちろん、自身の加齢とともに新鮮味を失った感性によるとこも否めないとは思っているのだけど…。 しかし、『黄色い家』は、物凄い。 拙い言葉でしかないのが悔やまれるが、全方位に向けて素晴らしいと感じ

          黄色い家

          伝説といっても

          先日、亡くなられた猿翁さんの追悼テレビ番組を見た。 舞台では一度、三国志を拝見しただけであったが、圧倒的な舞台の使い方、美意識の高さに始終胸がときめいたのを今でも覚えている。 しかし、そこへたどり着くまで、彼の苦悩と鍛練、推考、後世の育成と、凝縮した人生を垣間見られた気がした。 23歳で祖父、父と後ろ楯を亡くしたが、他の家に入ることもなく、厳しい道をあえて自分に科された。 歌舞伎とはどういうものなのかを深く深く探求され、歌舞伎以外の芸術にも多く造詣があった方。 お話し

          伝説といっても

          もう11月

          春にも、ショートケーキを食べた。 その時は人生で何度目かの奈落の底の真っ只中だった。 美味しいけど、美味しくなくてそれよりも罪悪感が勝っていた。 私は何をする時にも一瞬罪悪感を感じて生きているように思う。 自分だけがこんな思いをしていいのかと。 秋のショートケーキは、春よりは幾分か美味しく感じられはしたが、やはり臭いものに蓋をしているだけの自分に嫌気がさしてしまった。 日々生きていて、自分が感じている様々な感情を一切感じずに生きている人がいることを思うととてつもな

          もう11月

          さよなら私の悔恨の日々

          愛車を手放した。 自転車だけどね。 いろんな思い出があって(良くも悪くも)、それを取っ払ってしまうのはすごく複雑な一台だった。 記憶は定かではないけど、20才過ぎに頂いたものだと思う。 同じ職場で勤めてた方が処分するからと。 何度もパンクして、何度も大正生まれのおじいちゃんに『この自転車はフレームが日本製だからいいやつだぞ。』 と誉めてもらった。 まだ乗れるのに、捨てるのは勿体無いかなと後ろ髪を引かれた一番の要因はそのおじいちゃんの一言だった。 そして気づけば

          さよなら私の悔恨の日々

          些細なこと

          手紙を書く能力が、数段落ちている。 短い文ばかり書くことに慣れすぎていることと、手で文字を書き記すことが圧倒的に減ったことが要因だと思う。 最近は、本当にありがたいなと自分の居る環境に日々感謝することが多い。 おおよそは取り巻く人々に大変恵まれていると思う。 カウンセリングという、自分の思いをそのまま伝えられる場所を得て、専門家からの客観的な見解を聞くことができることになったことも大きな要因であると思う。 しかし、日々過ごす仕事場の同僚の朗さか、悪意のなさに救われ、

          些細なこと

          喉元過ぎれば熱さを忘れるで、私が困っても誰も助けてくれはしない

          喉元過ぎれば熱さを忘れるで、私が困っても誰も助けてくれはしない

          無情

          人は弱い。 だから一人じゃ生きていけない。人と支え合うために、お互いが話し合って見える景色を共有しようとと努力する。 そして、個人の努力が集まって、皆が同じ方向を向いて一丸となって目的に進むことが出きる。 その基盤が『家族』だ。 チームリーダーである両親、同居していれば祖父母が様々なことを教えてくれる。 そのリーダーが不在だったら? 幼き子供は道しるべを見つけられずに、何時でも暗闇を手探りで歩く、険しい道を歩まねばならない。 そのほの暗さに馴れて育った人は、そのそこ

          初心忘るべからず

          歌舞伎を観て、色んな感情が沸き起こったので、少し書いてみます。 最近はここ数年で一番、公私ともにストレスが少ない状態とも言えます。 1ヶ月に一度カウンセリングに行きはじめたのが昨年の秋で、そこから落ち込むことがあっても奈落の底まで墜落することはなくなりました。 仕事場の人々も個性溢れる面々ですが、根底には優しさがある方ばかりなので、古きよき時代の日本が存在しているようなところです。 仕事のストレスが無ければ、必然的に殆どのストレスが取り除かれるのでとても穏やかに過ご

          初心忘るべからず

          夢の終わり

          どんどんと、壁が厚くなり、溝が深まる気がしている。 自分の過ごしてきたことがずっと変わらずにあると思い続け、変化したことや、今の現状が分からない高齢の人が多い。 戦後からバブルの間、日本人はそれはそれはとても頑張った。 持ち前の手先の器用さと勤勉さで、地道にコツコツと鍛練し、技術を磨いた。 そして景気は回復し、頑張れば頑張っただけのお金を評価として得られていた。 だからカプセルホテルに駆け込むサラリーマンも、多かったそうだ。 夢が夢だと散り果てて、30年あ

          夢の終わり

          回帰

          大根を煮て、高野豆腐を戻し、鍋で味噌を溶く。 私にとっての日常が、ようやく戻って来たような心持ちになっている。 思えば、今の職場に勤めてようやく一年が経とうとしている。けれど、昨年の記憶は殆ど無い。 それほどまでに仕事のストレスがなく、日々が淡々と過ぎているのだと改めて感じた。 思い返せば、18から仕事に就き、『常に満足するな』という環境下でずっと焦燥感があるものだと思って過ごしてきた。 それからは転々と居場所を探しては変え、足場が定まらない不安で胸がいっぱいだった