映画『タレンタイム』は、5月31日まで

仮設の映画館で「タレンタイム~優しい歌」を観た。

51歳という若さで早逝されたヤスミン・アフマド監督の遺作となった作品。

亡くなった(2009/7/25)ことを知ったのは、三男を産んだ(2009/7/27)直後だった。もう10年になるんだ。。。

いくつもヤスミン・アフマド監督の作品は観ていて、そして以前から『タレンタイム』は観たいと思っていたけれど、なかなか観ることができないでいた。それがこの機会に、おうちで観れるとは。

民族、宗教、多様性、言語、文化、そういったものに、一つでも気になるものがある方にはぜひ観ていただきたいな。恋人・親子・姉妹・友達・・・人間模様もだ。

DVD化されていないもので、上記の「仮設の映画館」で5月31日まで観られます。

ここからは個人的な話。

20代のときにマレーシアで日本語教師をしていた。

サラワク州クチンというボルネオ島サラワク州の州都で、大学や日本語学校、企業それから観光協会でも教えていた。

マレーシア全体及びクアラルンプールは、マレー系(約69%)、中国系(約23%)、インド系(約7%)の人口比だけれど、私のいたサラワク州はマレー系がぐっと減り(25%くらい)、中国系やインド系は変わらず、そしてイバン族、ビダユ族等の複数の先住民族が住んでいる。

マレー系は学校や就職で優遇されていて(しこりもその分ある)政府関係の仕事はマレー系が圧倒的に多かった。中国系はビジネスを司っており、インド系は屋台や飲食店などに就いている人が多かった。

主に授業をしていた大学も、クチンの町の人口比と等しく多民族だった。先住民は比率より少なかったけれど、それでもイバン族やビダユ族の学生たちもいた。

街中でも大学の中でも、言葉はチャンプルーチャンプルで、マレー語の中に英語(マレーシアンイングリッシュ)が入っていて英語の中にマレー語が入っている、そんな感じだ。あれちょっとわからない言葉だなと思うと、広東語だったりタミル語が入ってくる、そんな感じだ。

前半部分はひたすら懐かしいなあと思いながら観ていた。

舞台となっている街より私が住んでいたのは随分田舎で、車は少ないけれど、お店の感じ、人の感じ、言葉、何もかもがまんまマレーシアで、多民族・多様性そのままの感じで、映画はスタートしていく。でも、話はそう単純ではなくて、宗教や生活習慣の違いでのいざこざ、分離、は根強い。民族の違いによる住む場所の違い、家の規模の違い。

映画を観たあとも、いろんな出来事を思い出して嬉しくなったり悲しくなったりした。劇中出てきていた「お祈りばっかりして」というのも、よく聞かれた言葉だ。

でも、それらたくさんの壁を越えていくのがまたヤスミン・アフマド監督の世界だ。

マレーシアという国にも人にも個人的に思い入れが強すぎて、映画の良さをあまり表現できそうにない。でも感想などを見に行ったら、マレーシアの多民族国家についてそれほど知らなかったという方でも、とても心に響いたという方は大勢いた。ヤスミン・アフマド監督の持つものだ。ヤスミン・アフマド監督が亡くなった51歳という年齢に私もあっという間に近づいてきている。自分はどんなものが残せるかな。何か遺せるかな。。。

雨の降る中で、観ていた。マレーシアのスコールとはだいぶ異なる、日本の雨。心の中の優しい部分にとどまって、いろんなものを超越して、強く優しく生きたいなと思った。

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