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自分語りしたっていいんじゃない?【好き自語⓪】

以前、「東京事変へのスキを語りたい」というマガジン記事を書きました。その名の通りの内容で、私の大好きなバンド・東京事変の好きなところを自由に語るというものです。

このシリーズを書くなかで、「自分の好きなものを思いっきり語るって楽しんだな~」と思いました。
そこで東京事変以外にも、自分の好きなアニメ、マンガ、音楽などのトピックで、気ままに自分語りするマガジンを始めてみようと思います。


しかし、「隙自語乙」なんてネットスラングもあるように、
「自分語り」と呼ばれる行為は嫌われる傾向にあるらしい…。


というわけで、今回はシリーズのまえがきとして、「自分語り」に関して思うところを書いてみます。


自分語りとは

自分自身に関連する私的な物事について、会話の中やブログ、SNS上などで詳細に語ること、あるいはそのさまを意味する俗語。
「自分語り」の語は、その「語り」の内容にさほど興味がなく、鬱陶しいという感情を抱いている聞き手によって、否定的に用いられることが多い。

https://www.weblio.jp/content/%E8%87%AA%E5%88%86%E8%AA%9E%E3%82%8A

―だそうです。
そして、その否定的な感情を持った聞き手が「隙自語乙(=隙あらば自分語りお疲れ)」と返すのだそう(ことネットにおいて)。


自分のことを話すのはいけないこと?

自分語りが叩かれるこの風潮には、疑問というかちょっと悲しい気持ちすら抱きます。

たしかに、「興味のない話、ときに自慢も含む話を聞かされるのが不快」というのは分かる。分かるけど不快ならスルーすればいいんじゃない?と思ってしまう。
ネット上ならなおのこと。どうせ顔も分からない相手だろうし、対面よりもスルーは簡単だと思うのです。

それはそれとして。私にはもっと懸念していることがあります。
それは、「自分の話をすることは良くない・醜い」みたいな慣習が独り歩きしてしまうこと。

そもそも隙自語が嫌われる理由は、自分語りをしているからではなく、文脈とタイミングを無視した話を差し挿んでしまうからだと思います。
この”文脈のちぐはぐさ”に対する不快感が、いけしゃあしゃあと語るさまと重なった結果、生まれたのが「隙自語乙」ではないでしょうか。

要するに、自分について語ること自体は必ずしも悪いことではないでしょう?と言いたいのです。(すべての自分語りがNGなら、noteはおしまいだ…笑)
なのに「隙自語乙」が広まると、私たちの心の中には「自分のことを話すと叩かれる…」という認識が先行しかねない。ネットスラング特有?の陰湿さや冷たさが拍車をかけているような感じもします。

そこで生まれたのが「(隙自語)」という自嘲表現だと思いますが、本当はそんな予防線張らず、もっと気楽に自分の話ができる世界であってほしいです。

だって実際、noteの世界で出会う、見知らぬクリエイターさんたちの、ときにプライベートな体験を含んだエッセイってすごく魅力的じゃないですか?
「そんなことも教えてくれるんですか…⁈」みたいな気持ちになるし、一人のリアルな人生が垣間見えるというのが、こういうエッセイの醍醐味だと思うのです。

日常のちょっとした一幕を切り取った記事や、旅の思い出記事とかもいいですね。

ほかにも、純粋に「〇〇が好きなんです!」という記事はおもしろい。突き抜けた愛情や熱量は、読んでいて気持ちがいいです。
文章が上手な人だと、知らない分野や作品についての記事だったとしても、シンプルにおもしろいです。

つまり、(自己開示の程度はご自身でコントロールしてもらうとして、)パーソナルな話にはある種の芸術的な価値があるのではないかということです。


「隙自語」あらため「好き自語」

そういうわけで、私も自分の好きなものを自由に語っていこうと思います。
みんなが好きを楽しく語り合える世界を願って。


マガジン名はズバリー、

「好きあらば自分語り!」


どうぞよろしくお願いします。

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