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”こども”であれる世界

時たま子どもっぽくなる人を見かける。
いつもは”普通”に振舞っているのに、疲れた時、何か考えている時、あ、今羽目を外していいんだって。
そう思った時に、すごく子どもっぽくなる人。

僕も、そんな子どもっぽくなっている人がいると「あ、今子どもっぽくなっていいんだ」ってなってどこか共鳴して子どもっぽく振舞ったりする。

彼ら彼女らに共通するなぁって思うのは、どこかでそんな自分の中にある子どもの部分を押さえ込んでいるということ。

本当は、そんな子どもの部分も含めて自分のはずなのに、どこかで切り分けてしまう。

社会のいろんなことに敏感で、そんな様々なルールや常識に気を使いすぎてしまう。日常の中で息苦しさを覚えている人たち。

けど、本当に純粋で、心が優しくて、その人の素の部分に触れられたのならばどこか落ち着くような、そんな人たち。


僕の中にもいろんな”子ども”が心の中に住んでいる。
例えば、すごいはっちゃけたユーチューバーみたいな子ども、マッドで厨二病な子ども、お姉ちゃんにいたづらして怒られているあざとかわいい子ども。

いたづら心があって、ちょっとおちゃめで、寂しがり屋で。

いろんな子どもがいるんだけど、やっぱり大人になってしまった僕にとって、そんな子どもたちを出すことはどこか”おかしな”ことじゃないかなって思ってしまってなかなか出すことができないことがほとんど。

でも、そんな子どもを出すことができる瞬間があったりする。

例えば、ボードゲームをしている時。
夢中になっているその瞬間は、正しさや「あるべき」ものから解放されている、ような気がする。純粋にカードをめくり、人と話し、笑いあっている。そこには、混じり気のない、子どもとしての自分がそこにはいる。


例えば、TRPGやマーダーミステリーをみんなでしている時。
キャラクターを演じているその時、解放されるものがあると思っている。

普段、自分の中にまとまりがなくてどこかで押さえ込んでいるエネルギーが、キャラクターを纏うことによって渾然一体となってエネルギーが純粋に解き放たれていく。そのエネルギー同士が重なり合っていく。

あぁ、今最高に自分が自分でいることができているって。

どこか、世の中でタブーとされているような、どこか変だから”直さなきゃいけない”とされているような感性をその場所で表現している瞬間が最高に楽しい。

きっとたくさんの人がそんな童心に帰ることができる瞬間を求めている。

好きなものに好きだぁって言えること。

仲良くなりたい人にあそぼぉって言えること。

疲れたら疲れたぁってぐでぇんってできること。

自分の中にある感情や欲求に何の縛りもなく完全に解放できること。

そしてそんな無防備な自分として他者とともに表現しあえること。

それを楽しみあえること。

完全なるエゴ、完全なる自己中、でもそんな独りよがりな感情を分かち合い、一緒にいることができるならってそんな子どもであれる世界を僕は願っている。


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