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運動嫌いのブルース

きっかけはある動画だった。
ほんの出来心だった。
むしゃくしゃしてやった、と続けたいところだが、別にむしゃくしゃはしていなかった。

ここ数年、週に1度パーソナルトレーニングに通っている。友人に誘われた低山登山があまりにも苦しくて(そして友人に遊んでもらいたくて)、筋力をつけようと筋トレを、持久力を付けようとランニング始めた。だが、私は実は運動が苦手なのである。トレーニング初期は「ジムは医者、ジムは仕事」とブツブツと自己暗示をかけてサボらないようにするのが一苦労だった。

そうは言っても続ければ体力は付くもの。山もよいペースで登れるようになった。しかし登山が楽しくなって中級に挑もうとしていた矢先、脚に違和感が生じた。生まれつきの関節の構造のために、趣味になりかけていた登山とランニングを医師から止められ、脚を使う運動は一切諦めなければいけなくなった。

それから早数年、運動嫌いも相まって週一のトレーニング以外運動らしき運動をせずダラダラとした生活をしていた。いよいよ見た目に表れ始め、お腹まわりの触り心地の変化を感じていた折に見つけたのが冒頭の動画だ。インドはムンバイ。インド舞踊の教室を開く男性と、10歳ほどの生徒らしき少女が、ペアで楽しそうに踊っている、ただそれだけの可愛らしい映像だった。

「魔がさす」という表現は、こういう時に使うのだろうか。まさに魔物に呼ばれたとしか思えないが、その翌週、私は都内のインド舞踊スクールのスタジオに立っていた。体験レッスンである。講師はしなやかそうな体つきで、少し不思議な雰囲気をまとった女性だった。曰く生徒が多忙でなかなか参加できないと、少人数にも程があるたった2名のクラスで、日本語ペラペラのインド人の男子学生さんと共に基本の動きの指導を受けた。

さて、レッスンはインドの神様への挨拶から始まった。そして、ヨガを取り入れた柔軟体操、足を垂直に上げて踏み鳴らす動き、腕と脚を同時に動かす振付…。人は何かを思い込んだらネガティブな考えになど及ばないもので、運動がダメでも踊りならいけるんじゃないかと楽観的に興味の向くままに臨んだレッスンだったが、最初の10分で思い知った。インド舞踊ってものすごい脚使うな…。いや、ダンスって大体、脚を使うものかもしれない…。脚を使う運動をするべからずと禁じた主治医に心の中で詫びた。

レッスンが進むにつれて講師のがっかりした感情が手に取るように分かった。脚の痛みはさておき、振り付けについていけない私に、最後は励ますこともしなくなった講師。私もその反応に対して何の怒りも失望もない。仕方ない、私は彼女の期待通りにできなかったのだから。ただ、最後に彼女は親切そうにこう言った。

「他に向いている踊りに出会えるといいわね」

告白もしていないのに振られた若き時代のあの日、失恋のほろ苦さはこんな感じだったのではないか。こんな気持ち 何て呼べば ぼくは救われるの? と槇原敬之の歌詞に出てきそうなフレーズを思いながら帰路に付く私の有酸素運動探求の旅はまだ終わらない。

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