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育ての母へのカミングアウト

戸籍訂正済トランスジェンダー新生光です。詳しいプロフィールはこちら


僕には二人の母親がいます。

①生んでくれた母親
②育ててくれた母親

生んでくれた方を「ママ
育ててくれた方を「母さん
と呼ぶことにします。

これから書くカミングアウトの話は、
僕が母さんにカミングアウトした実話です。

ノンフィクションです(笑)

ママのほうは
また別の記事で書こうかなと思います
多分。


オヤジとママ

僕を生んでくれたママについての記憶は、
驚くほど少ない。

というのも、
僕が2歳くらいのときには既に離婚していて、
僕は父方の祖父母の元で暮らしていたからだ。

その少ない記憶が、
あまりよいものではなかったせいか、
ママへの思いはネガティブな印象が大きくて、

長い間、
ママに対しては無関心だった。

会いたいと思ったこともない。

親戚から聞いた話では、
いわゆる嫁姑問題があり、
オヤジのお母さん(僕からすると祖母)と折り合いが悪かったとか、

オヤジのお父さん(僕からすると祖父)が
町の政治に携わっていたりして、
有名な家だったこともママを苦しめたという噂もある。


しかし、真偽は定かではない。


10年くらい前に聞いた話だと、
ママは僕を育児放棄していたうえに
虐待をしていたとのこと。

それを、
ひいおじいちゃんが発見して
僕を救助した、ということらしい。


孤独


新しい母さんがやってきた

オヤジと母さんは、
僕が小学校に入学する前に再婚した。

新しいお母さんを探して連れてこい!

と、僕がオヤジに命令したらしい(笑)。

オヤジに伝えた新しいお母さんの条件は2つ。

1.髪が長くて目が細い人
2.料理が上手な人

はい、

今の僕の女性のタイプそのままです(笑)

しかし
オヤジはその命令に忠実で、
その通りの新しいお母さんを連れてやってきたのだ。

母さんに会うなり僕は

「ママー!」

と叫んで抱きついたらしい。

僕は覚えてないけど、
母さんからはよく聞かされた話だ。

そこから、
僕とオヤジと母さんの3人での生活が始まった。


小学校入学前

小学校入学前から
3人での生活が始まった。

僕は母さんが大好きで仕方なくて、
尋常じゃないくらい甘えたし、
手料理もすごく美味しかったから、
毎日たくさん食べた。

一緒に買い物にいったときに、
かわいらしいフリフリした服を買おうとするから、

そういうのは着ない!

と言って自己主張をしたりもした。

母さんなりに気を遣って、
新しい家族として
なじんでいこうとしていたんだと思う。

しかし、
一つ目の山はすぐにやってきた。


ランドセル事件である。


僕が小学生になる前は、
今のようにカラフルなランドセルなど存在していなくて、

男の子は黒
女の子は赤

と決まっていた。

多少、形や素材の違いがあるくらいで、
その色によって性別が判明してしまうという
恐ろしい時代だった。

母さんは何の迷いもなく、
僕に赤いランドセルを買い与えた。

希望してない方の色だ。

僕は、
母さんが間違ったのか、
いじわるをしているのかわからなかったけど、

とにかく自分が使うランドセルの色は、

「黒」

に決まっている。

そう思って、
なんのためらいもなく、
買ってもらったばかりのランドセルを
マジックで黒く塗りつぶした。

母さんはそのことを
未だに覚えているそうだ。


この子は自分に反抗して、
私の愛情を試しているんだわ!


そう思ったと、後日談で聞いた。

全然違うんだけどね(笑)


抵抗むなしく、
当時裕福だった我が家は、
翌日にまた、
新しい赤のランドセルが用意されたのだった。

小学校にあがる前くらいから、
自分の性別に対して違和感があったけど、
それを表現する術を
持ち合わせていなかった。

ところが、急遽、
オヤジの転勤が決まり、
家族3人で東京に引っ越すことになった。

小学校入学直前、
僕は母さんにこう伝えた。


「おれ、スカート履かないよ」


そのとき母さんは、
ちょっと寂しそうに笑っていた。


ランドセル


肉体への違和感を自覚

小学校2年生の冬から、
僕は少年野球チームに加入して
毎週土日は野球にドはまりしていた。

マネージャーのおばちゃんから
スカウトを受けて、
友達2~3人と一緒にチーム入りした。

そのおばちゃんは
僕を男の子だと思って
声をかけたらしい。

加入して数週間たってから、
母さんがマネージャーさんと話す機会があって、

「うちの子、女の子なのにほんとにいいんですか?」

と相談して、
ようやくチーム側は女の子だと分かったらしい。

子どもの頃って男女あまり差はないから、
どっちかよくわからないもんね。

でも、
チームの監督とか先輩たちは、
そんな僕を快く受け入れてくれて、
僕は少年野球ライフを楽しんだ。

走るのも遅かったし、
そんなにうまくはなかったけど、
運動神経はそこそこあったので、
準レギュラーくらいまでには成長した。

その野球の練習などのときに、
チームメイトたちは
みんな立ちションができたのに、
僕だけうまくできずに、
いつもユニフォームを汚していた。

僕は

「練習が足りないからだ!」

と思って頑張るけど、うまくできない。

チームメイトたちの様子をよくみると、
自分にないものがついていた。

僕は

「まだあれが生えてきてないからできなかったのか!」

と思って待っていたけど、なかなか生えない。

もしかしたら、
あれはデパートとかで買うものなのかもしれない。

そう思って、
銀座のデパートをはしごして店員さんに聞いて回った。


「てぃんてぃん売り場はどこですか?」


母さんは赤面し、
お店のスタッフの方も困惑していた。

しかし、
僕は、いたって真剣だった。


みんなにあるものが、僕についてない。


どうしてだろう。


生えてもこないし、売ってもいない。


何故だ何故だ。

そんな不安や疑問が
ずっと頭を回っていた。


それと、
わんぱく相撲大会というものにも参加した。

結構大きな大会で、
全国の各小学校で予選があり、
優勝者はその地区大会にすすめる。

さらに地区大会の優勝者は
都大会に出場して
さらには、全国大会へ!という、
大掛かりなイベントだった。

僕は、
ぶっちぎりの強さを見せつけ
地区大会で優勝!

いよいよ都大会へ出場が決まったと思いきや、
都大会は男子のみ出場ということで
土俵に上がることもできなかった。

表彰状には

「新生光 君」

と書かれていたのに!

ぶっちぎりで強かったのに!
あの子よりも俺の方が絶対強い!

という、
根拠のない自信と
戦闘モードだけは高く持っていたのに、
それをもぎ取られたようですごく悲しかった。

少年野球チームは、
ある日突然解散になってしまった。

行き場をなくした僕は、
仕方なく女子バレーチームに入った。

野球でも相撲でも
鍛えまくっていた僕のフィジカルは、
2歳年上の先輩たちをも凌駕した。

あっという間にレギュラーになり、
都の選抜チームにも抜擢された。

しかし、
燃えるような気持ちは起こらず、
女子独特の派閥めいたものに、
なんとなく居心地の悪さを感じながら過ごしていた。

母さんの手料理がうますぎたのと
毎日走り回っていたせいか、
僕はすくすくと成長し、
小学校5年生の冬に初潮を迎えた。

初めてきたときは、


「大、もらした!」


と思って恥ずかしくなり、
パンツを脱ぎ捨てて帰った。


しかし、
翌月も同じ状況がきたので、
満を持して母さんに伝えた。


「ごめん、もらした。。。」


そしたら、叱られるどころか、
その日の夜は僕が大好きな
炊き込みご飯が作られて
何故かお祝いムード満載だった。


・・・思い出したぞ・・・


数日前に行われた、
女子だけが集められて行った
あの性教育の時間の内容を。

関係ないことだと思っていたのに、
自分にもアノ状況が起こってしまったのだ。

まざまざと
自分の体が女の子なんだと突き付けられて、


「大変な病気になってしまった。。。」


そんな絶望感でいっぱいになった。

僕の暗闇はそこからスタートしている。

しかし、同じタイミングで、弟がうまれた。

異母兄弟ではあるけど、
本当にかわいくて溺愛していた。

僕は間違いなくブラコンだし、
弟は僕にとって光り輝く存在である。


絶望


制服問題と家庭問題


中学校に入学したら、
セーラー服を着させられた。

そんな毎日は生き地獄で、
なるべく制服を着なくていいように部活を頑張った。

部活をしているときは
ジャージで過ごせたからだ。

それでも何かと制服を着る機会はあって、

なんで自分は学ランを着られないのだろう

と悶々としていた。

そのころは、
肉体への違和感も強くなっていったし、
自分自身のことを周りと違う感覚をもっている、
変な存在だと思っていた。

下着は自分で買えなかったから(恥ずかしくて)、
母に買ってもらっていたし、

髪型もいつも床屋でスポーツ刈り。

恋やおしゃれに目覚めていく女友達とは、
話は全く合わなかったので、
孤立してるなと思っていた。

部活で活躍したり、
勉強や生徒会的なことでも目立っていた反面、
家庭は荒れまくっていた。

オヤジが酒乱で毎日毎日、
母さんに暴力を働いていたのだ。

近所の人から通報されて警察がきたり、
家中の壁が
どんどん破壊されていったりしていた。

あるときから、
オヤジは全く働かなくなり、
母さんが3つくらい仕事を掛け持ちし始めたのも、
僕が中学2年くらいのときからだったと思う。

僕は、
小さな弟と母さんを
守らなくちゃいけないという思いで、
暴れまくるオヤジに立ち向かっていったり、
弟を抱きしめながら
朝が来るのを待つという日々を過ごしていた。

母さんも弟も
未だにこのときの心の傷を抱えている。


恋心の芽生え


中学生のときで
一歳年上の女性の先輩に恋をしたけど、
それは淡い初恋に終わった。

初恋をどう定義するかはわからない。

でも、
いつも好きになるのは女の子だった。

それが周りと違うことだと気づいたときに、

他言してはいけない、
自分の心に秘めておかなくちゃいけない

そんな気持ちになった。

何故なんだろう。あのタブー感。


好きな女の子と一緒にいるときは、
決まって僕は、

その子を守らなきゃ!

という気持ちになっていたし、

手をつながれたり、
腕を組まれたりすると、
心臓がどきどきして
汗だくになっていた。


でも、
そんな自分の状況を悟られてはいけないと思って、
隠すのに必死だった。


初恋の先輩への告白については別記事を書いた。
→ https://note.com/allyes_hikaru/n/n2ce8f43c73ee


ついに母さんに・・・


高校生の時に
両親の離婚がやっと決まり、
僕は弟と一緒に
母さんの実家のほうで
暮らすことになった。

血がつながってない母さんには、
育ててもらうのは
もうしわけない気持ちもあって、
遠慮がちに
生活していたかもしれない。

母さんに勝手に引け目を感じて、
高校生活は
ひっそり暮らしていたつもりだった。

自分の肉体の違和感に関することは
一切口外せず、
自分を押し殺して生活していたように思う。

(同級生曰く、バレてたらしいけど。。。)

大学進学も考えていたので、


絶対東京にいく!


と決めていた。


東京に行けば、何かがある。


何かが変わると思い込んでいた。


高校2年生くらいのときだっただろうか。

『同窓会』

というタイトルのテレビドラマが放送されていた。

これは

「男性同性愛」

をテーマにした番組で、
当時多くの話題を呼んでいた。

自分が同性愛者なのかどうか
よくわからなかった僕は、
この番組だけは欠かさず見ていた。

ある日、
いつもは夜、
仕事でいない母さんがたまたま家にいて、
一緒にこの番組をみてしまった。

気まずいなーと思っていたら、
CM中に突然、
僕の恋愛観について問われた。

「あんた、女が好きなの?」


唐突すぎる質問だったので
思わず、

「う、うん。
たぶん、これからもずっと、
好きなのは女の子」

そう答えたら、
いきなりばちーんとビンタをされた。


ビンタ



「そんなふうに育てた覚えはない!!!」


と。

何につけても
理解を示してくれていた母さんから、
初めて向けられた
怒りと困惑。

僕はそれを受け止められずに、


「どうしようもないんだからしかたないだろ!
俺と彼女は特別なんだ!」


と今思うと、
とても青臭いことを言い返して家を飛び出し、
寒い雪の中を歩き回った。

今思うと、
血のつながりがない僕を育てていて、
自分の愛情不足のせいで同性愛に走った、
と思ったのかもしれない。

(後日談だけど、
母さんは実際にそう思って自分を責めていたとのこと。)

同性愛とも違うし、
愛情不足でも何でもないのに!
なんでわかってくれないんだ!


という気持ちだけが大きくなった。

当時はまだ、
性同一性障害や
トランスジェンダー

などという言葉は知られてなかった。

肉体への違和感はあるものの、
好きになる対象が同性というだけで、
全て同性愛と思われていた。

僕自身もよくわからなかったし、
もちろん母さんも同じで、
きっと混乱していたと思う。

こうして、
突然起こった
僕の母さんへのカミングアウトは
大失敗に終わった。

その事件をきっかけに、
僕の恋愛については
触れてはいけない話題のようになって、
何年も話はしなかった。

しかし、大雪の中、
家を飛び出してふと見上げた夜空には、
美しい星空が広がっていて、
僕が流した涙は
きらきらと凍っていた。


東京生活で得た自由からのハプニング


そんなことがあったからか、

母さんは

僕が東京の大学へ進学したい

ということに対して
真っ向から反対した。

自分の目の届くところに、
僕を置いて監視したかったんだろう。

しかし、
割と成績優秀だった僕は、
学内推薦の枠がとれたのと
奨学金をもらえることが決まった。


「生活も学費も全部自分でやりくりするから、行かせてくれ」


と懇願した。
育ての母から、
早く自立して負担をかけさせたくない
という遠慮の気持ちも
なかったといえばうそになる。

母さんも渋々了承して、
東京での夢のキャンパスライフが始まった。

大学在学中にいろいろな情報を得て、
自分らしく自由に生きられることを知った。

性同一性障害のカウンセリングをスタートしたり、

新宿2丁目デビューを果たしたり、

たくさん恋をして
たくさんの女性たちと交流を持った。

いわゆる、

リア充


だったと思う。

パリピだったし、
お酒もたばこもやるようになって、
ちょっとイキっていた(笑)

母さんとお金のことでもめて
大学を中退せざるを得なくなったので、
母さんには
引っ越し先を告げずに
ひっそりと一人暮らしを始めた。

社会人になって、
ますます自由に生きて
それはそれは楽しかったのだが、
ある時、
驚くべきことが起こった。

ある休日に
当時の彼女とラブラブした後、
二人でベッドで眠っていた。

そしたらふいに、
玄関をノックする音がしたので、
新聞か何かの勧誘か
と思って玄関を開けた。

そしたら、
そこにはなんと母さんの姿が!


「ちょちょちょちょ、なになになになに?💦」


と僕はかなりの動揺をした。


驚き

「あんた、連絡もしないで何してんの?」


そう言った母さんの顔は
ほんとに怖くて、
汗が一気に噴き出てきた。

どうやら
音信不通になった僕を
探しにきたようだ。

それよりもまずいのは、
寝室で裸で眠っているであろう
彼女がどうしているかだ。

「入るよ」


といって
ずかずかと入ってくる母さんを
静止する間もなく、
寝室のドアを開けられた。


やばい!!!


「は、はじめまして」


彼女はそう言って
ちゃんと服を着てベッドを整え、
正座をして母さんと対峙した。


大人の女性ってすごい!!

彼女の機転と
行動力と
俊敏さを心から尊敬した。

「あら、はじめまして。こちらの方は?」


彼女だよ。


僕はそうぼそっと答えると、

「まだ女と付き合ってんの?ったく。。。」


そうぶっきらぼうに返された。

なんなの突然?

と聞くと、

「大事な話あるから、今日はこちらの方には帰ってもらって」


と、すぱーっと言われた。

あのときの冷たい空気感は、
思い出すだけで未だに恐怖を感じる(;^_^A。

浮気の現場に踏み込まれたときの感覚って、
もしかしたらこういうことなのかもしれない。

彼女はしおらしく帰っていって、
そのあと、
母さんと食事に行きながらいろんな話をした。

・引っ越したことを黙っていたことの理由
・心配したから探しに来たんだ
・仕事はちゃんとしてるのか
・普通の親子の会話
・性同一性障害のカウンセリングを受けていていること
・治療を進めていこうとしていること
・僕は同性愛者ではないんだということ
・トランスジェンダーと同性愛者の違いなど


細かく説明した。

頭の回転がいい母さんは、
理解してくれたようで、最
後には、

「全くしょうがないな。
頑張りな。
何やってもいいけど連絡くらいしてよね。
あと、彼女を大事にね。」

と応援してくれた。

その後も、
彼女とテレビ出演する機会があって、
放映された直後にかから電話があった。

「あんた!
今、あの彼女と一緒にテレビに出てるでしょ!
名前でばれたらどうすんの!!」


というクレーム電話だった(;^_^A。

そのテレビに出たときの
僕のニックネームが、
普段の生活でのニックネームと同じで、
母さんも職場で
同じように呼ばれていたそうだ。

そこで

あぶり出しされてしまうこと

を恐れて電話をしてきたのだ。


*ここでいう「あぶり出し」とは、
もしかしたらあの人、性同一性障害なの?
とか
同性愛者じゃない?
みたいな噂話をしたり、推測し合ったりすること。
今回の母さんの場合は、
ニックネームで職場の人に推測されたりすることを恐れたのだ。


しかし、
そもそも深夜のローカル番組を
見ているユーザーも少ないし、
そうだよと認めずにしらばっくれれば
身バレすることはない。

母さんが
僕のことを公表する必要もないんだから
大丈夫だよ
と諭して事なきを得た。

母さんは世間体を気にしているんだな

と、そのとき改めて思った。

それは当然の反応だし、
そこは母さんの問題になるから、
僕は自分の葛藤と切り離して考えることができた。

そこからしばらくして、
母さんとは金銭面でトラブルがあって、
数年、連絡を取らなくなってしまった。


改名


改名したときに

元々の僕の名前は、
とてもかわいらしかったので、
かなり違和感が強かった。

性同一性障害のカウンセリングを受けていく中で、
改名OKだよ
っていう診断書が下りたので、
それと改名の実績を持って
最寄りの家庭裁判所に向かった。

裁判所に申し立てをする前に、
一応、母さんに電話をした。

既にホルモン治療も開始していたので、
声もだいぶ変わっていた。

開口一番、


「久しぶり。
これから●●●っていう名前に変えるから」


そういうと母さんは
大笑いしてこう言った。


「それ、お母さんの初恋の人と同じ名前だわw」


ま、マジっすかw 

なんだ、
そのコントみたいな展開は!

と思ったが、

「じゃあ、
今度から●●●って呼ぶわ。
声もだいぶかっこいいじゃん」

そう言ってくれた。

この時に、
ようやく自分のアイデンティティを
受け入れてくれたと思った。

ビンタされたあの冬から、
10年。

ようやく分かり合えた瞬間だった。


夜明け

最後に

長文をお読みいただき、ありがとうございます。

僕の母さんへのカミングアウトだけでも、
だいぶ長編になってしまいました。

まだまだネタは切れませんw 

オヤジ編とか、
弟編とか、
おばあちゃん編とか
シリーズ化していこうかなと思います(笑)

僕と母さんの長い長い期間をかけた、
この一連のカミングアウトが、
今まさに渦中にいる方のヒントになることを切に願いつつ、
この記事を終わりにしたいと思います。


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