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自己開示は「ありのままの自分」への許可証のようなもの

今年の春からSNSを始めた。
理由はメンターにそうしなさいと言われたから。

そしてその時こうも言われた。
「自己開示していくことは最初はキツイけどいいことだからね」

あれから約半年。
最近よく周囲の人たちに

「キレイになったね」
「変わったね」
「ちえちゃんらしくなってきたね」

と言ってもらうことが増えてきて、すごくうれしい。

そんな時、久しぶりに会った友人から
「SNSに顔出しなんて昔のちえちゃんなら考えられへんかったのに
なんでやってるの?」という問いかけ。

最初は前述したように「メンターに言われたから」と答えたけれど
発信を続けるうちに自分の中で何かが変わっていくのを感じていて、
それが何なのか探ってみたら「あーそーゆーことか」と深く納得したので、今日はそれをシェアしてみたいと思います。


最初のハードルは名前と顔写真

SNSを始めるにあたってメンターに言われたのは
「名前は本名で。もちろん顔写真も出してね。X、インスタ、ブログかnote
あとは、スタエフも始めてね」

「えーっ⁉ そんなに沢山‼ しかも本名って…」
と強く抵抗を感じた私は

「あのぉ……名前はニックネームとか下の名前だけとかではダメですか?
アイコンもイラストとか…」
と聞いてみると

「ダメ~。ちえちゃんの場合、苗字と名前の相性がいいのでフルネームがいいの。アイコンも顔写真でないと、ちえちゃん自身が伝わらないよ」

「………」

はぁ~っ=3


この時出たため息は、あきらめのそれと言うか、決意のそれと言うか。

「これまで自分がやったことないコト」「苦手意識があるコト」は
自分のコンフォートゾーンを広げるには有効だと知っていた。

だからこれを言われた時、どこかで腹は決まっていて、でもまだ抵抗する自分がいて…といった複雑な思いだった。

そんな心境の中、見る専門で作っていたアカウントに自己紹介文と自撮りした写真をのせるところから私のSNS発信は始まった。

抵抗の根本にあったのは家族の存在

この時になんでそんなに名前と顔写真を載せるのがイヤなのかを考えてみたら「家族や親せきに今の自分を知られるのがイヤ」という思いが出てきた。

「今の自分の何を知られるのがイヤなの?」と自分に聞うてみると
星よみとかスピリチュアルとか一般社会からみたら「ふわふわしている」と思われることをしているのを知られるのがイヤなんだという答え。

で、氣づいたんよ。

今私がしていることを「ふわふわしている」と捉えているのは世間や身内じゃなくてまぎれもない私自身だっていうことに。

じゃあ今の私は世間に堂々と言えないことをしているのか?と
再度自分に問うてみたら
「そんなことない。そんなことないけど…人から、と言うより家族からそう思わそうなのがコワイ」

なんで? なんでそう思われることがコワイの?

「家族の前ではちゃんとした私でいたい。家族のまとめ役をしていた頃の
しっかり者の私でいたい」

まとめ役をしていた頃の自分でいたいの?
「ふわふわしている」ことをしている今の自分は好きじゃない?

「今の自分がホントの自分だと思ってる。今の私の方が昔の私より好きだし、これで生きていきたいと思ってる」

じゃあどうしたい?

「ウソ偽りのない、このまんまの私を開示していく」

このような自己対話の結果、
名前と顔写真を載せるにあたっての第一関門を突破した。

で、載せてみてどうだったかというと身内からの反応はゼロ笑

SNSを見ていないのか、見ていても何も言ってこないのかどちらか
分からないけれど(もうどちらでもいい笑)
身内に非難されるといった恐れていたことは起こらなかった。

まぁ結局そうなんよ。
何事も自分に制限をかけているのはいつも自分で、それを外せるのも自分しかいなくて。

だからそれに氣づいたらその時、その時で自分とじっくり会話して、自分が納得した上で少しづつ進んでいくしかないんよね。

どんな時も「今、どう感じてる?」「大丈夫?」と自分にやさしく聞いてあげる。「今ムリだったらもう少し時間をおこうか」と寄り添ってあげる。

そうやっていくとね、「このままでいたい私」と「先に進みたい私」が仲良くなって少しづつやけど進んでいけるようになるんよ。

自己開示は「ありのままの私でいること」を自分に許容すること

SNSを始めて現在に至るまで、途中で挫折して放置することもあったけど、
それでもまた再開して、今は自分のペースでやっている。

でね、ここまでやってきて思ったのが
自分を世に開示していくことは

「私は私でいい」
「私はありのままの私で生きていく」

ということを世間に表明していくことやと思ったんよ。

名前も顔も出して自分の思いを発信するというのは世界に向けて
「私はこんな人間ですよ~」と言っているのも同じこと。

そしてそれは
私が私自身に「ありのままの私でいいよ」と言い続けているような感じ。
自分が自分でいることを許可し、認めていくことと同じ感覚。

だから発信を続ければ続けるほど「本来の私」の喜びは大きくなっていく。

だって「ホントの私」でいることを一番認めてほしいのは、
他の誰でもない私自身やもんね。

そしてその喜びは次第に「私は私でいいんだ」という自信につながって
周囲の人に褒められる、という現象が起きているんやなぁ、と。


新たな自己開示に挑戦

そして最近、また新たな自己開示にチャレンジしまして。

それが自分の思いを声にのせて発信するというやつ。
スタンドエフエム。

これはなかなかハードやった笑

自分の声ってあまり好きじゃないし、おしゃべりも得意じゃないし
第一誰か聞いてくれる人なんているんかなぁ…と思ってて。

でも始めたいと思ってた。

なぜならその挑戦の先には、また新たな自分がいて、そんな自分を見てみたいという氣持ちがあったから。

とは言え、このハードルは高くてねぇ。
バンジージャンプを飛ぼうとしてなかなか飛べない人のような状況が続いていたのですよ。

で数日前、ジャンプする勇気をもらう出来事がありまして。
いよいよスタエフに挑戦することになったのです。

めっちゃ緊張したけどね、なんとか任務完了。

そんなドキドキの『自己開示劇パート2』はまた次回!

ここまでお読み下さりありがとうございました。








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