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成長の節目を祝う

私の10歳、20歳、30歳、40歳、50歳、60歳の誕生日をどう過ごしたのか、人生の中でどのような変化が起こったかをまとめてみました。一生で何をしたか、ではなく誕生日に何をしたのか、をピンポイントでフォーカスしました。これも延々日記をつけ続けているから書けることです。日記は大切。

0歳

1963年5月12日

芦屋市民病院で生誕。父母と2つ年上の兄がいる。
生まれたときから濃い頭髪が生えていた。うちの息子も同様。

10歳

1973年5月12日
神戸市立魚崎小学校に通う。父母と2つ年上の兄がいる。
日本は高度経済成長期。

魚崎福地池公園

20歳


1983年5月12日
実家を離れ、京都の舞踏団「白虎社」の稽古場で共同生活している。
長い髪をカーリーヘアにしていた。

20歳と30歳の間に京都を離れ、東京に移る。バブル景気。自分の舞踏カンパニー「NUBA」を立ち上げる。

30歳


1993年5月12日
東京で兄と暮らしている。
この年から海外公演を始めた。
この日の朝は文京区のスポーツセンターで公演のリハーサル。昼は衣装倉庫を整理する。

過激なダイエットをしていた。体重43kg
   朝食:パイナップル半分
   昼食:豆腐一丁
   夕食:パイナップル半分
数年前に剃髪した髪が鎖骨まで伸びた。

30歳と40歳の間に急激な変化がある。35歳で結婚し、フランスに移住して出産する。

40歳

2003年5月12日

夫と息子(4歳)と一緒にパリ3区(パリでは3回目の引っ越し先)に暮らしている。
日本の実家では、母親が膵臓癌にかかる。
長いストレートの髪は1994年以来定着し、現在に至る。
この日の昼は作曲家である友人のアパルトマンでmeeting、
夜は夫と息子と3人でLes Hallesのアラブレストランでディナー。その店はもうない。
結婚してからはまともな食生活になった。

50歳

2013年5月12日

夫と息子(14歳)とゴールデン犬と一緒にパリ3区(4回目の引っ越し先。現在の住所と同じ)に暮らしている。
日本の実家では、母親が2005年に膵臓癌で死去し、東京にいた兄が神戸に戻って父親の世話をする。
この日はジムに行って運動をした後サウナに入り、一旦帰ってから犬を散歩に行く。体重48kg、多分この時期が人生で一番体重増加していた。
夜は家で夫と息子の三人で夕食をとり、夫が買ってきたケーキを食べる。TV でFootballを観て、襦袢の半襟を縫う。

50歳と60歳の間に間に同時多発テロや、コロナのパンデミック、ロシアによるウクライナ軍事侵攻が起こる。

60歳

2023年5月12日

夫と息子(24歳)と一緒にパリ3区(4回目の引っ越し先。現在の住所)に暮らしている。犬は2000年のロックダウン中に口腔癌で死去。
日本の実家では、兄が2005年に膵臓癌で死去。私が時々日本に戻って父親の世話をする。
体重46kg

この日の様子はこのページに。

十年後に続く。
有科珠々



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