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愛着障害の国のありす

はじめまして、くぐいありすです。
摩訶不思議な愛着障害の国へ、ようこそ。

このnoteでは「愛着障害でも、しあわせになれる」をモットーに、いろいろなことを綴っていきます。


愛着障害の悲しさ

わたしは2023年はじめに愛着障害と診断されました。

愛着障害の症状にのまれていると、

過去にとらわれて発作が起きることはもちろん、
2度としあわせになれい
気がしたり、
この先に希望が一切見出せなくなったりします。
(少なくとも、わたしは)

幼少期に抱えてしまったこころの傷は、いつまで経っても癒えないし、
症状や自分の生い立ちを理解するほど、腹は立つわ、さびしいわ、
感情の渦に呑み込まれて、一苦労です。

健全な愛着をもっている友人をみていると、
あまりの違いに「なんて不公平なんだろう」とも思います。

よく「人生は自分で決めるもの」というセリフを聞きますが、
わたしはその度に「それは半分真実で、半分嘘だな」と思います。

人間は、育てられ方で、大きく変わります。
自分の努力だけでどうにかできる範囲を大きく越える影響を、
養育者からは受けます。

無意識といえるレベルで、自分のことをいつも傷つける考え方を教えられた子どもと、あたりまえのように自分を大切にする健全な考え方をはじめからもっている子どもでは、生き方も、物事の選択の仕方も、まるで違います。

わたしたち愛着障害のひとは、人生を自分で決められるようになる前に、
回復させないといけないこころの傷や、歪んでしまった認知があります。

そしてその痛みは、自分が自ら望んで得たものではなく、
「ただ、その養育者のもとに生まれたから」というだけの理由で抱えたものです。

不公平だと、嘆くことくらい、ゆるされたい。

それでも、しあわせになる

それでも、「人生は自分で決める」の半分は真実だと思います。
過去の傷がどんなに足を引っ張っても、

それをほおっておくのか、治療をするのか、
あきらめるのか、しあわせになると決めるのか。

愛着障害のわたしたちにも、たくさんの選択肢が残されています。

なんて、これを書いているわたしも、昨日の夜、ひどい発作があり、
なにもかもあきらめてしまいそうになりました。
(というか一回あきらめました笑)

それでも、何度あきらめても、やっぱり、発作が落ち着くと、
わたしのこころは「しあわせ」をめざしはじめます。

愛とつながりの病

わたしは愛着障害を「愛とつながりの病」だととらえています。
適切に愛される経験ができなかったから、愛されることも、愛することも、苦手というより「わかりません」。
ひととつながりを持ちたくても、安全で健全なつながりを幼少期に誰かと築けなかったから、やり方が「わかりません」。

とても、悲しいことだと思います。

でも、わたしはロマンチストなので、愛について日々考えること、学んでいくこと、知っていくこと、愛し、愛される努力をすることには、大きな価値があると考えています。

つながりもそうです。わたしは当然ながら、友だちが少ないですが、それは自分からみんなを避けてきたからです。でも今は、「相手が自分を友だちだと思ってくれている気持ちを、信頼してみる」ことだったり、「ひととのつながりは楽しいものだ」ということを自分に教えるために、勇気をだしています。

愛とつながりについて、日々、学んでいく。
とてもうつくしいことだと、わたしは思うのです。

……簡単では、ありませんが。

傷の回復のその先にあるもの

約1年、愛着障害の治療をしてみて思うのは、
回復すればするほど、本来の自分が戻ってくるということです。

本来の自分が好きなもの、本来の自分がやりたかったこと
本来の自分の性格

障害のモヤに包まれて見えなくなっていた、自分自身のことが、
少しずつ見えてきます。

わたしは、愛着障害を抱えながら、今も生きているひとというのは、
本来、とても強いひとだと思っています。
まるで、アスファルトの隙間から顔を出してでも、花を咲かせるうつくしい草花のように、タフです。
(そうじゃなかったら、今ここに存在できていないと思うから)

そんなつよくて、道ゆくひとの目をとらえて離さない魅力をもっている愛着障害のひとびと「やりたいこと」「好きなこと」をやっていく姿は、とっても素敵だと思います。

愛着障害の方が本来の魅力で輝いている世界
とても、やさしくて、うつくしいだろうその世界には、こころ惹かれます。

もちろん、人任せにはしません。
1年かけて辿り着いた、わたしの好きなこと、やりたかったことも叶えていくつもりです。

愛着障害があっても、しあわせに暮らす姿を見せることは、
同じ愛着障害の苦しみを抱える方の、ひとつの希望になるかもしれない。
そう思います。

もしかしたら、専門家ではない、当事者だからこそできる、希望の掲げ方かもしれません。

まとめ

そんなわけで、愛着障害でもしあわせになれると信じて、その方法を日々考え、実践して、自分の夢(大きなものから小さなものまで)も叶えながら、これから発信していきます。

綺麗事だなぁとも思います。だって、簡単な道ではないですから。
でも、はじめないと、はじまらない。

わたしもあきらめませんから、あなたも、あきらめないでくれると、
(わたしが)うれしいです。そんなあなたの姿は、わたしに希望をくれますから。

しあわせに、なる🌸

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