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この一週間

真実を伝えると、その人は怒りを私にぶつけてくる。認めたくないから。
認められるほど、人は強くないから。

人のことを言っている私も、完ぺきではない。なのにどうして、人には完ぺきを求められるのだろう。

疲れているときに、声が低くなる。
そんな時に、親や友達と会話をしていると、機嫌が悪いと誤解されてしまう。
疲れているときほど、気を緩めずに、接しなければならない。
そんなことはわかってる。もう20何年も生きてるんだから。
でも、親や、気の許した友達にまで、気を張って暮らしていくのが、辛い。

”親しき中にも礼儀あり”
わかってる。そんなこと、わかりきってる。だったら、あちら側も、配慮してほしいと思うのは傲慢な意見だろうか。
こちらが疲れているのにも関わらず、会話をしてくる。もちろん、2,3回会った人となら、頑張って喋る。きっとこちらが疲れているのを把握してないからだ。
親しくしているあちら側なら、こちらがどうしてこんなにも辛いのか、苦しいのか、把握しているであろう。なのにも関わらず、会話をしてこようとするのか。

私は間違ったことをするのが嫌いだ。
約束を破る、トイレ行ってくると言って二度と帰ってこない、など。
きっと私は、間違ったことができない人間なのだと思う。
正しいことしか言えない、嘘をつけない、悲しい現実しか見られない、そんな寂しい人間なのだと思う。
だから、悠々自適に生きている人間が、すごく苦手なのだと思う。

そう学べた、一週間だった。

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