26. 修道院ローズマリーに風光る
マリトッツオやボンボローネの他にも、イタリアには沢山のお菓子がある。シチリアのお菓子では、リコッタクリームのたくさん入ったカンノーロが美味しい。
26.修道院ローズマリーに風光る
佐藤礼子の『イタリア菓子図鑑 お菓子の由来と作り方』には、「イタリアは、ほぼ全土で小麦が生産される穀物大国」とあり、イタリア菓子を「粉のおいしさを味わう」もので、「農民菓子」、「修道院菓子」、「宮廷菓子」の3つに分類されると書いてある。すべからく宗教行事や収穫に対する感謝につながっている。修道院の戒律は祈りと労働が基本で、労働の中に菓子作りもあったという。
「修道院での菓子作りの始まりは、ミサの時に信者が食べるキリストの聖体を表すパンや、祭日に食べるための質素な菓子だったといわれる。この時代の菓子は、小麦粉、卵、ハチミツなど敷地内で調達できる食材を使ったシンプルなもので、ちょっと手の込んだパンといったもの。また、キリストの血を表すワインも敷地内にブドウ畑を作り、修道院内で醸造していた。(中略)十九世紀になって本格的にパスティッチェリアが誕生するまでは、菓子は修道院で販売されるものだったのである。」
と、佐藤は書いている。修道院は6世紀にはすでに存在していたというから、その歴史は古い。修道院で作られたお菓子は販売されて、修道院の貴重な収入になっていた。キリスト教の力が大きくなると修道院の人々も増え、さらに十字軍によってもたらされたスパイス、柑橘類などの高価な材料が、お菓子作りにも使われるようになった。マリトッツオもボンボローネも朝食には欠かせない定番と書かれているが、シチリアの修道院のお菓子もいくつか紹介されている。特にアラブとの繋がりが深かったシチリアでは、早くから豊富な材料を手に入れることができたので、多様なお菓子が発展していった。それでも、なんと言ってもカンノーロである。カンノーロは「小さな筒」という意味で、小麦粉でできた生地を金属の棒に巻き付けて油で揚げ、空洞部分にリコッタクリームを詰めて食べるお菓子である。東京は新富町の「Litus」のカンノーロは美味しかった。カリッとした筒状の生地に注文を受けてからたっぷり入れられるリコッタクリームは格別で、柔らかさと程よい甘さがなんとも言えなかった。クリームには緑のピスタチオの粒がのっていて品の良い色合いである。神戸は元町の路地裏にある「イタリア菓子のすすめ」のカンノーリの生地もパリパリでリコッタクリームとの対比が際立っていた。「Litus」のカンノーロよりは小ぶりであったが、注文してからリコッタクリームを入れてくれるのは同じであった。リコッタチーズは羊乳から作られるシチリアのチーズで、それにクリームを加えたものがリコッタクリームである。カンノーロだけでなく色々なお菓子に使われるそうである。残念ながらシチリア本場のカンノーロには、まだ写真でしかお目にかかっていない。カンノーロは映画『ゴッドファーザー』では、マフィアの大物も食べるお菓子として登場し有名になった。しかも、かなり重要な役どころを与えられていた。シチリアの人にとっては、カンノーロがいかに身近にあるかということが伝わった。ちなみに、「イタリア菓子のすすめ」の店主が、カンノーロは単数でカンノーリは複数だと教えてくれた。クリームを入れて、1時間から1時間半までが食べごろで、それ以上経つと、外側の筒の部分がクリームの水分や油分でパリパリ感が失われてしまうので、クリームを入れたらなるべく早く食べる方が美味しいとも、説明してくれた。
博多の小さな修道院でもお菓子を作っている。博多駅から西へ電車で約30分。今宿という駅に着く。玄界灘沿いの小さな駅である。駅舎が海鼠壁風のデザインになっているのは、唐津街道の宿場町の名残をイメージしているらしい。駅にあるタクシー呼び出し電話で車を呼んで待つこと10分。タクシーで山側へ登って15分。丘の上の小さな修道院、福岡カルメル修道院に着いた。玄関脇にはローズマリーが沢山植えられている。修道院では、お菓子作りだけでなくハーブ作りも行われ、そこから薬草の研究が始まり、人間の精神的苦痛を救う宗教行為だけではなく、肉体的苦痛を救う医療行為を行う場所へと発展していった。ホスピスの原点とも言われている。修道院というと、特定の人だけが集まる閉鎖的な施設という思い込みがあったが、社会に解放された公共的な機能も持っていたのだと認識を新たにした。ひっそりとした入り口のドアを開け、狭い玄関で「こんにちは」と声を張ると、中から物静かなシスターが出てきて応対をしてくれた。お菓子の事を話すと「今はクッキーは焼いてないんです。ケーキだけなんです。フルーツとオレンジとチョコレートの三種類あります。」と説明してくれた。フルーツケーキとオレンジケーキを買った。薬草のことを聞くと、「ヨーロッパの修道院は、薬局の役割を果たしていて恵まれない人たちに薬を渡していた歴史があリます。今では、薬屋が増えたので薬局は無くなりました。」と話してくれた。ここではハーブを作っていると言って、ハーブティーのティーバッグをプレゼントしてくれた。本当に優しい物言いをする方であった。「昔は福岡大学の近くにあったのですが、だんだん交通量も増えてきたので、この山の上に移転してきたんです。ここならば、色々な作業やお祈りも静かに出来ます。」と、ゆっくりと話してくれた。ほんのわずかな時間の会話だったが、ゆったりとした幸せな気持ちになった。家に帰ってオレンジケーキは私たち夫婦で食べ、フルーツケーキは息子家族に渡して幸せのお裾分けをした。
●佐藤礼子『イタリア菓子図鑑 お菓子の由来と作り方』 誠文堂新光社 2020年・・・「いつの時代にも、人々の生活に寄り添ってきたイタリア伝統菓子。小さな菓子一つからでも、地方性や歴史的背景を垣間見ることができるのが、イタリア菓子の醍醐味であろう。」と解説されている。
●Litus 新富町駅から2〜3分。路地裏にある白を基調にしたお洒落なイタリア菓子店。
●イタリア菓子のすすめ 元町駅から少し北、表通りから奥へ入り込んだ可愛いイタリア菓子店。
●映画『ゴッドファーザー』・・・1972年公開。フランシス・フォード・コッポラ監督、マーロン・ブランド、アル・パチーノ出演のアメリカ映画。この映画の殺人の場面でカンノーリが登場する。「Leave the gun. Take the cannoli.」というセリフがあって、車の中に銃を置いて、小箱に入ったカンノーリを車から持って行くシーン。小箱の中には数個のカンノーロが入っているはずである。
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