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佐藤さんの新しい映画を見ることはできない。でも、やかんの湯を沸かす囲炉裏の火が消えそうになったら、誰かがそこに薪をくべることならできる。 杉田協士(映画監督)

佐藤さんの新しい映画を見ることはできない。でも、やかんの湯を沸かす囲炉裏の火が消えそうになったら、誰かがそこに薪をくべることならできる。


いつでも泊まりに来なさいと声をかけられたように錯覚してしまう。
パレスチナ難民キャンプで、阿賀野川の流れる村で、佐藤真さんのチームが声をかけられたように、佐藤さんの映画からもそのような声が届きそうな気がしてしまう。
佐藤さんの新しい映画を見ることはできない。でも、やかんの湯を沸かす囲炉裏の火が消えそうになったら、誰かがそこに薪をくべることならできる。
現に、その火を絶やさないようにしている人たちがいることを知っている。いまもその火がゆらめいている囲炉裏のそばに近づいて、せめてその熱を受け取ることならできるかもしれない。
私はそうしていたい。その熱で自分の体を温めて、それが冷めないうちに、また他の誰かに伝えることならできるかもしれない。あそこにいまも囲炉裏があることを、知らせることならできるかもしれない。

杉田協士(映画監督)

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