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【広島商人】知られざる戦後復興の立役者(4)二日目

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4 二日目

 夜が明けた。
 ここは祇園町の勝忽寺しょうそうじである。
建具やガラスが飛びちったこの寺は、座敷といわず、ひろい庭といわず、
男や女や子どもが見さかいなく累々と転げている。
勝忽寺の前に爆風で壁はやぶれ、かわらは吹き飛んだ官弊社かんぺいしゃがある。
この境内にも、数千人の重傷者だった。
はや多くの死人が出ている。
死にかかっているものが大半だ。
暑い時節だけに死臭は鼻をついてくる。
 
昨夕、つれだって避難した八、九歳ぐらいの四、五人の子供たちは、
煙で黒くなったシャツを着ているのだと思い、そのシャツが破れてペラペラ下がっていると見たのは、焼けた皮膚であった。
昨日の朝頃、この子供たちは無心に遊んでいたであろうに。
まことに苦しいことであろう。

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4,183字
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この文章は昭和31年11月に発行された「広島商人」(久保辰雄著)の冒頭です。(原文のまま、改行を適宜挿入) 広島は原爆が投下された約一か…

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