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【広島商人】知られざる戦後復興の立役者(9)坂出港での困難

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9 坂出港での困難

 坂出港は塩の産地で、埠頭の上に建築されて立ちならんでいる倉庫も、
荷揚げ卸し場も、すべて鉄筋コンクリート造りで、
大きな汽船も横づけできる、近代化した理想の港である。
もとの波止場に神社があって、そこのところが機帆船や漁船の港に
なっていると見える。
その中に雑多な船がたくさんはいっている。
私は魚を買い集める目的で、漁船がたくさんならんでいる神社の下の
たまり場に向け、伝馬船にのってやってきた。
 
 「この魚は売ってくれますぁ」

 「魚は統制だから売られないよ」
 
どの漁船の人たちもあっさりことわった。
波止場に上陸すると、目の前に生きた魚が、ピチピチと、
多くのざるかごの中で動きもがいているじゃあないか。
 
 「高くてもいいですから、売ってくださいな」

 「統制だよ、売ったら捕まるよ、やられるよ」
 
 漁師たちは鼻いきの荒いことおびただしい。
 
 「どうです、畳表と交換しますかね」

 「畳表をもっているのか?」
 
 と話し合っていると、隣にいて耳を立てるようにして聞いていた
漁船のおかみさんらしい女が、私の方へよってくると、
 
 「おっさん、私の魚と交換してくださいよ」

 「そうだなあ」

 「おっさん頼むよ。
  うちの畳は真黒でねえ、表となら私が交換するよ、頼むよ」
 
 と、おかみさんは小声で真剣な頼みようである。
他の漁船の人たちも色気たっぷりと出てきたようだ。
かますを扱うのは重労働でもあり、土地の様子も人を扱うすべも
わからないので、まず魚を少しぐらいは多く手に入れておく必要が
あると思ったのだ。

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5,859字
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この文章は昭和31年11月に発行された「広島商人」(久保辰雄著)の冒頭です。(原文のまま、改行を適宜挿入) 広島は原爆が投下された約一か…

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