こっちは勉強したほう(笑)

前回記事では中学英語学んでまーす
バカでーすと記したが
今日は一生懸命勉強したどーという話
まず、こちらのリンクをどうぞ。
花巻市のHPにあります
花巻市の偉人2023年に描かせていただきました、佐藤昌介さんの漫画です。

実はオファーをいただくまで、花巻の偉人さんは宮沢賢治さんと新渡戸稲造さんしかわかりませんでしたorz
もーしわけございません!
ですがですが、そのだつくし「やったるでー」と引き受け、監修のもと自由に描かせていただきました。

もんのすごい勉強しました。実際、執筆期間の倍くらいwww
資料は文字のものしかないのですが、ほどんど実費で買い集め(なかにはいただいたのもあり)ねちねち読みました。
もちろんウィキペディアも見ました。
最初の印象は武家なのでそこそこ不自由していないお家の子?
いっぱい勉強した人?
…でした。
しかし調べていくうちにこの方の「逆境にも負けない精神」というか。「本来の東北人気質」というか。「行動力」というか。
ほんとこのあたりの…戊辰戦争後の東北人は苦労もしていましたが、根性がすごい!生きる力がすごい!と頭が下がります。

ええと、ヘアスタイルがあれですけど、お写真を見る限り実物イケメンです。
あとはとにかくメモメモメモ…

字がこきたなくてすみません

いろいろ調べていくうちにわかったことがありまして、実は花巻市には私の父の実家があり、父方の墓があるお寺に、昌介さんのお父様も眠っておりました。
同じ檀家じゃーん!檀ともじゃーん
とどうでもいいんですけどちょっと共通点があるのに不謹慎ですが嬉しくなりました。

私はまず偉人さんをよく調べて、そして好きになるまで思いを馳せます。
好きにならないと書いても面白くないからです。
あと、説明くさくならないように、なるべく主人公に喜怒哀楽を付けました(想像ですが)涙ながしたり…。

あと新渡戸稲造さんと原敬さんが出てくるのですが、完全脇役(でもなんかいい味)にしました。

で、結果真面目な仕上がりにはなっちゃいましたが、よくあるような偉人漫画にはしたくなく、しょっぱなに現代の授業風景を描いたり。遊びも入れました。

とりあえず、そのだつくしの新しい実績になりました。
おもしろいかどうかは読んだ方次第です。

さて。ちょっと話をそらします。

花巻市は父の実家ということで、私の中にも半分花巻人の血が流れております。

実はこの漫画を執筆するあたり、実家では実父が寝たきりになり、母親が介護をしていたころで、花巻出身の父に本を読んでほしい思いがありました。
(父は2003年の夏に永眠しました)

ちょっと父の話をさせていただきますが
前記で「教育熱心な両親で私は積み木を崩したよ」と書きましたね。
けっこう親父とは殴り合いをしました(時代な。時代)
あ。今でいう虐待とかDVとかではないです。完全にぐれた私への怒り。
親父も「くやしかったら俺をなぐってみろ」というので
「わかった!くやしいから殴る」など

でも全身全霊で受け止めてくれた父親で、私は大好きです。
私が漫画家のオーディションに合格し、まだ先も見えない状態のままで6年務めた会社を辞めると決めたとき
真っ先に親父の会社に電話をして、退社後に二人で飲みにも行きました。私が真剣なのを察すると父はわかってくれる人です。
「しゃーねえーな、まだ俺が食わすのか、腹くくるか…」
と言いながらも賛成してくれました。

しかし

情熱大陸のBGMが背中から聞こえてくるような女そのだつくし

「ニート(当時そんな単語、なかったです)になんかならん!」
とデビュー後からガシガシ漫画を描き、初めての単行本が出版されたときです。もちろんドヤ顔で親父に渡しました(女性向け恋愛漫画ですが)

その時の父は黙って私の初出版の単行本「純愛ローカル劇場」(集英社)を
神棚のあげてましたwwwwwwww

それからずっと応援してくれており、岩手日報の新聞四コマが決まった時は
「自慢の娘だ」といってくれました。

父は最初が女の子だったので、次は男の子を期待していたようですが、残念ながらまた女。(私)しかし、男の名前しか考えておらず。あやうく私は
一明か陽介でした。ちなみに本名は母に相談もなく適当に決めたそうです。

さらに小学5年生の誕生日にくれた誕プレは「青いグローブ」でしたwww
キャッチボールがしたかったのだろうか(したけど)

巨人ファンなので、私は反抗して阪神の野球帽をねだりましたなあ


と親父エピソードは腐るほどありますが、また別なときに


で、そんな親父も80をすぎ、もう足腰もたたなくよぼよぼのぷるぷる
でも頭はしっかりしているので、どうかどうか、間に合いますように!

で、間に合いまして…
「親父、同郷の偉人さんだ、もちろん知ってるよね?、アタイ描いたんだぜ。読んでくれ」

と手渡した父の一言

「へー知らなかった」

でした。このやろう

父も、高卒ながらも(農業高校)、大卒をおしのけて出世したバブル全盛期の男です。
なんとなく花巻人の意地と根性
佐藤昌介さんもしかり、親父もしかり
私も半分受け継いだようです。

佐藤昌介さんに戻りますがこんなエピソードがあります。

札幌農学校存続の危機に、土佐出身で当時北海道庁長官の岩村道俊さんに直談判しにいった昌介さんですが、
なんとお互いネイティブ方言で、なかなか通じなかったそうで。ww

日本の歴史上の国内での戦の原因のひとつって、言葉通じなかったのもあったんじゃね?とも思いました。

いまや標準語やマスメディア、ネット等があるので、国内どこにいっても通じますが…。

で、これを描いた当時には予想すらしなかったオファーが翌年来ました。
今年の3月にこれまた描かせてもらった偉人漫画で伏線回収できたのです。

一関出身「大槻三賢人」
その三代目の国語学者である大槻文彦さんが手がけた「大言海」(辞書)で日本語の標準語が確立されたんですな。
初代の「遂げずばやまじ」の精神もまた、東北人の気質のひとつだろうと思っております。

ちなみに一関は実母の出身地。

なんでしょうこの偶然。

大槻三賢人の話はまた次回。

で。おまけですが
佐藤昌介さん執筆の最中にコミックいわての執筆も同時進行でして
同人誌フィクション漫画も描いております。
佐藤昌介、新渡戸稲造、原敬、南部公の青春スピンオフ同人漫画です。

歴史の上に立っている私たちの中の精神の遺伝子は
いろんなとこでつながってるんだなあと
考えさせられたお仕事でした。



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