写経始めました


「もう三時間も前のこと、島村は退屈まぎれに左手の人差指をいろいろに動かして眺めては、結局この指だけが、これから会いに行く女をなまなましく覚えている、はっきり思い出そうとあせればあせるほど、つかみどころなくぼやけてゆく記憶の頼りなさのうちに、この指だけは女の触感で今も濡れていて、自分を遠くの女へ引き寄せるかのようだと、不思議に思いながら、鼻につけて匂いを嗅いでみたりしていたが、ふとその指で窓ガラスに線を引くと、そこに女の片眼がはっきり浮き出たのだった。」

 以上引用。どこからの引用か分かった方はすごい。実は僕も、読み直すまではこんな箇所があったなんて気づきもしなかった。冒頭は「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」で始まる小説だ。
で、その次の一文はというと「夜の底が白くなった。」である。こんなに美しい文章は無い。

 で、なぜ、この文章かというと、鬱病から少しでも逃れようと、写経を始めたからだ。写経といっても般若心教ではない。この有名な小説をとりあえず、暇な時間に書き写し始めた。書き写し始めると、いろんな発見がある。その発見は置いておいて、少なくとも本が読めるようになったということは、少しは良くなっているのかも。
 
 川端康成は何度か読む機会があった。でも三島ほどに読んだわけではなく、むしろ読んでいない。ただ、読んだものはみんなポルノっぽかった。たとえば「眠れる美女」。薬品で女を眠らせて好き勝手なことをする爺たちの話であるから、現代ではもう掲載不能に近いだろう。「片腕」も腕に対するフェティシズムそのものだ。そして、雪国のこのシーンも、指から想像されるエロスはR指定である。

 これを書き写し終わるころには私はポルノ作家になっているかもしれない。


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